「いつも通りにしてれば、いいんじゃない」
 エアルフリードはそう言い残して、盟主やフロウティアと共に出掛けてしまった。
 それが何より難しいのに……とはアニアネストの言い分だが、実際、それ以外にできることなどなさそうだ。
 ため息を吐きつつ宿の廊下を歩くアニアネストは、普段の姿どころか、おそらく血盟の誰も見たことがないほどの憂鬱な表情をしている。
 とりあえず今朝のこともあるので、今日一日はライと顔を合わせたくない気分だ。
(部屋に籠もっている方が良さそうね)
 そう思い立って自室へ戻るルートを選ぶ。
 途中で燕尾服姿のセリオンと、メイド服姿のメリスとすれ違ったが、大して気にも留めずに通り過ぎた。
「……何か落ち込んでたな」
「ライくんのことかな」
「上手くいってないのか?」
「そういうのじゃなくて……好きな人のことを考えると、意味もなく不安になることがあるんだよ」
「あのアニアが? まさか……」
「女の子はみんな同じだよ。少しのことで不安になったり、考え込んだり、心配しちゃったりするんだから」
「……メリスも?」
「セリオンのことならね」
 二人のそんな会話は、無論、アニアネストの耳には届いていない。
 部屋に戻っても何もやる気が起きず、ぼうっと外を眺めていた。
 彼女の部屋から見えるのは、宿の表に面した街路がほとんどだ。この宿を含む通りには、他にも宿屋や食堂、酒場などが並んでいる。雑貨屋などの商店はほとんどなく、主に旅人向けの店舗が軒を連ねていた。
 だからだろう。必然的に、通りを行き交う人にも冒険者が多い。様々な姿の冒険者たちが、1人で、あるいは仲間と連れだって歩く姿が見受けられる。
 中にはこの宿に入ってくる者もいる。
 それはアニアネストもよく知る仲間であったり、同じ宿に部屋を取っている別の血盟の面々だったりした。この宿は老舗の部類に入るため、活動拠点としている冒険者も多い。ほとんどの宿泊客が顔なじみだ。
 見るとはなしに、そんな人々を見つめる。
 あの人たちの中にも、自分と同じように悩んでいる人がいるのだろうか……などと、あまりらしくないことを考えてしまう。
 今、宿から出て行ったポエットなら、もしかしたらそうかもしれない。
 あくまで自分の歩幅で歩くユーウェインを、短い足を一所懸命に動かして追いかけるポエットの姿に、少しだけ気持ちが和まされた。きっと彼女はそんなことを苦にもしていないだろう。むしろそれすら楽しんでいるかもしれない。
(ああいう風になれたら……)
 ふと羨ましい気持ちになる。彼女のように振る舞うには、自分は大人になりすぎているだろう。
 そんなポエットを目で追いかけていたら、その先にもう一人、知った顔を見つけた。
 光を振りまくような金の髪を風に乗せるように流し、軽い足取りでこちらへと歩いてくる、エルフ族の女性。アニアネストが見慣れているローブ姿ではなく、淡い水色のワンピースを清楚に着こなしている様は、冒険者というより、良家のお嬢様のように見える。
(たしかマーガレットの血盟の……)
 自分と同じ、魔法を主とする冒険者であったから、その顔は憶えていた。
 名を、フェーナと言ったはずだ。
 この宿に向かっているのだろうが、その足取りといい、花がほころぶように顔に乗せられた微笑といい、どこか嬉しそうに歩いてくる。
 彼女に気が付いたのか、ユーウェインもポエットも、それぞれ視線と顔だけを向ける。だがフェーナの方は二人に気が付くことなく、そのまま互いにすれ違った。ポエットはさらに顔を振り向かせて、彼女の行き先を追っているようだが。
 アニアネストも、ポエットを追いかけていた視線をフェーナに移し、特に何を気にするわけでもないが、何となくその挙動を見つめていた。
 しかし──
「!?」
 フェーナが宿の前で立ち止まったとき、アニアネストはそれまでの無思考状態から、ひと息に覚醒させられた。
 彼女の前にいたのが、ライだったから。
「どうして……」
 思わず口をついて出る声。
 フェーナと対面したライは、何だか照れたような笑顔。いつも自分がからかったときに見せる、あの顔だ。
 そしてフェーナも楽しそうに笑いながら、2人で何かを話し始める。
 その様子は、まるで恋人同士のようで……
「……」
 アニアネストは、窓辺から離れて、倒れるようにベッドに横たわった。

