「プリシラちゃーん!」 いきなり駆け寄って抱きついてきたマーガレットに、少しばかり引きながらもプリシラは笑顔を返していた。 「お、お久しぶりです。マーガレットさん」 二つの血盟が合同で魔物狩りを行うことになった『火炎の沼』で、互いの血盟員が顔を合わせた途端にこれである。プリシラのみならず、マーガレット自身の血盟のメンバーすら、ちょっと引いている。 「相変わらず、元気だなぁ」 そんな二人に苦笑しながら、ファイスがその傍らに並ぶ。マーガレットは両手で撫でくり回していたプリシラの髪から顔を上げ、ファイスにも笑顔を向ける。 「そりゃあ、二人に会える機会ですもの。元気にもなるわ」 「プリシラ好きも相変わらず、か」 やれやれと肩をすくめるファイス。 その彼女の後ろから、セリオンが一歩前に出てきた。 「マーガレット、今日は俺がこっちのリーダーだ。よろしく頼む」 「ああ、また盟主さんはいないのね」 そう言ってうなずいてから、マーガレットは何かを思い付いたように、目を輝かせた。 「ね。ものは相談なんだけど、ファイスとプリシラちゃん、うちにくれない?」 「またその話か」 セリオンも思わず苦笑する。彼女はだいぶ以前から、同様の話を何度も持ちかけてきているのだ。よほどファイスとプリシラを気に入っているらしい。 「代わりと言ってはなんだけど、アレ、そちらの血盟にあげるから」 言いながら、右手の親指でくいっと後ろを指さす。そこには…… 「あぁん。今日もいいオトコいっぱ〜い☆」 鋼のような肉体をくねらせて、黄色というより茶色っぽい歓声を上げるバズヴァナン(人間・男?・パラディン)の姿があった。 「いらん」 思わず真顔で即答するセリオン。 そのあまりにクールな対応に、マーガレットも素直に引き下がらざるを得なかった。 「──以上が、今日の編成だ。各自、自分の所属するパーティーは把握したな?」 セリオンの言葉に皆がうなずいて応える。 「よし。では、行ってこい」 最後に笑顔を見せて仲間たちを送り出し、自身はメリスやマーガレットたちと共に、拠点となる場所を確保する役目に回る。 もしも重傷を負った者が出た場合や、魔物に適わず撤退する者たちがいた場合、それを援護するためにも、こうした場所は必要なのだ。特にこのような危険地帯では。 拠点の目印として立てられたフラッグポールと、その周囲に簡単な柵を巡らせただけの場所に入るセリオンの背後に、小さな人影がとことこと近付いてきた。 その気配に振り返り、首を傾げる。 「どうした、ポエット?」 長身のエルフを見上げるポエットの顔は、いかにも不安げに曇っていた。 「あ、あの……ライとアニアさんは……?」 先ほど発表されたパーティーの編成に、二人の名前がなかったことが、彼女をセリオンの下に来させたのだ。 しかしその不安そうな少女とは対照的に、セリオンはいつものように優しい笑顔を見せる。 「あの二人は別の、特別な任務についてもらっている。心配ないよ」 「そ、そうですかぁ……」 「さ、早く行った方がいい。みんなに置いていかれるぞ」 セリオンは安心させるようにそう言って、ポエットの小さな頭を優しく叩いた。 あまりに直截なこの処置に、アニアネストは軽い目眩すら覚えた。 セリオンが用意した舞台は、彼女とライを二人きりで放り出すことだったのだ。 (セリオンに手の込んだことは無理だったわね……) メリスへの接し方を見ても、彼が不器用な人物であるのは判る。何かを期待していた自分に、アニアネストはため息を漏らした。 その憂鬱そうな彼女の隣には、少し緊張した面持ちで、ちらちらと様子を窺っているライがいる。 彼とすれば、久しぶりに二人きりになれた喜びと、今までのことをきちんと話せる機会を得たことへの期待感で、すぐにも何か行動をしたいところなのだ。 しかし、案外にそれが難しい。 いざとなると、考えていた言葉すら忘れてしまって、何から始めればいいのか分からなくなっていた。 (アニア、やっぱりまだ何か怒ってるのか?) 相手の様子を窺いながら、話を切り出すきっかけを探るのが精一杯だ。 不意に、アニアネストがちらりとライを見た。彼の視線に気が付いたからだ。 頬に朱を差して、慌てて目を反らすライ。 そんな彼に、アニアネストは一つ息を吐いて、口を開いた。 「……別に、怒っているわけじゃないわ」 ライが何を考えているか解ったわけではないが、今の自分を客観的に見ればそう思われるだろうことを、口に出してみる。 ライは弾かれたように顔を上げ、アニアネストを見つめた。 「じゃあ、なんで……」 「……わからない」 ぽつりと答えた後、アニアネストはおもむろに右手を前方にかざした。いつの間にか練られていた魔力が、その掌から放出され、そこにいたハーメスオークの戦士を吹き飛ばす。 