それから約半年──。 「そろそろ卒業かしら」 リザードマンの戦士を一撃の下に焼き払ったライの魔法を見て、アニアネストは口元にいつものあでやかな微笑を浮かべて呟いた。 くるりと振り向いたライが、小さな火を宿した人差し指を体と同じようにくるりと回して、その火を消す。 「かな?」 彼の幼い顔に浮かぶ笑顔もまた、自信と余裕が感じられるものだった。 この半年間でのライの成長ぶりは、アニアネストの予想よりも少しだけ早く、期待していたものよりもちょっとだけ遅れている。 それだけ期待の方が大きかったということだろう。指導役としては、大満足な結果だ。 ここ最近は、今日のように実戦での指導を主として、技術的なアドバイスだけをしている。基本的なことはすでに教え尽くしたつもりだし、頭の良いライはその応用も自分でやれてしまっているから、もう教えることは無いと言ってもいい。 いわば現状は、指導役としての最終審査といったところだ。 実際、こうして二人で出掛けてみても、アニアネストが助言することは、ほとんどなかった。 「次のステップへ進む準備をしないとね」 草原に無造作に転がる岩へ腰掛けながら、アニアネストは目を伏せるようにする。太腿までが顕わになった衣装で、さり気なく脚を組み替えるその動きに、ライは気まずそうに視線を逸らしていた。 「じ、準備?」 「そ。きみにはこれから、いろいろな試練が科せられるわ。それをクリアーして、マジスターたちに認められてから、初めて高等魔術を学ぶことができるの」 「なるほどね。その試練が、準備ってわけだ」 「きみの実力なら、その程度のことでしょ?」 そう言って微笑みかけると、ライは嬉しそうに頬を紅潮させてにんまりと笑う。 「まーなっ」 こういうところもかわいいと思うアニアネストなのだが、それとは別に、一つだけ不安に思うこともあるのだった。 彼女たちが宿泊している宿には、他にも数組の血盟や、フリーの冒険者が「第二の我が家」として常駐している。だから食事時などは一階の食堂兼酒場は、彼らでごった返すことになる。夕食時などは尚更だ。 「へぇ。ライくんは、もう卒業なのね」 人で溢れかえる酒場でも、フロウティアの涼やかな風のような声はよく通る。食前のワインで唇を濡らしていたアニアネストは、それを少し羨ましく思った。 「アニアの指導の賜物ね」 「ライの努力の成果よ」 微笑むフロウティアに素っ気なく答えた……つもりだったが、口元は緩んでいた。しかしそれは、自分が誉められたからではない。 テーブルを挟んで向かい合う美しいビショップにもそれは見抜かれたのか、彼女は口元に手を当てる仕草でころころと笑う。 「そうね。彼、頑張っていたようだし。後見人としては、嬉しいかぎりね」 「うん、まあ……」 ばつが悪そうにさり気なく顔を背けながら、ワイングラスを口に運ぶ。 「珍しいわね。あなたが他人のことで喜ぶなんて」 そのフロウティアの言葉で、頬が上気するのが解る。アルコールのせいではない。 (フロウティアって、読心術でも使えるのかしら) 視線だけをちらりと戻して、多少いじわるな物言いをする仲間を見つめる。 その視線が、ふとフロウティアの背後を見つめて止まった。 なんだか見慣れた顔の人物が、見慣れない格好をしてこちらにやってくる。 その人物は彼女たちのテーブルまでやってくると、両手に持ったトレイを素っ気なく置いた。 「はーい。ご注文の品でーす」 やる気のない声と共に、料理を乗せた数枚の皿がトレイからテーブルに並べられる。 アニアネストは飲んでいたワインを思わず吹き出しそうになった。 「エアルフリードっ!?」 そう。見慣れた顔のエアルフリードが、長い髪をツインテールに結わえ、見慣れないフリルの付いた白いエプロン姿でそこにいたのだ。 驚くアニアネストを、とてもウエイトレスとは思えない目つきで、じろりと見下ろすエアルフリード。 「なんか文句ある?」 「ていうか、つっこみどころが……」 「うっさい! 好きでやってるわけじゃないわよ!」 声を荒げるエアルフリードだが、幸い酒場の喧噪に飲み込まれて、カウンターにいる店主までは届いていない。 フロウティアはそんなエアルフリードに、にこりと微笑みかけた。 「ごくろうさま」 「ねぇ、これ代わってよぅ……」 途端に泣きそうな顔で振り向くエアルフリード。しかしフロウティアは微笑を浮かべたまま、目を伏せて首を左右に振る。 「ダメよ。人手が足りないから、宿泊している血盟から一人ずつ、アルバイトを出す約束なんですから」 「だから、あんたがやってもいいじゃないのよう」 「私は盟主のお供で忙しいもの」 「じゃあ誰でもいいから……」 「ファイスとプリシラは一昨日からゴダードだし、バインとカイナの新婚生活は邪魔したくないでしょ。ユーウェインはお店の方からダメだしがあったし、ポエットちゃんは彼に付いていったっきり。アドエンは話が出た途端に雲隠れしたわ」 「あの卑怯者……」 「明後日にはセリオンとメリスが戻るから、それまで辛抱しなさい」 やんわりとそう言うフロウティアの横で、エアルフリードは盛大にため息を吐いた。 聞いていたアニアネストとしては、実はフロウティアが一番、適当な理由なのではないかと思ったのだが、言わないでおくことにした。代わりに頬杖を付いてウエイトレス姿のエアルフリードを見上げる。 「意外と似合ってるわよ」 口元を緩ませながらそんなことを言われても、言われた方としては馬鹿にされたようにしか聞こえない。 「何ならあんたがやってもいいのよ、アニア。暇そうだしっ!」 「残念ね。明日からライの試験なのよ」 「……へ? もうそんな時期?」 