(やはり、見られている) 獣の姿を持つケルマフム族のプラチナムたちが徘徊する場所で、オーク族の司祭たるアドエンは足を止めて、振り返ることなく自らの背後を窺う。 前方には、襲い来るプラチナムたちと果敢に刃を交える戦友、バインとカイナ。 そして後方には── 「…………」 この傲慢の塔と呼ばれる建築物を構成する石壁に隠れるようにして、こちらをじーっと見つめているオーク族の若者の姿があった。 (不気味だ) 彼女が同族に対してそう思ったことは、過去に一度しかない。親友のカイナがバインと結ばれる以前、心ここにあらずといった風に彼を見つめていた姿を見たときだけである。 同族の誇りである強靱で巨大な体躯を、通路の角に当たるそこに半分だけ隠すようにして立ち、何をするでもなく、ただこちらの様子を窺うように見つめてくるその姿も、もちろん不気味なのだが、彼女がそう感じたのは他の理由によるものだった。 (何か喋れ。行動しろ) その点である。 自分も含めてオーク族というのは、「静」ではなく「動」を旨とする気質が強い。それなのに、ただじっと見つめているだけというのは、いかにも不気味であった。 状況によっては「新手の刺客か」とも思えるのだが、自分もカイナもそんなものに狙われる心当たりはない。第一、刺客にしては襲ってくるのが遅すぎるし、奇襲を企んでいるにしては、あれだけ間抜けな隠れ方もないだろう。 もっとも、オーク族ほど暗殺に向かない種族もないのだろうが。 (それにしても、あれはどこのどいつなのだ?) まるで狼が吠えるような声を上げながら戦うプラチナムたちと、それに応ずるように怒声を上げるバインが、黙々と槍を振るうカイナと共に、前方で激しくぶつかり合っている。声だけだと野良犬の喧嘩のようでもあり、何だかとても間抜けだ。 そんなことを思うと同時に、背後の男も気に掛けることができるアドエンである。 あの男の顔には、見覚えがないようで、あるような気がしていた。 彼女は元々、部族や血盟の仲間以外の人物を憶えることが、不得手である。というよりも、憶えようとしていない。 今はどこに行くのもカイナやバイン、血盟の仲間と一緒であるし、そうでなければ一人きりだ。特にそのことで不自由を感じたことはなかった。 しかし今は、そんな自分の記憶力というか認識力に、少しばかり腹が立つ。 (なぜ憶えておかなかったのだ。過去の私) ぶつぶつと口の中で呟いてみるが、やっぱり腹が立った。できることなら、時間を遡って過去の自分を殴り飛ばしてやりたい。でもたぶん反撃されるだろう。ということは、自分と戦うことになる。 「……それも面白い」 「アドエン! 何やってんだい!」 妙な想像をして、ヴェールの下の唇を緩めたとき、カイナの叱咤が飛んできた。目の焦点を前方に当ててみると、プラチナの鎧を纏うケルマフムたちに、バイン一人が囲まれて、いびられていた。 「面白い状況になっている」 「面白くない! あんたがちゃんと援護しないからだろ!」 「旦那の背中くらい、お前が守ってやればよかろうに」 「アタシだってやってんだろ!」 見ればカイナは、それ以上の敵を寄せ付けないように槍を振るっている。しかしどうも、その動きが鈍い。いつもの鋭さがなく、ケルマフムたちに当たる穂先も、彼らの鎧や体毛を散らす程度に力がない。 「ふむ。調子が悪そうだな」 「わかってんなら、なんとかしなっ!」 「了解だ」 頷いたアドエンは右手を前方にかざし、朗々と歌い上げるように呪文を唱えた。その声と彼女のマナに呼応し、かざした掌に炎の印が浮かび上がる。そしてその瞬間、 ──ごうっ。 バインとカイナの全身を不可視の『炎』が包み込み、二人の体の奥底から力が湧き上がる。 「一角を崩すぞ。立て直せ」 そして彼女は、矢継ぎ早に呪文を唱えていく。ある者は眠らせ、ある者には恐怖を与えて背を向けさせる。 (そういえば、つい最近にもこんなことがあったな) ぱたりと倒れて安らかな寝息を立てるケルマフムや、炎の印を見て逃げ出す彼らを見て、ふとそのことを思い出した。 「よっしゃ! 無事か、カイナ!」 包囲が崩れたことで飛び出したバインが、苦戦するカイナと背中を合わせて構える。 「まだまだ、いけるよ!」 「よし! 一撃で決めるぞおっ!」 気勢を上げて大上段に槍を振り上げるバインの姿に、アドエンは記憶の片隅に転がっていたパズルのピースを拾い上げた。 