月が出ている。 丸く綺麗な、白く美しい、夜空の太陽。 湖の畔でそれを見上げる少女の背には、同じように輝く一枚の翼があった。 「月は好きか?」 彼女の傍らに腰掛けるヒューマンの戦士が問い掛ける。 齢三十を少し過ぎた辺りだろうか。屈強な体付きと、まばらに生えた髭が、どこか「らしい雰囲気」であると少女には思えた。 ついでに、今は指先に挟んでいる煙草も。 「あ〜……」 カマエル族の少女は、気の抜けたような顔を彼に向け、その表情と同じくやる気のない声で答える。 「わりと。テンションが上がるんだよ〜。ぐんぐん」 両手を上げてその様子を伝えようと、夜空へと伸ばす。 戦士の男はその言葉に、深い溜息を吐いた。 「おまえさんのハイテンションは、牙を剥いて噛み付いてくることなんだな」 がっくりと項垂れたその彼の首もとには、際どい位置に二筋の裂傷がある。それも、つい先ほどできたばかりという、真新しい傷跡のようだった。 「『獣の血』が濃いからぁ〜」 にへらと緊張感のない笑みを浮かべる少女に、男は再び溜息を吐く。 「片足なくしそうだって時に、そういう顔できるってのは、どういう神経だ?」 「斬ったのは〜、あなた〜」 「歌うな。悪かったよ。まさかこんなところで襲われるとは、思わなかったんでな」 両腕をまるでクラゲのようにひらひらと動かす少女に、戦士は苦々しい顔で煙草を持った手を振る。 少女の右足は、その膝の辺りをざっくりと切り裂かれていた。ほとんど皮一枚で繋がっているような状態であり、普通ならその痛みで気を失うか、流れ出た血の量で意識を失っていてもおかしくはない。 しかし彼女は、まるでそんな怪我などないかのように、両腕をひらひらさせて戦士をからかっていた。 彼女の傷に改めて目をやった戦士は、内心の謝罪を舌打ちという不器用な形で表す。 「生憎と、薬の類は持ち歩かない主義でな。ろくな手当てもしてやれねえ」 「おー。自信家だねぇ、おじさん」 「そんなんじゃねえよ。瓶詰めの薬なんざ、危なっかしくて持ってられねぇだけさ」 苦笑した彼だったが、その視線の先で信じられない光景を目にする。 今にも千切れそうだった少女の右足が……その傷が、少しずつ再生しているのだ。 「おまえさん……」 戦士が少女の顔を見つめる。 少女は相変わらず、どこか気の抜けたような笑みを浮かべたまま、右手で小さくブイサインを作った。 「『獣の血』が濃いからぁ〜」 そしてその顔を夜空の月に向ける。 「月が出てれば、だぁいじょうぶ〜」 月光を浴びる彼女の顔は、やはり大量の血を失っているせいで死相が濃い。しかしその赤い瞳だけは、異様な生気に輝いていた。 しばし唖然とその横顔を見つめていた戦士だったが、やがて可笑しそうに苦笑する。 「……そういうことかい」 「カマエルだからね〜」 少女も目を細めて笑いかける。 「いちおー、助けも呼んであるし〜」 「ほう……手際がいいな。いつの間に」 「さっき。こう、電波をピピッ」 「なんだそりゃ」 人差し指を立てた両手を自分の頭に添える少女の言葉に、戦士は破顔した。 言っている事はいちいち要領を得ないが、どうにも面白い娘だ。こういう奴が仲間に一人いれば、何をしていても飽きるということはないだろう。 そんなことを考えながら、短くなった煙草を握り潰した。 「ま、今の仲間も捨てたもんじゃねえがな」 「わたしは〜、ひとりたび〜」 つい口に出た戦士の言葉を、少女は相変わらずの調子で、わざわざ拾ってくれる。 どうやらもう少し、暇潰しの相手を務めなくてはいけないらしいと、戦士が苦笑混じりの息を吐いた、その時。 「きたぁ〜」 少女が頭に添えていた両手の人差し指を一方に向け、気の抜けるような声を上げた。 そして戦士の耳にも、近付いてくる複数の足音が聞こえる。 「どうやらお友達がやってきたらしいな」 彼は苦笑をそのままにそう言うと、ズボンに付いた草を払いながら立ち上がった。 「やっちまったのは俺だし、おまえさんの仲間に殺される前に退散するとしよう」 「ん〜……」 少女は座ったままそんな彼を見上げ、小首を傾げる。 「おじさんの名前は?」 「ん? ああ、俺は……」 言い掛けて、彼はふと空を見上げる。先ほどの少女と同じように、その視線を闇に輝く白い光に向けて。 「おまえさんの遠い親戚、だな」 彼がそう言ったほんの一瞬、金色のたてがみが翻ったように見えた。 それは、満月に向かって雄々しく気高い咆吼を上げる、美しい獣。 「あ〜……」 その一瞬の姿に、少女はしばし唖然としたように彼を見つめ、それから笑う。 「そういうことかぁ〜」 「そういうこった」 彼も少女を見下ろして不敵に微笑む。 「──いたいたぁ!」 近付いてくる人影から声が上がる。こちらを指差している様子が見て取れた。 「じゃあな。『獣人』のお嬢ちゃん」 戦士は少女に不器用なウインクを送る。 「またね〜。『金狼』のおじさ〜ん」 少女は片手を上げて微笑む。 それを別れとして、戦士の男は風のように走り去っていった。 「うゆ〜っ! るびちゃん、大丈夫ぅ?」 「久しぶりに連絡をしてきたと思えば……これはどういうこと?」 「今はそれより、手当てが先でしょ!」 「うっわ……すぷらったぁ……」 「えぐーいっ! きもーいっ!」 同族の少女たちが彼女を囲み、それぞれの個性に合わせた反応をしてくれる。 久しぶりのその光景に、彼女は嬉しそうに頬を緩めていく。 「ぜ〜んぶ、お月様のおかげだね〜」 そう呟く彼女を、友人たちはきょとんと見つめ、そして月を見上げるのだった。 |
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