剣呑としていた目を途端に丸くして、エアルフリードはアニアネストを見つめ返す。この表情と気分の変わりようが、彼女の魅力の一つであろう。 「そういえば、あなたも付いていくの? ライくんの試験」 フロウティアのその質問に、アニアネストは頬杖にした手の人差し指を、リズムを取るように動かしながら考える仕草を見せた。 「どうしようかしら……あんまり露骨に手伝わない方がいいものよね」 「甘やかさない方がいいわよ。一人で行ってこい!くらい突き放した方が、一人前の冒険者になれるわ」 「そうかもしれないけど……でも一人で行かせるのも、心配なのよね……」 威勢のいいエアルフリードとは対照的に、アニアネストはそのグレイの瞳に憂色を湛えて息を吐く。 ライの実力ならまず大丈夫だと確信しているが、それとは別なところで、一人にしてしまうことを心配しているのだ。 「無茶なところもあるし、意外と落ち込みやすかったりするし、人に対してもちょっと生意気だし……何より、こんな長期間の一人旅は初めてのはずだから……」 「かわいい子には旅をさせろ!」 「あなたは後見人になったことがないから、解らないでしょうね」 ため息を吐きつつそんなことを言われては、エアルフリードもむっとしてしまう。しかしその通りなので、言い返す言葉もないのが彼女だ。 悩ましげにもうひとつ息を吐いてから、アニアネストは正面のフロウティアに目を向けた。 「あなたはアレクの試験の時、どうするつもりなの?」 「あの子は、まだまだ先になりそうだけれど……そうね。私はあの子が助けを求めてきたときだけ、力を貸してあげるつもり。一から十まで手伝ってあげる必要はないでしょうけれど、十を数え終わるまで見守ってあげることは必要だと思うの」 そう言って微笑むフロウティアは、アニアネストやエアルフリードから見ても、慈母のような暖かさが伝わってくる。思わず二人とも惚けたように、その包み込むような微笑を見つめてしまった。 「……なんか、やっぱりあんた凄いわ」 エアルフリードの素直な感想。アニアネストも軽くうなずいて同意する。 フロウティアはそれには何も応えず、微笑を苦笑に変えながら、アニアネストにもう一度、同じことを聞いた。 「それで? どうするつもり?」 「そうね……私も、見守ることにするわ」 それでも翌朝のライの出発時には、アニアネストも宿の入り口まで見送りに出ることにしていた。 「大丈夫だとは思うけど、何かあったらすぐに連絡するのよ」 「ああ。ま、アニアの手を煩わせることはないって」 「だといいけどね」 不安などは微塵も感じていない表情のライに、アニアネストはくすりと笑う。この強気な態度は出会った頃から変わらないし、彼女にとっては好ましいものだ。 彼女の隣には、同じく見送りに来たフロウティアとエアルフリードもいた。 「旅では何が起こるか分からないから、気を付けるようにね」 「世の中、私みたいにいい人ばかりじゃないんだから」 そう言うエアルフリードは、ひとこと余計である。 この二人にも、アカデミーに入る際に世話になっている。だから見送りにも来てくれたのだろう。 ライはそんな心遣いに感謝の意味も込めて、一つうなずいて返す。 「心配ないって。さっさと終わらせて『転職』してくるさ」 多分に幼さが残るその顔に不敵な笑みすら浮かべてそう言ったライに、エアルフリードが何かを思い出したようにぽんっと手を打った。 「そだ。あんた、卒業したらどうするつもり?」 「は? どうするって?」 「そのままうちの血盟に入るのか、それとも他のとこへ行くのか、ってことよ」 エアルフリードのその言葉に、アニアネストは一瞬どきりとする。その辺りのことは全く聞いていなかったからだ。 しかしライは、唐突な質問に少しだけ驚いたような顔を見せた後、すぐに安堵したように息を吐いた。 「なんだ。そんなことか」 そう言って、ちらりと視線だけをアニアネストに向ける。 「心配しなくても俺は残るよ。その……」 「?」 不意に言い淀むライと、自分に向けられた視線の意味が解らず、アニアネストはきょとんとする。他の二人も同じようにして、続く彼の言葉を待っている。 わずかに頬を上気させたライが、緊張したような顔を明後日の方向へと向けながら、小さくこう呟いた。 「……好きだから」 「え……?」 アニアネストの鼓動が、思わず高鳴る。 「……こ、この血盟、好きだからさっ! 気に入ってるんだよ、俺!」 しかし続いたライの言葉は、彼女が一瞬想像したものとは違っていた。 止めていた呼吸を再開させるように、大きく息を吐くアニアネスト。それは安堵の吐息のようであったが、胸の中には残念に思う気持ちが湧いてくる。 (どうしてそうなるのよ……) そう思ってしまった自分には、気が付かないアニアネストだ。 そんな彼女の気持ちに気付かず、ライは赤くなった顔を隠すようにくるりと背を向けた。 「そ、それじゃあ行ってくる!」 早口にそう言うと、まるで逃げるように駆け出す。 アニアネストはもう一度大きくため息を吐き、呆気にとられたようなエアルフリードと、苦笑を浮かべるフロウティアがその背中を見送る。 ライの姿が早朝の街角に消えたとき、そのフロウティアがアニアネストに顔を振り向かせ、何気ない調子で口を開いた。 「──で? 実際のところ、どうなの?」 「何が?」 「ライくんのこと」 「……さあ、どうかしら」 そう答えたアニアネストは、ライが走り去った街路を見つめたまま、優しい微笑を浮かべいた。 →第3話へ |
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