「あわわわわっ……」
 がくがくと体を震わせながら、物陰からこっそりとライたちの様子を見ているポエット。その小さな頭の中には、よからぬ想像が膨らんでいる。
「う、浮気ですっ! 浮気の現場です!」
 両目を小さな点にして、口も三角形にして、顔中に冷や汗を流しながら、そんなことを呟いている。
 その彼女を、ユーウェインが背後から襟首を掴んで持ち上げた。
「ストーカーか、貴様は」
「だ、だってユーウェインさん! ライがっ……!」
「放っておけ」
 そのままくるりと背を向けて歩き出す。
「他人が口を出すことではない」
「そんな……冷たい……」
「バインとカイナの実例を忘れたか」
 記憶に新しい騒動を持ち出されては、ポエットも何も言えなくなる。
 掴み上げられたままの姿勢で、しゅんとうなだれる彼女を見て、ユーウェインはため息を一つ。そしてわずかにライたちに振り向く。
「心配はないだろう」
 それは些か呆れたような響きを含んでいた。

 その日を境に、アニアネストは再び一人でいることが多くなった。

「えー、というわけで、明日はマーガレットたちと一緒に『火炎の沼』へ行きます。各自、準備をしておくよーに」
 一階の食堂に集まった仲間たちに、エアルフリードが一枚の羊皮紙を手にそう告げる。
 仲間たちからは元気の良い声や静かな返事が返ってくる。
「ただし、私とフロウティア、あと盟主は不参加。理由は聞かないで」
「なんだそりゃ?」
 バインが拍子抜けしたような声を上げる。
 間髪入れず、エアルフリードはそのバインを鋭く睨み付けた。
「聞・く・なっ」
「……らじゃ」
 よほど都合の悪いことらしい。バインが思わず顔を青ざめさせるほどの迫力がある。
 気を取り直すように咳払いを一つして、黙っていれば可憐なエルフは続けた。
「そんなわけだから、明日のこっち側のリーダーは、セリオンお願いね」
「了解した」
「フロウティアがいないから、シアンに負担を掛けることになるわ。プリシラとアドエンは、ちゃんとフォローするのよ」
「はいはい」
 ダークエルフ族の巫女、シアンが気軽な口調と態度で応じ、プリシラとアドエンもうなずいて返す。
「じゃ、以上で解散。不参加者はセリオンに言っておいてね」
 その言葉で、それぞれに席を立ち、自室へ引き上げたり、カウンターで飲み直そうとする者がいたりと、散会する。
 その中で、ライだけは椅子に座ったまま、きょろきょろと辺りを見回していた。
「どうしたの?」
 声を掛けてきたのは、ポエットだ。
「いや……アニアがいないから」
「……最近、一人でいるみたいですね」
 先日のことが頭をよぎり、ポエットは声のトーンを落としてしまう。
 ライはそれを耳敏く捉えた。
「何か知ってるのか?」
「ライこそ、何か隠してません?」
 質問を質問で返され、ライは少しむっとした顔を見せる。しかしポエットの方は、真剣そのものだ。
 仕方なく、先に答えることにした。
「何も隠してないぞ」
「……そーですか」
「この間から、アニアの様子がおかしいんだ。ほら、お前とアレクに相談した日があっただろ? あの日からだな」
 今度はこっちの質問に答えろ言わんばかりに、ライが説明を加える。
 たしかその日に、ポエットはライとフェーナが会っているのを見たのだ。自分たちに相談をしたあと、すぐにアニアネストのところへ行くものだと思っていたのだが……
「知りませんよ」
 そんなライの行動が裏切りのように思えて、つい突き放すような言い方をしてしまう。
「アニアさんに聞いてみればいいじゃないですか」
「だから、部屋に行っても会えないんだ。どこに行ってるのか分からないし……」
「探しに行けばいいんです」
「……お前。この間は『自信を持て』って言ってくれたじゃないか」
「それとこれとは別です。わたしは油断していいなんて言ってませんよ。だいたい……」
 我慢できなくなったのか、さらに何か言い募ろうとしたポエットだったが、その小さな頭を後ろから鷲掴みにされた。
「にゃっ!?」
「おい。明日の準備は済ませたのか?」
 ユーウェインだ。頭を掴んでそのまま持ち上げようとするかのように、ぐぐっとポエットを自分の方へ振り向かせる。
「明日、行く場所は、お前にとっては厳しい。他人の世話を焼いている暇があるなら、少しでも生き残れる備えをしておけ」
「は、はぃ〜……」
 妙に目の据わったユーウェインの迫力に、ポエットはハニワのような顔で大人しくうなずいた。
 そしてユーウェインは、ちらりとライに視線を向ける。
「アニアネストなら、上でセリオンと話している。今なら間に合うだろう」
 そう言い残し、ポエットを引きずるようにして自分たちも二階へと上がっていった。
「……あの、ユーウェインさん。もしかしてジェラシー? 最近ライに構いっぱなしだから……」
「うるさい」
 そんな声が聞こえたが、今はそれどころではない。
 ライは慌てて立ち上がり、二人に続いて階段を駆け上がった。

