俗に『荒地』と呼称される場所は、かつては緑溢れる大地であったと言われている。
 それがある時を境にして、砂と岩の荒野に変わった。
 何故そうなったのかという話は、諸説様々ではっきりとしない。
 ただ解っていることは、この荒野には巨大な蟻を筆頭に、危険な魔物たちが多数生息しており、足を踏み入れた勇気ある者たちに、その愚かさと軽率さを恐怖と共に教えてくれるということだけである。
 もっとも、今のフレイドにとっては、さしたる危険にもならないのだが。
「ここが『アリの巣』ですから、あちらが南ですね。ようやく荒地の入り口に着いたようですよ」
 砂煙を上げて突進してきたバシリスクの巨大な顔を両断しておいて、フレイドは方位を確認するように頭を巡らせた。彼女が見た方向には、地下へと続く大穴が、えぐるように口を開けている。
 後ろから付いてきているネストも、日除けのフードを上げて空を見上げた。
「そろそろ昼時だな。……しかし。この地の暑さには、いつも閉口させられる」
 頭上の太陽を恨めしそうに見つめて、再びフードを目深にかぶるネスト。気温よりも、むしろその陽射しが、彼女にとっては煩わしいのだ。
 程度の違いはあれど、それはフレイドにとっても同じことである。彼女たちダークエルフは、強い陽射しを嫌う性質があった。
 そのため、二人とも日除け用のフード付きマントを羽織っている。もっとも、これは荒野を行く旅人なら、ダークエルフならずとも着用するものだが。
「仕方ありません。この辺りは精霊力が不安定なのですから」
「正確に言えば『魔力』だ。精霊の力とて、世界を構成する魔力の一つ。……この地の魔力は異常なのだ」
 尚もぶつぶつと恨めしげに呟くネストに、剣を鞘に収めながらフレイドが苦笑する。
「ですから、もっと早くに出発しようと思っていたのです。ネストがちゃんと起きてくれていれば、昼前には着いているはずでした」
「う……し、仕方なかろう! 昨夜は亡霊どもが五月蠅かったのだ。文句なら奴らに言え」
 ふいっと顔を背けて、ネストが言い訳にならない責任転嫁をした。
 グルーディオの城下町を発って二日。
 フレイドとネストの二人は、荒地の北端に辿り着いていた。
 昨夜、二人がキャンプを張った場所は、かつてのグレシア戦争で廃墟となった村の近くだったのだが、どうやらその地を彷徨う亡霊たちの声なき声が、ネストの安眠を妨げたようである。もっとも、一緒にいたフレイドはしっかり眠れていたのだから、そればかりが理由ではないのだろう。
「ネストは幽霊が苦手ですものね」
 自分も日除けのフードをかぶり直しながら、フレイドが小さく笑ってそう言う。
 途端にネストの顔が真っ赤に染まる。
「ち、違うぞ! ゾンビが嫌いなだけだ! あと、死んだ魚の目も!」
「意味が分かりません……」
 まったくである。
「ともあれ、ここからは注意していきましょう。周囲に気を巡らせて、変化を見逃さないように」
「わ、わかっておる」
 再びフードを目深にして、ネストは憮然としたように歩き出した。
 苦笑を漏らしてフレイドがその後を追い掛ける。背中のバックパックが少し嵩張っていると感じた。
 革製のブーツの底が砂を噛む音を、唯一の娯楽としながら、フレイドとネストは砂漠に近い荒地の中を進む。周囲を見回してみても、今のところは他の冒険者もいなければ、これといった変化もない。
 とはいえ──。
 この砂と岩だらけの広大な荒野の中から、手掛かりとなるものを見つけるのは、至難の業と言わざるを得ない。隠れる場所が極端に少ない地形が、逆に、一層難しくさせているとフレイドは思った。
 それはネストも考えていたのだろう。
 フードの下から油断なく辺りに視線を巡らせながら、自分を追い抜いて前に立ったフレイドに話しかけた。
「しかし、闇雲に歩き回っても仕方あるまい。どうするのだ?」
「魔物と会話ができれば良いのですけどね」
 フレイドは前を向いたまま、冗談めかしてそんなことを言う。
「今はここにも多数の冒険者が入り込んでいるはずです。彼らに出会えれば、何か情報が得られるかもしれませんけど……」
「早い話が、お主も当てずっぽうということか。やれやれ」
「そういうことです」
 ちらりとネストを振り返ったフレイドの口元は、少しだけ緩んでいた。
 そんな様子を見て、ネストは呆れるように天を仰いでため息1つ。暑さにまいってきているようでもある。
「まあ、こうした場合、洞窟ならば最奥、塔ならば最上階、城なら玉座にいると、相場は決まっておるがな」
「何がいるのです?」
「ボスが、な……」
「では、荒地の中央でも目指しますか?」
「ただ歩くだけよりはマシ……ん?」
