「あの……レディクス様、これを……」
 褐色の肌と夜の星を散りばめたような銀色の髪を持つ種族、ダークエルフ族のまだ若いその女性は、緊張した面持ちと仕草で、両手に乗せた一枚の皿を静かに差し出す。
 ベッドの上に座り、壁に背をもたせかけて、小さな本に目を落としていたエルフが顔を上げた。まるで陽の光のようなプラチナブロンドと、彼らの故郷を思わせる鮮やかな新緑色の瞳が、彼女の目に眩しく映えた。
「……ああ。今日はバレンタインでしたか」
 白い皿の上に乗せられた数個の丸いチョコレートを目に留め、エルフの青年はにこりと微笑んだ。
「憶えていたら、きみを呼んだりはしなかったのですがね」
 それは笑顔とは対照的な、辛辣な拒絶の言葉である。
 ダークエルフの女性は、どこか幼いその顔に悲しげな色を浮かべた。しかしその答えは、予想されていたものでもある。
 それが解っていても、今日という日にこのお菓子を渡したかったのだ。
 エルフの青年──レディクスは、再び本へと目を落とした。
「僕がそれを受け取ると思いましたか? 思い上がりも甚だしいですね」
 くすくすと笑いながら、追い打ちを掛けるような言葉を紡いでいく。
「勘違いしてはいけませんよ。僕はきみのことを好きではありません。愛してもいない。ベッドが寒く感じたときに、猫を抱き入れて暖まっているだけです」
 それは彼女にもよく解っていた。彼の心が自分には向いていないことを──いや、誰に対しても向けられていないことを。
「それともきみは、僕に愛して欲しいのですか? ロクサーヌ」
 輝くようなプラチナブロンドの隙間から、覗き見るような新緑の瞳。
 その瞳に射すくめられたように、彼女は自分の体温が上がるのを感じながら、激しく首を横に振る。
「の、望みません! 私はただ、レディクス様のお側にいられれば、それで……っ」
 今は彼の近くにいられる。好きではなくても、側に置いてもらうことができる。
 しかし嫌われてしまったら……。
 彼にとって自分はその程度の存在なのだと、解っているつもりの彼女だ。
 レディクスは呆れたような顔でひとつ、ため息を吐いた。
「解っているなら、早く片付けなさい。だいたい僕は、甘い果実よりも、少しばかり酸味のある果物の方が好きなんです」
「は、はい。申し訳ありません……」
 慌てて皿を下げようとした彼女だったが、彼の方は自分の言葉で何か思い付いたように、顔を上げた。
「ああ……いや、待ちなさい」
 そして彼女の腕を掴み、引き寄せる。
「──?」
 バランスを崩しそうになりながらも、どうにか倒れることなく、ベッドに座る彼の横へと引き寄せられたロクサーヌは、彼の微笑と掴まれた腕の熱さに頬を染めながら、小首を傾げた。
「やはり食べ物を粗末にするのは、よくありませんね。代わりにきみが食べなさい」
 丸いチョコレートを一つ、指先で摘むように彼が持ち上げる。
 そういうことかと、ロクサーヌは静かにうなずいた。彼の手の動きに合わせ、目を閉じ、わずかに口を開く。
 その唇に、少しだけ柔らかくて冷たいチョコレートの感触が触れた。そして次に口の中に広がるだろう、甘い味を想像していた彼女だったが、それは違う形で実現されてしまう。
「──っ!?」
 唐突にレディクスの唇が重ねられた。
 驚き、開いた口の中に、彼によってチョコレートが押し込まれてくる。逃げられないように、頭の後ろと細い顎を彼の手で掴まれた。
「んっ……」
 再び目を閉じ、二人の体温で溶けていくチョコレートの甘い味を確かめる。口の中で転がりながら広がるその味が、まるで思考まで溶かしていくようだった。
 どれくらいの時間か……。チョコレートが完全に溶けて消えるまで、そのキスは続き、彼女が少しだけ息苦しさを覚えた頃に、ようやく彼の唇が離れた。
 熱で浮かされたように見つめてくるロクサーヌに、レディクスは自分の口の端についたチョコレートを親指で拭いながら、皮肉めいた微笑を浮かべる。
「こうすればきみの味で、少しは食べられるようですね」
 そしてその指先についたチョコレートも、ぺろりと舐め取る。
 ロクサーヌはもはや何も言うことができず、上気した顔をこくりとうなずかせた。
 彼が小さく笑う。
「では……完食を目指して、頑張りましょうか」
 二つ目のチョコレートを摘み上げた彼に、彼女は静かに目を閉じるのだった。

「あのぅ……盟主さま」
「なによ、ポエット。リンゴみたいな顔になっているわよ?」
「レディクスさんのお部屋から、ラブラブな声がぁ……」
「ああ……またあの二人……。真っ昼間から、まったく……」
「カノンちゃんが不思議そうに『うゆうゆ』してるんですぅ。どうしたらいいでしょ〜?」
「最上階の角部屋にでも、移動してもらおうかしらね。あいつには」
「あの……ついでに、お隣のセリオンさんとメリスさんにも……」
「……あんたたちの部屋を変えた方が良さそうね。考えておくわ」
「でしたらぜひ! ユーウェインさんの隣にっ!」
「却下します」
「あぅ〜っ!?」

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