「最近、アニアの出席率高いよな」
 空になったコップを両手で弄びながら、セリオンは少し離れた場所にいるアニアネストとライに視線を向けてそう言う。
 メリスはそんな彼に手を差し出して、空のコップを受け取る。
「ライがいるからね」
 そう言って小さく笑う彼女に、セリオンは解ったような解らないような曖昧な返事をした。爽やかなハーブの香りがするお茶を満たされたコップが、彼の手元に戻ってくる。
 木陰を作るのに適当な木々と、すぐそばに澄んだ小川が流れるこの場所を見つけて、昼食を広げたのは、小一時間ほど前だ。
 今日は血盟内の仲間たちと魔物狩りに出る日である。
 出発前に、この恒例行事を提唱している盟主が体調不良で部屋から出てこず、その看病のためにフロウティアも欠席するというハプニングはあったものの、それ以外は極めて順調なハントが進んでいる。
 この行事に、普段なら出席することの方が珍しいアニアネストが、ここ最近は進んで参加表明をしていることが、セリオンをして先ほどの台詞を言わしめたのである。
「うまくいってるみたいですよね、あの二人」
 彼らのそばにいるポエットが、上機嫌といった風に会話に加わってきた。メリスも笑顔を返してうなずく。
「あのアニアを振り向かせるんだから、ライも大したもんだよね」
「ですですっ」
 友人の幸福を自分のことのように喜ぶポエットだが、その後ろで彼女と背中合わせに座っているユーウェインは、そのやりとりに首を傾げていた。
(あれは、振り向かせたというのか?)
 先ほどのセリオンと同じく、件のアニアネストたちへと視線を向けてみる。
 邪魔をされないためか、それともたまたまか、他のメンバーより少し離れた陽が注ぐ小川のほとりに座る2人は、ゆっくりと昼食をほおばるライの傍らで、アニアネストが一見、甲斐甲斐しく世話を焼いているように見えた。
「……あら? ライ、パンくずついてるわよ」
 保存用の薫製肉を炙ったものと菜物を挟んだだけの簡単なサンドイッチを右手に、香辛料が効いたスープの入ったカップを左手に、頬を膨らませてもぐもぐと口を動かすライが、「どこに?」と表情と仕草で問い返す。
 そんないかにも子供っぽい仕草に思わず笑みをこぼしながら、アニアネストは手にしたハンカチを伸ばしかけて、ふと手を止める。そしてその代わりに、少しだけ体を伸ばして、その美貌を彼に近付けた。
「ここ」
 軽くキスをするようにして、ライの口元にあったサンドイッチのパンくずを、薄くルージュを付けた自分の唇ですくい取る。
 途端に、ライは目を丸く開いて顔を赤く染め上げた。
「世話の焼ける子ね」
 小さく笑いながらそう言ったアニアネストの口調は、諭すようでもあり、またからかっているようでもある。
 見ていた他のメンバーの方が、恥ずかしくなるようなワンシーン。セリオンやメリスまでが、感心するやら呆れるやら、何とも言えない空気になってしまう。
 しかし、そんなものを見せられて黙っていられない者もいる。
 ポエットはぽかんとしたあと、慌てて自分が手にしていたクッキーを割って、その欠片をぺたぺたと自分の頬にくっつけてみる。そしておもむろにユーウェインの服を引っ張り、振り向かせた。
「ゆ、ユーウェインさん、あの……」
「落ち着いて食べろ」
 どんなときでもマイペースなダークエルフの騎士は、ポエットの要望を一言の下に退けて、食後のティータイムへと戻っていった。
「ううっ……」
「ユーウェインには似合わないから、ほら……」
 肩を落とすドワーフの少女を、メリスはもっともな言葉で慰めてあげるのだった。