 振り仰いでいた空から顔を戻したネストの視線が、その途中で止まった。前方に何かを見つけたのだ。
 その気配を背中で察したフレイドもまた、足を止めて目をこらしてみる。
 彼女たちの進行方向、砂に覆われた地平に立ち上る陽炎の中に、人影が見えた。
 二人組だ。
「冒険者のようですね」
「こちらに来ているようだが……走っているな」
 ネストのその言葉で、フレイドは彼らがやってくるのを待つことにした。その間に水袋の中の水を一口か二口、飲むくらいのことはできた。
 近づいてくるにつれ、相手の様子がよく見えるようになる。二人とも人間で、片方は重装備の、もう1人は軽装備の、共にファイターのようだった。
 フレイドたちに気付いたのだろう。はっきりと彼女たちを見ながら走ってくる。
「えらく慌てているが……?」
 二人の表情を見て取ったネストが不思議そうに呟いたとき、彼らはフレイドの前に辿り着いていた。
 目の前で立ち止まり、膝に手を突いて肩で息をしている重装備の戦士に、フレイドが自分の水袋を投げて渡す。軽装備の戦士はそのまま座り込んでしまった。
「何かあったのですか?」
 絶え絶えに息を切らしている二人の様子に、首を傾げて訊ねるフレイド。
 渡された水を喉に流し込んで、重装備の戦士が荒い息と共に口を開いた。
「こ、この先で……や、奴を見たから……」
「やつ?」
 再び首を傾げたフレイドの顔を見上げて、重戦士はようやく相手がダークエルフだと気が付いたようだ。一瞬、目を見開いて驚きを表す。
 変わって、座り込んだ軽戦士が、後ろに手を突きながら言った。
「と、飛んでいくのがちらっと見えた……間違いないっ」
「要領を得んな。何のことだ?」
 苛立ったようにネストが前に出て、二人の戦士を見下ろすように訊ねる。
 重戦士が、渡された水袋を相方に手渡しながら、フレイドとネストを見比べてこう言った。
「し……シロッコだ。ガーゴイルロード、シロッコ!」
「!」
 瞬間、フレイドの紫闇の瞳が何かを思い付いたように光る。フードの下の長い耳も、ぴくりと跳ねたようだった。
「なるほど……彼がいましたね」
 呟くようにそう言ったフレイドに、ネストも振り向いてにやりとする。
「確かに。『会話ができる魔物』がおったな」
「そういうことです。何か情報が得られるかも──うっ!?」
 言いかけたフレイドが、突然、片手で頭を抑えて俯く。慌ててネストが体を支えるように手を伸ばした。
「どうした!」
「この感覚……!」
 片手を頭に添えたまま、睨み付けるように前方を凝視するフレイド。
「誰かがシーレンの下に行こうとしています」
「何? シロッコか!?」
 問い返すネストには答えず、フレイドは顔を上げると、纏っていたマントをばさりと脱ぎ捨てた。
「先に行きます。フォローをお願いします」
「……わかった。が、無理するでないぞ」
 前方を睨んだままのフレイドの横顔を見つめ、ネストは軽いため息と共に頷いて、そう付け加える。
 フレイドはふっと口元を緩めて、不敵に笑った。
「石像の王ごときに遅れは取りません」
 そしておもむろに精神を集中させ、目を閉じて魔力を高め始める。
Element of the dark according to me and small spirits of the dead. Let's remove the chain that restricts thine now...
 薄く開かれた唇から囁くような呪文の詠唱が流れ出した。
 高まる魔力が彼女の足下に魔法陣を描き、その上に、純度の高いクリスタルを数粒ばら撒く。
Nestle up to my side, have thou impure fang, and bite at my enemy!
 やがて、フレイドの肩より少し上の辺りに、不思議な色の光が収束していき、呪文の完成と共にそれが1つの小さな立方体となった。
 三角錐を逆さまにしたようなその立方体は、ピンク色の光を放って輝き、まるで喜んでいるかのように、フレイドの周りをくるりと跳ね回る。
 フレイドはその《キュービック》に微笑みかけてから、目を転じて立ち上る陽炎の向こうをキッと見据えた。
「では……」
 短くそう言い残したかと思うと、フレイドはあっという間に走り去っていった。砂上であることをものともしないその動きに、二人のヒューマン戦士は唖然とする。ついでに、彼らは事態も把握し切れていない。
(間に合えば良いのですけど)
 砂を蹴るように駆けながら、フレイドはこの先で起きている光景を予測していた。

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