二人が出会ったのは、オークたちに対する最初の共同作戦を行った戦場だった。 「大丈夫?」 オーク族のシャーマンに殴り飛ばされ、格好悪く倒れてしまった彼に、そう言って手を差し伸べてきたのは、朝日のように明るい緋色の髪と、ぼろぼろの革鎧が印象的な女性だった。 「……あ」 最初、相手が誰だか、彼には解らなかった。 なんといっても、彼がヒューマン族とまともに接触したのは、今日、この日が初めてだったから。 見慣れた白い肌、輝く金色の長い髪、精巧に整った顔立ちとは違う、日に焼けた肌色、無造作に短く切り揃えた髪と粗野な顔立ちは、彼にとってあまりにも現実離れしすぎていて、理解をするのに時間が掛かったのだ。 「……」 何となく無言で、それでも差し伸べられた手を取って、体を起こすのを手伝ってもらう。 ヒューマンの年齢などは、よく解らない。だがおそらく、まだ少女だろう彼女は、彼に向かって太陽のようなその笑顔を見せた。 「よかった。何ともなさそう」 その笑顔に、思わず引き寄せられそうになる。 握っていた手を放され、その手を再び彼女へと差し出しそうになって、躊躇う彼。 その間に、彼女は手に持っていた簡素で原始的な槍を両手に構え、敵軍へと走り出していた。 「ありがとう!」 そう大声で言いたかったが、言葉が口に乗らない。こんなことは初めてだった。いつもは心から沸き上がる言葉が、勝手に口を動かして詩にしていると思っていたが、どうやらそうではないと思ったほどだった。 だがすぐに彼は別の方法を思いつき、違う言葉を口に乗せ始めた。 歌うように紡がれる言葉が『力』となり、駆けていく彼女の背中に届く。 刹那、彼女の体は無形の盾に覆われ、その体には力が漲る。 彼女は一瞬だけ顔を振り向かせ、先ほどと同じくにっこりと笑顔を見せた。 「ありがと!」 そう言ったように、彼には聞こえた。 ──ただ、それだけの出会いだった。 彼らが互いに名前を知ったのは、三度目の出会い。 あの後、一度だけ戦場で隣り合ったことはあったが、戦いの最中ではまともな会話はできるはずもなかった。 何より、彼にはまだ躊躇いともプライドとも呼べるものがわだかまっていたから──。 「隣、いいかな?」 それは、オーク軍から奪取した拠点に駐屯しているときだった。 食堂とされた部屋で一人、遅い夕食を取っていた彼の隣に、あの少女がそう言いながら座ってきたのだ。 返事もしていないのに同席されてしまったことを驚くよりも、彼女が自分に話し掛けてきたことの方に驚く彼である。 別に嫌われた素振りを見せられたわけでもなく、勝手に自分の方が敬遠していたにも関わらず、そんなことに気を取られてしまう辺りは、長く他種族の上に立っていたエルフ族ならではか。それとも……。 「えーと……自己紹介、させてね?」 無言でいる彼に、彼女の方でも気まずさを感じ、笑顔を向けながらも探るような言い方になってしまう。 「私、メリシアナ。みんなからはメリスって呼ばれてるから、あなたも……」 言い掛けた言葉が止まった。 彼の表情に気が付いたからだ。 口をぽかんと開けて目を丸くし、おまけに食べようとしていたらしい、パンを千切った手をそのままの姿勢で止めている。 何とも、締まらない顔、締まらない格好だ。 「……ぷっ!」 「!?」 「あははははははっ!」 「!?!!」 突然、声を上げて笑い出した彼女に、彼の方はさらに混乱した。いっそう目を丸くして、驚いたように口もさらに大きく開き、金糸を思わせる柳眉は跳ね上がる。しかしパンを持った手はそのままだ。 その様子を見て、メリスはさらに笑う。お腹を抱えるようにして、椅子から転げ落ちて、ひたすら笑い転げる。 彼はますます混乱した。 ヒューマンから見ればエルフは笑いの対象なのか? 顔が面白いのか? 彼女たちよりも華奢な体格がダメなのか? それとも耳がっ!? そんなことが頭の中をぐるぐると回る。 ──そんなことが半時も続いただろうか。 ようやく笑いを収めることができたメリスが椅子に座り直し、来たときとは違った本心からの明るい笑顔を彼に向けた。 「ごめんね。ちょっとエルフに持ってたイメージと違っちゃって……笑っちゃったりして」 「あ……い、いや……」 ようやく、彼は声を出すことができた。彼女の前で。 メリスの表情が、パッと輝く。 「ね、名前は?」 ほとんど離れてもいないのに、身を乗り出すようにして訊いてくる。 彼は気圧されるようにちょっとだけ上体を下げながら、彼女のあずき色の瞳を見つめた。 「せ……セリオン」 「苗字ってないの? 私は部族名がそのままなんだけど」 「え、エルフには、特にない……称号とか渾名を名乗ることもあるけど……」 「ふーん。じゃあ、あなたはそれがないんだ」 「俺は、ただのエルフだから……」 「あははっ! じゃあ私もただのヒューマンだね!」 彼の妙な回答にくすぐられ、メリスはまた声を上げて笑った。 