散りばめた宝石か、あるいは地上に降りた虹の帯を思わせるエルフ族の森──。 「おじちゃん」 木々が輝くような色を見せるその森の中。 エルフ族の少年がぴたりと足を止めて、前を行く同族の青年を見上げる。 「ん?」 振り向いた年長者は、その柔らかに整った顔に優しげな微笑を浮かべ、少年の言葉を待った。 「ひもがほどけた」 少年は小さな指で自分の足を差し、そこにある木の皮と草を合わせた簡素な靴を示してみせる。 なるほど。草を編んだ彼の靴紐が、見事なまでにばらばらになっていた。 「ああ……そっか」 青年は何事か得心したような顔で、頭を掻きながら短く何度も頷く。 その反応が不満だったのか、少年の方は頬を膨らませながら、膝を付いて靴紐を結び始めた。 「ちゃんと結んであったんだ。こんなばらばらになるはずないのに」 聞こえよがしにそう呟く少年の隣には、同い年ほどの少女もいる。 まだ幼いながらも十分な可憐さを持つその小さなエルフは、きょとんとした顔で少年を見下ろし、ついで青年を見上げた。 「ボクも髪ほどけたよ、パパ」 少女の藤色をした長い髪は、今は緩やかな風に撫でられ、さらさらと柔らかく揺れている。しかしつい先ほどまでそれを留めていた草のリボンは、彼女の頭の上に乗せられていた。 青年は再びうんうんと頷いてみせながら、肩に掛けた長弓をずらし、腰に提げた袋へと手を伸ばす。 「すっかり忘れていた。今日はハロウィンだったなぁ」 そんなことを呟きながら。 「はろうぃん?」 少女が瞳を丸くしながら首を傾げる。 「ばーか。カボチャとかお菓子の日だよ」 靴紐を結び直した少年は、立ち上がりながら少女に悪態を付く。 少女はむっとした顔を振り向け、両目を勝ち気に釣り上げた。 「ばかって言うひとがばかだって、お姉ちゃんが言ってたもん!」 「あねきの言うこと信じてる時点で、ばか決定だな。あねきが一番のばかじゃん」 「そうなの?」 あっさりと怒りを収め、少女はきょとんと少年の言葉に耳を傾けてしまう。 「そうだよ。だってハロウィンに、カボチャの馬車に乗って、王子様に会いに行くとか言ってたんだ」 「ばかだ」 「ばかだろ」 少女はこくんと大きく頷き、少年もうんと頷き返す。 「年長者は敬いたまえよ、ちびっこたち〜」 保護者たる青年は、どこか呑気に笑いながら、手に持っていた物を周囲に振りまく。 小さな二人のエルフは、その仕草にきょとんと首を傾げた。 「パパ、なにしてるの?」 「それ、飴じゃん」 青年が草の上に投げているのは、小豆ほどの小さな小さなキャンディー。 それを腰の袋からひとつまみずつ取り出し、種を蒔くように周囲に散らす。 「今日はハロウィンだからね」 彼はそう言って子供たちに微笑みかけると、肩の弓を掛け直して歩き始めた。 少年と少女が慌ててその背中を追い掛ける。 「こうしないと、妖精たちが悪戯をしてくるんだよ」 「いたずら?」 小首を傾げる少女の横で、少年がはたと顔を上げた。 「さっきのひもがほどけたの!」 「そうそう。アレクは賢いね」 歩きながら顔だけを振り向け、青年は少年に笑いかける。 「ボクの髪も?」 「そうだよ、リュン。ピクシーがちょっとリボンを引っ張ったんだ」 自分の頭を両手で触る少女に、青年は頷きながらリボンを取ってあげる。 「それと、顔の落書きもね」 そして片目をつむってそう言った。 少年と少女が互いの顔を見合わせる。 そこには、赤や黄色や緑の染料で、丸やバツの模様を描かれた相手の顔があった。 「な、なんだこれ!?」 「わわわわっ!?」 慌てて自分たちの顔を洗うように両手でこする二人に、青年は楽しげに笑う。 「今日は一年で一日だけ、妖精たちが悪戯をしてもいい日なんだよ」 彼は歩きながら、腰の袋から取り出したキャンディーをばらまく。 「妖精たちは悪戯好きでね。あんまり酷いから、アインハザードが怒ってやめさせたんだ。だけどそれじゃあ可哀想だから、一年で一日だけ、悪戯をしてもいいことにしたんだよ」 さくさくと草を踏む音と、青年の涼やかな声が森の中を渡っていく。 少年と少女は話に聞き入るように、彼の背中を見上げて歩いた。 「悪戯をされたくない人は、代わりに妖精たちをもてなさいといけないんだ。お菓子をあげて、『これで見逃してください』ってね」 「だからキャンディー?」 「そうだよ。妖精たちは特にキャンディーが大好きだからね」 「ふぅ〜ん」 振りまかれるキャンディーを、少年と少女は不思議そうに目で追い掛ける。 するとそれががフッと虚空に消えていくのが見えた。 キャンディーを両手に掴み、嬉しそうに笑う小さな妖精の姿も。 「だから森を歩くときは、キャンディーを持っておくといいだろうね」 そう言って振り返った青年の微笑みは、とても優しく、どこか楽しそうでもあった。 「──っていう話を思い出したんですけど」 人差し指を立て、リュンは相棒のダークエルフにそう言う。 「そうか……けどなぁ……」 ダークエルフの騎士サイフォードは、無理に作った笑みを引きつらせながら、彼女を睨むように見つめ返す。 「そーゆーことは、あと半日早く思い出しやがれッ!」 妖精の谷特有の不思議な色彩を持つ草に全身を縛られ、ティミクランに吊されている彼は、今にも彼女に食いつかんばかりに暴れた。 「そんなこと言ったって、今日がハロウィンだって忘れてたし」 頬を膨らませてそう言うリュンは、平気な姿で彼の真下に座っている。 「つか、なんでお前は平気なんだよ!? 不公平だろ、これ!」 「あ、それはほら。ボク、いつもキャンディーだけは持ち歩いてるから」 パッと笑顔を見せて答えながら、リュンは腰袋から取り出した小さなキャンディーを周囲に投げ散らした。 「お前……今、思い出したって……」 「うん。ハロウィンが特別な日だってことを、思い出したんだよ。パパの忠告は、ちゃんと憶えてたもん」 「……無事に帰れたら、まずお前のおめでたい頭を叩き割る」 目を据わらせて物騒な発言をするサイフォードに、彼を吊すティミクランの顔がぬうっと近づく。 そしてさらに彼の足下に近寄ってきたユニコーンが、角でつつき始めていた。 「うおっ!? やめろ、お前ら! ちょっ……痛いっ! 脛はやめろ、脛わっ! 顔も近付けんな! 樹液垂らすんじゃねえっ!」 「あははっ。大変だねぇ♪」 「助けろよっ! これもう、悪戯じゃなくてイジメだろ!」 「いつもイジメられてるから、このチャンスを活かそう! リュンはそう思いました」 「思うんじゃねえぇーっ!!」 きらきらと大気さえも輝いているような幻想的な谷に、彼の声が虚しく響くのだった。 |
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