その一連の動作を目で追って、唖然としてしまうライ。 アニアネストは少し拗ねたような表情を見せて、その顔を背けた。 「自分の気持ちがわからなくなることだってあるわ」 頬に朱が差しているように見えるのは、何もこの地の気温が高いせいばかりではないだろう。 そんな彼女の表情を、ライはまたぽかんと口を開けて見つめてしまう。照れている彼女を見るのは、初めてだ。 それが解ったから、一呼吸ほどの間を置いて、彼はくすりと苦笑した。 「てっきり、俺の研究に反対してるのかと思ってた」 笑われたことに対してか、それともそんな表情を見せてしまった自分に対してか、そう言って久しぶりに笑顔を見せてくれた彼に、アニアネストはあまり面白くなさそうな視線を返す。 ライは肩をすくめてみせた。 「あの話をしてからだったからな。アニアが変になったの」 「反対なんてしないわ。するわけないじゃない……」 「そうか? なんか否定的だったろ?」 「釘を刺しただけ……ライが力に魅入られているような気がしたから」 「大丈夫だって言っただろ」 自信たっぷりにそう言いきったライの顔は、やっぱり少し大人びて見えた。 その表情に、胸が高鳴る。 あの時と同じだ。 (ああ……これでやられたのかな……) ふと、そんな気がした。 それは、少しだけ悔しい認識だ。しかし同時に、嬉しくもある。 アニアネストには、やっぱり自分のことがよく解らなかった。 「それで?」 「──え?」 ライがアニアネストの前に回り込み、背伸びするようにして、見上げる。 「アニアが迷っていたことは、何なんだ?」 「……」 ライの表情は本当に不思議そうで、純粋な疑問をぶつけているだけだと言っている。 幼さを残したその顔で小首を傾げられると、今度は胸がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。 (……これも卑怯よね) まるで小犬のようなライのその表情と仕草に、心の中でそんな文句を言いながらも、またまた体温が上がってしまう。 可愛いと思ってしまうのは、年頃の男の子には失礼だろうか? 「はっきりしないのが嫌なのよ」 そう言って、顔を背けた。いつの間にか止めていた足を、再び動かし始める。 「何がはっきりしないんだ?」 ライも慌ててその後を追いながら、さらに疑問をぶつける。 「それを言わせる気?」 アニアネストは気恥ずかしさを隠すためか、少し語気を強めて応じる。 「よく解らないな」 「……鈍感ね」 「言ってくれなきゃ、解るわけないだろ?」 くるっとライが回り込み、アニアネストの行く手を遮るように立つ。そして先ほどと同じように……いや、先ほどよりも真剣な表情で、彼女を見上げた。 「俺の気持ちは、はっきりしてるんだ」 「──!」 その言葉に息を呑んだ。 直後に、彼の背後にある気配に気が付く。 「ライ!」 とっさに彼を庇うようにその細身の体をどかしながら、空いた腕に魔力を練る。 人の二倍はあろう巨体を誇る、蜥蜴が翼を持ったような魔物──ウォームが牙を剥き、低空から襲い掛かろうとしているのだ。 突き飛ばされるようにして、地面に倒れ込むライの前で、アニアネストの左腕から、闇色の風が放たれる。しかし…… 「失敗したっ!?」 自らの腕から放った魔力の風が、不完全な流れでウォームに到達するのを見て、アニアネストは驚愕の声を上げる。 キャスティングミス。呪文を間違えたのだ。 (集中力が無いからっ……!) 普段なら有り得ない失敗である。唇を噛み締めながら、自分の未熟さに毒づく。 「かわせ!」 ライの声が聞こえるまでもなく、彼女は自分の体を地面に転がすようにして、ウォームの牙から遠ざける。固まった溶岩でできた地面は、彼女の陶器のような肌を傷付ける。 必殺の奇襲をかわされたウォームは、そのまま上空へと舞い上がり、大きく息を吸い込む。その閉じた牙の隙間から、オレンジ色の炎がちろりと覗いた。 今からでは、呪文が間に合わない! その判断と、次に来るであろう灼熱の洗礼に身を固くする。 ──その時、視界の端にライが小さな巻物を開くのが見えた。 「こいつでどうだ!」 そう叫びながら、巻物をかざす。 開かれた巻物は自ら光を発して輝くと、まるで水が渦を巻くように虚空で形を変えていき、一瞬、こぶしほどの光りの球になる。そして次の瞬間にそこから巨大な『氷』の柱を出現させ、ウォームに向かって凄まじい速度で伸びていった。 『!?』 アニアネストも、そしてライも、その光景に同時に目を見張る。 不意を衝かれたウォームは、巨大な槍のような『つらら』に空中で貫かれ、その傷口から凍り付いていく。口に蓄えた炎さえも凍らされ、浮力を失った巨体が地面に叩き付けられて砕けるのに、さほどの時間は要さなかった。 