 ユーウェインが感じたことは、ある意味では当たっている。
 そしてそれは、ライも考えていたことであった。
 きちんと想いを伝えたわけではない。ましてや口説き落としたなんてことは、あるわけもない。
 それなのに……
「ライ。今日はどうするの?」
 こうしていつの間にか、傍にいるのだ。
 一階の酒場で朝食を済ませ、部屋に戻ろうとしたところで声を掛けられて、ライはその足を止めた。照れたように頬を染めながらも、彼はいぶかしげに眉をひそめる。
(だいたい、あのキスの意味も解らない)
 ソーサラーとなったあの日。頬にされた、触れるような軽いキス。その真意も掴みかねたまま、ひと月以上が経過している。
 もしかしたら、それほど深刻に考えることではないかもしれない。
 頬にキスなんて挨拶代わり。転職を果たした彼への、軽い祝福のつもりだったのかもしれない。ちゃんと告白して恋人になるなんて、自分の子供っぽい夢想なのかもしれない。
 だがアニアネストを特別な相手と意識しているライにとっては、最重要事項である。
 相手が相手であるだけに、素直に喜んだりはできないのが、ライという少年だ。これが彼の友人であるアレクシスあたりなら、果たせるかな両想いであると、喜色を満面に表すのだろうが。
 彼──ライには、そうした生真面目で、少しばかり内向的な部分があった。
 振り向いたライに、アニアネストは微笑を浮かべながら小首を傾げるようにする。
 今は答えを求められているのは自分の方らしいので、ライは少しだけ考える素振りを見せた。
「どこか、いい修行場でもあればいいけど」
「まだ鍛えるつもり? もう炎の魔法だって、ちゃんと扱えるようになったでしょう」
「まだまだ」
 呆れたように肩をすくめるアニアネストに、軽く首を振って答えるライ。
「俺は、まだ本当の魔法の使い方を知らない」
「本当の使い方?」
 アニアネストはライをうながすように彼の隣に並び、2人で廊下を歩き始める。
「今、俺たちが学んでる魔法って、象牙の塔が許可したものだけだろう」
「……そうね」
「魔法は本来、無限の可能性と形があるはずなんだ」
 そう言ったライの横顔を見たとき、アニアネストはがらにもなく胸が高鳴るのを感じた。とても純粋でまっすぐ先だけを見ているような瞳と、その情熱とは裏腹にクールに澄んだ表情に。
 ライが言葉を続ける。
「親父から聞いたことがある。昔はもっと高度な魔法も学べて、使われていたと。破壊の魔法にしても、創生の魔法にしても、召喚魔法だって」
「ええ。その通りよ」
「それを危険視して封印した、象牙の塔の認識は正しいんだろう。だけど、要は使い方だ」
「……」
「だから俺は、それらの魔法を正しく使える力を持ちたい。それが欲しいんだ」
 ライの瞳は、どこか遠くを見つめる。おそらく、それは自分の未来の姿だろう。
 嘘のない、ただ純粋な彼の瞳に見惚れるようにしながらも、アニアネストはその言葉に潜む危険性を冷静に聞き分けることができていた。
 だから、彼の部屋の前に着いたとき、ドアを開けようとする彼にこう言ったのだ。
「……ヒューマンが、なぜ炎の魔法を使うのか知っている?」
「え?」
 ノブに手を掛けたまま、唐突な彼女の言葉に顔だけを振り向かせるライ。
「いや……考えたこともなかった」
 ライには、それまで見たことがない彼女に見えた。
 無機質な瞳で見つめてくるその姿は、どこか冷たくて、それは彼女の青褐色の肌と見事に調和しているようで……
「エルフを殺すためよ」
 身震いがした。
 その言葉というより、彼女の雰囲気に。
「私たちエルフの一族は、水の加護を受け、そして水と風の精霊を使うことを得意としているわ。その私たちに勝つため、ヒューマンたちは炎の魔法を鍛えたの。私たちの『水』を枯らせるために」
「……」
 今のアニアネストは、喩えるなら無色のようだと思った。何の感情も表さず、無表情に、そして淡々と言葉だけを紡ぐ。水のように冷たくて、だけど透明で……
 ──透明?
「きみが言っているのは、そういう魔法のことなのよ」
 そう言い残して、アニアネストは踵を返そうとする。
 ライはその腕を掴んだ。
「だから、使い方次第なんだろ」
 掴んだ腕を少し強引に引き寄せ、こちらに振り向かせる。こんな時に身長差が恨めしい。
「俺は、間違わない」
「そういう問題じゃないわ」
「解ってる。だから、間違わない」
「ライ……?」
「言っただろ。魔法には無限の可能性と形がある。一つのことにこだわることはないんだ」
 ライはアニアネストを見上げて、不敵に微笑む。その顔がひどく大人びて見えたのは、彼女のひいき目だろうか。
「ヒューマンが炎の魔法なんて、誰が決めたんだよ」

 寝付けない夜には、よく酒場に下りて一人で飲んでいる。
 今もそうだ。
(……変ね)
 テーブルに置いたグラスの口に指を滑らせ、頬杖を付いたアニアネストがため息を吐く。傍目からは、とても悩ましげな姿だが、実際に彼女は戸惑っていた。
(妙に落ち着かないわ)
 昼間のライの笑顔が頭から離れない。
 別に今までも、彼のことを忘れたことはない。出会ってからは、ふとしたときにライがどうしているだろうと考えることもあった。
 だから、からかうような、挑発するような態度を取りながらも、彼に好意を寄せてその想いに応えてきたつもりだ。
 彼が自分に寄せてくれている気持ちには、気が付いていたから。
 だけど、今のコレは、ちょっと違う。
 ライのことを考えると、胸が熱くなってくる。今すぐにでも会いたくなって、部屋に行きそうになる。もう寝ている時間だとは解っているが、それでも……
 そんな気持ちを落ち着けるために、酒場に来ているのだ。
「なかなか絵になってるわ」
 空いている席が、勝手に埋まる。彼女と同じグラスを片手に持ったフロウティアが、隣の椅子に腰掛けてきた。
 いつもと変わらない微笑を浮かべている仲間に、アニアネストは気怠げな顔を向けた。
「あなたでも一人で来ることがあるのね」
「たまにはね」
「盟主の具合は、まだ良くないってこと?」
「……そんなにいつも一緒かしら」
 苦笑するように答えるフロウティアだが、その表情は自分の言葉を肯定しているように見える。彼女にとっては、嬉しいことなのだ。
 アニアネストのグラスから、氷が崩れる軽い音が響いた。フロウティアはグラスを傾けて、琥珀色の液体を喉に流し込む。
「……でも、驚いた」
 間を置くためだったのか、グラスを置いたフロウティアが繋がりのない言葉を発する。
 アニアネストは彼女と交替するように自分のグラスを持ち上げ、口に付けながら目だけで疑問を投げ掛けた。
 フロウティアの顔が、わずかに桜色を見せてほころぶ。
「あなたは人を好きにはなっても、『恋』はしないのかと思っていたから」
「!?」
 思わず口の中のものを吹き出しそうになって、咳き込む。
「大丈夫?」
「──っ〜! こ、恋っ!?」
「してるんでしょう?」
 にこりと、花がほころぶような微笑み。
 目を丸くして見つめるアニアネストの脳裏に、ライの笑顔とその声が自然と浮かぶ。
「恋……」
 そして彼女は、その言葉を呆然と呟いていた。


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