「不参加か……最近じゃ珍しいな」
 セリオンの言葉に、アニアネストは少しだけ困ったように微笑む。
「気分が乗らないの。ごめんね」
「ん。まあ、無理にとは言わない。しかしライは残念がるだろうな」
「……そうだといいけど」
 沈んだ声でそう呟いた彼女を、セリオンは不思議そうに首を傾げて見つめる。
 ライが駆け込んできたのは、その時だった。
「アニア!」
 二階の廊下には彼ら以外の宿泊客もいるのだが、そんなことは関係ないとばかりにライの声が響く。
 セリオンとアニアネストは驚いた顔をして振り向いた。
「ライ……」
「明日、一緒じゃないのか?」
 周囲の視線が集まるのも気にせず、ライは大股でアニアネストの傍に歩み寄る。セリオンは静かに道を開けて、二人から少し離れた。
 アニアネストの鼓動が早くなる。自然と顔が上気していくのが解る。
「ええ。ちょっとね……」
 顔を背けるようにしてそう言ったものの、彼がすぐ傍まで来ると、ついつい視線を向けてしまう。
「どこか行くのか? なら俺もそっちに……」
 困惑したような、そしてどこか寂しそうな表情でライが自分を見上げてくるのを、アニアネストは複雑な気持ちで見つめる。
 彼を前にするとどうしても高ぶってしまう感情と、先日の光景が同時に存在するのだ。
「気分が乗らないだけよ……」
 そう言って立ち去ろうと思ったのに、それもできない。背反する二つの感情に、少し苛立つ自分がいる。
「もしかして、俺のせいか? 何か気に触ることが……」
 ライのその言葉が、妙に勘に障った。
「う、自惚れないで! そこまできみに執着していないわ」
「!」
 思わず叫ぶように言ってしまった言葉に、自分でもハッとなる。
 ライは衝撃を受けたように、唖然としていた。その表情に、さらに追い打ち掛けられた。
(何やってるんだろ……)
 そう思ったが、口に出してしまった言葉は戻らない。ますます気持ちが沈んでくる。
 その時だった。
「……前言撤回。アニア、きみは強制参加だ」
 セリオンが静かにそう宣言する。
 困惑したように振り向くアニアネストに、セリオンは鋭い視線と口調を向けた。
「きみたちの問題で、血盟内にゴタゴタを起こされるのは困る。どんな結論を出すにしろ、きちんと話し合ってもらいたい。明日、その機会を与えよう。勿論、ライ、きみもだ」
 珍しく命令するような口調で言い切ると、セリオンは反論を許さないかのように、背を向けて立ち去る。
 残されたアニアネストとライは、気まずい沈黙の中でその背中を見送るしかなかった。


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