巨大な氷の彫刻が砕け散る様子を、惚けたように見つめるライとアニアネスト。 飛び散った氷が周囲の高温で溶かされ、蒸発するまでの時間をそうして過ごし、ようやくアニアネストが正気づいて顔を上げた。 「ライ! あなた、何をしたの!?」 痛む体のことも忘れて、いまだに座り込んでいるライに駆け寄る。 ライはやけに憔悴した顔を上げて、微笑した。 「巻物に蓄えておいた魔法を解放したんだ」 「蓄えておいた? どうやって!」 「ちょっと特殊な巻物なんだけどな……しかし、これは思ったより消耗するなぁ」 疲れたように呟きながら、地面に体を投げ出して横たわる。アニアネストは慌ててその体を支えようとしたが、ライが手を添えてそれを遠慮した。 「ちょっと魔力を使いすぎただけだ」 「……あの魔法、エルフのものよね?」 フェーナのことが思い出される。彼女が普段使っている魔法と、よく似ていた。 ライは一つうなずいた。 「俺以外の術者の魔法を、巻物に入れることができるかどうか、試したかったんだ。盟主に相談したら、ちょうどいい人がいるって紹介されてな」 「どうして私じゃ……」 ──ダメなの? そう言い掛けた唇を、ライの人差し指が遮る。 「内緒にしといて、驚かせたかった」 そう言って笑った彼の大人びた仕草に、アニアネストの顔が上気する。 それからライは空を見上げるようにして、言葉を続けた。 「けど、まだ改良の余地があるな。使用者じゃなくて、魔法を入れた術者の魔力に依存してる。効力は申し分なくなるだろうけど、その分、使用者の消耗も激しくなるな。普通の奴なら、これだけで死ぬかもしれない」 それは、魔法を使うことができない、一般人のことを指しているようだった。 なるほど。フェーナほどの術者の魔法を、今のライが使えばこうもなるか、と納得する。 「無茶するわ……」 ほっと息を吐いて、アニアネストも気が抜けたように、ライの傍に座り込んだ。 「このことだったのね。きみが前に言っていたことは」 「ああ。この巻物が完成すれば、魔法を学んでない奴でも使うことができる。夜に明かりを灯すことも、小さな怪我を治すことも、誰にでもできるようになるんだ。──これって、魔法の本当の使い方だろ?」 人々の暮らしを豊かにする── それが本来の魔法の在り方だと、遙かな昔に唱えられていた。それは建前上、現代でも用いられる方便であるが、実際には様々な欲によって歪められている。 ライはそれを正そうとしているのだ。 「……ま、これも悪用されることはあるだろうけどな」 寂しそうにそう呟いた彼に、アニアネストは優しく微笑んだ。 たしかに道具である以上、使い手次第でどのようにも変わるものだろう。だがこの研究が完成すれば、それを上回るほどの恩恵が人々に与えられるはずだ。 そう考えるからこそ、彼はこの道を選んだのだろうと思う。 そのことが、妙に嬉しい。 彼の魔法に対する純粋さは、誰よりも自分が一番知っているから。 だからきっと…… 「これからは私にも手伝わせてくれる?」 「もちろん。これを見せたかったから、今日はどうしても一緒にいたかったんだ」 「可愛いこと言ってくれるのね」 「……そういう言い方、いい加減やめてくれ」 ライは少しむっとした顔をして起きあがる。 「いつまでも子供扱いされるのは、嫌だ」 そういうところが可愛らしいのだと、アニアネストは苦笑する。 「そうね。もう一人前だものね」 「ああ」 「じゃあ……さっきの言葉の続き、聞かせて?」 囁くようにしながら、ライに身を寄せる。 自分の鼓動も早くなっているが、ライの方はもっとドキドキしているだろう。それがちょっとだけ楽しい。 間近に見るアニアネストの美貌に、ライはやはり顔を真っ赤にしてしまう。 しかし…… 「──ンっ!?」 唇を寄せられた瞬間、アニアネストは何が起きたのか解らなかった。 痛いくらいに押し付けられる、彼の唇。少し乾いているような、ちょっとかさつく感じ。 目を丸くするアニアネストとは対照的に、きつく目を閉じたライ。 どれくらいの時間だっただろう。アニアネストが事態を把握した頃に、互いの唇が離れた。 赤い顔で、それでも真剣な眼差しを彼女に向け、ライはこう言った。 「俺は、ずっとアニアのことが好きだ」 言葉が胸に落ちていく。 そして染みていく。 アニアネストは、大きく開いた瞳から涙を零していた。 「……私も」 感情が溢れるというのは、初めての経験だ。だから歯止めがきかない。 「私もずっと好きよ……ずっと……」 涙を零しながら、笑顔を浮かべて、彼女はようやく自分の気持ちを、はっきりさせることができたのだった。 →エピローグへ |
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