よく笑う娘だ、と呆れるような感覚と、不思議なものを見るような感覚で、セリオンは彼女を見つめる。 こんな風に笑う相手と話をするのは、何年……いや、十数年ぶりだろうか。 オークたちとの戦争が始まり、劣勢に立たされるに従って、人々からは徐々に笑顔が消えていた。種族全体が重苦しい雰囲気に包まれ、いつしか笑顔といえば寂しげで儚げなものばかりが浮かぶようになっていたのだ。 今、セリオンの前にいるヒューマンの少女は、そんな雰囲気を少しも持っていない。何の屈託もなく、体の内側から溢れる生気そのままに、明るく笑っている。 その姿を、眩しいと思った。 「……信じられないな」 「ん?」 口をついて出た言葉に自分でも驚き、メリスの方でも首を傾げてセリオンを覗き込むようにする。 まだ会話をすることに若干の抵抗はあったが、言ってしまったからには仕方がない。セリオンは一つ息を吐いてから、淡々とした口調で言葉を続けた。 「きみたちがグランカインから生み出された、ということがだ」 「……んん?」 よく解らないとでも言うように、さらに首を横に傾けていくメリス。 その仕草に、なぜかセリオンは自分の体温が上昇していくのを感じる。 「いや、つまり……」 「つまり、可愛いってことかな?」 「そう、かわい……いや、それは少し表現が違うかな」 「難しいのね?」 「きみがね……」 にっこりと笑うメリスから、焦るように顔を背けながら小さく呟く。 何とか食事を再開しようと、千切ったまま手に持っていたパンを、ぬるくなってしまったスープに浸す。それを見て、メリスも自分の食事に取りかかった。 ──が、すぐにまた話を始める。 「私さ、エルフってもっと嫌なヤツかと思ってたんだ」 「……」 「でも意外といい人が多いよね。みんな親切だし。エルフ語で喋られると困るけど」 「見下してるからさ」 抑揚なく、短く答えたセリオン。スープ皿に落としたスプーンを、カランと投げ捨てるように置いた。 「俺たちがきみたちヒューマンの前でエルフ語を使うときは、たいてい嫌味か馬鹿にしているときだ。聞かれたくない言葉を、そういう方法で声にして、溜飲を下げている」 「……そうなんだ」 顔は食事を乗せた一枚の皿に向けたまま、今度は少しだけ寂しそうな笑顔。 セリオンの胸に小さな痛みのような感覚が走る。 「べ、別に皆がそうだってわけじゃないけど……。ただ、同族たちの中には、今でもきみたちヒューマンに助けられていることに屈辱を感じる連中もいるってことだ。けど、それは表には出せないから、その鬱憤をそんな方法で晴らしてるんだよ」 「セリオンは、違うんだよね?」 「あ……」 笑顔。変わらず寂しげではあるが、瞳は真摯な色を見せ、どこかすがるような表情を振り向かせる。 そして、初めてこの少女から名前を呼ばれたという、こそばゆい感覚。 「だよね?」 少しだけ明るく聞こえた声で、そう繰り返される。 セリオンは大きく頷いていた。 「ああ、もちろん」 それから気が付くと、二人は同じ部隊にいるようになった。 連合軍が成立してからは、ヒューマンとエルフの混成部隊も珍しくはない。参加している人数の違いもあり、今は「ヒューマンの部隊の中にエルフがいる」といったようにも見えるくらいだ。 しかしこの二人が同じ部隊になったのは、もちろんただの偶然などではない。 「……なんで?」 彼女が自分の部隊にいることを知ったセリオンの最初の一言が、これ。 メリスは苦笑する。 「そう言われると、困るんだけど」 少しだけ照れたようにはにかみ、短く切り揃えられた緋色の髪を指先でもてあそぶ。相変わらず手入れは適当なようだが、その登り来る朝日のような色だけは、鮮やかに輝いて見えた。 こんな表情もするのかと、何となくその緋色の髪を見つめる。 「……こそばいよ」 「え?」 不意に届いた抗議の声に我に返ってみると、セリオンの右手はメリスの髪を梳くように触れていた。 「ご、ごめん!」 慌てて手を放す。体温が顔に集まってくるように、熱くなる。 メリスは小さく笑う。 「意外と手が早かったりして?」 「え……早い?」 言葉の意味が分からず、今度はきょとんとしてしまうセリオン。 彼の方がよほど、色々な顔をメリスに見せている。 そんなことを思うと、メリスはまた小さく笑った。 「そういうところも好きだよ、セリオン」 「え……」 唖然とする。してしまう。 声は聞こえていても、意味を理解するのに時間が掛かることがある。 特に、初めて聞かされた言葉ではあれば。 「え……?」 真っ白になった頭の中に、部隊を集合させる軍鼓の音と、それを告げる兵士の声が響いてきた。 メリスはくるりと踵を返すと、にっこりといつもの笑顔を振り向ける。 「好きだよ、セリオン」 →第2話へ |
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