「……おお。あの時の男か」 そして今度ははっきりと振り返り、隠れているつもりで隠れていない、その同族の若者を確認するのだった。 その日。アドエンは、共に魔物狩りへと出掛ける約束だったカイナとバインを先に行かせ、自分は遅れて宿を出た。 理由は大したことではない。先日の一件でごねる盟主から、ソウルショットやスピリットショットをせしめることに時間が掛かっただけである。 「盟主をいじるのは愛情の裏返しではないか。アリス殿は可愛らしいと思うぞ」 「……年下に可愛いとか言われても、とても複雑だわ」 顔を赤くしてぶつぶつと文句を言いながらも、盟主は大量のソウルショットらが詰まった袋を手渡してくれた。おまけにバインらに持たせる、傷薬の類も付けて。 こういうところが面白いと思うから、彼女はこの血盟にいるのだ。親友であるカイナの存在も大きいが、この盟主の存在も同じくらい、自分の中では大きいと思う。 「き、気を付けて行きなさいよっ」 フロウティアらと共に見送ってくれた盟主に会えるのは、また一週間以上あとのことになるだろう。 そんなことを考えながら、約束している狩りの場所へと向かう。 その途中のことだった。 あの男と出会ったのは。 「……そのままだと死ぬな」 通りかかったその場所で、巨大な槍をがらんどうの体で振り回すドゥームナイトを始めとしたアンデッドに囲まれている、同族を見かけた。だからつい、近くに寄っていってそう声を掛けていたのだ。 彼はちらりとこちらを見たようだったが、何か言い返すわけでもなく、ただ黙々と手にした槍を振るっている。 その動きは、硬い。 まるで初めて槍を使うかのような、危なっかしくてぎこちない動きだ。 そんな動きでは、生前に歴戦を誇っていたドゥームナイトらの敵ではない。彼らはアンデッドとなってもその戦闘技術を失うどころか、恐怖心などを持たなくなった分、より強くなっているのだ。軽々と躱されたり、受け止められている。 それでも彼は、その横顔に焦りの色をうかべるでもなく、また苦しげに歪めることもなく、ただただ槍を繰り出す。硬い表情から、必死さだけは伝わってきた。 (これまでは他の戦法を用いていたのか。己の力を常に更新しようとする、その姿勢は買うが、無謀でもあるな) 一技に溺れることなく、さらなる力と可能性を求める向上心は、心地よいものだ。しかし鍛錬とは、基礎から地道に繰り返すものである。これでは鍛錬どころか、訓練にすらならない。 「特別に、手を貸そう」 本当は相手が言い出すのを待ちたいところだったが、どうにもそういう気配はない。本人の思考がどうであれ、むざと見殺しにすることなど、できるはずがなかった。 杖をかざし、右手を添えて、呪文を歌い上げる。 浮かび上がる炎の印に、無口な男が再びこちらを見たような気がした。 そしてその印が彼の背後を襲うアンデッドを捉えたとき、心を持たないはずの兵士が背を向けて走り出す。そして次に唱えた呪文で、別の兵士が動きを止める。 本来、アンデッドに精神操作の魔法は効力がないと思われがちだが、そうではない。アンデッドにも「怨念」や「妄執」という『感情』があるのだ。魔法とは、それを操作することにある。 もっともアドエンの言葉を借りれば、 「パアグリオは偉大なのだ」 ということらしいのだが。 少しだけ得意げな彼女の言葉に、男が槍を振る手を止めて、ぽかんとした表情を向けてきた。 アドエンは思わず眉をひそめる。 「おい。戦場で立ち尽くす馬鹿者がいるか」 言うと同時に杖を振り、一団の中で最も力があるドゥームナイトを青い炎で包み込んだ。度重なる仲間への魔法とその攻撃で、かつて指揮官クラスだった彼の者の注意が、アドエンに向けられる。 先に倒すべき相手が、彼女であると判断したらしい。 乾いた大地を削るようにして、一直線に向かってくるドゥームナイト。銀の甲冑に包み込んだその巨大でがらんどうの体が、一瞬、宙に舞う。 「こけおどしを──」 アドエンはその動きを目で追いつつ、左手の杖をすっと下げた。 「するなっ」 宙に舞ったドゥームナイトが、鋭い穂先のごとき両足を向けたとき、彼女の長い杖が振り上げられるように一閃し、その脚部を粉々に砕け散らす。 「貴様ごときでは、ぬるすぎる」 そして無様に着地した鎧のアンデッドを、華麗な回し蹴りで地に返してやるのだった。 「修行はいいがな。実力はわきまえておくことだ。己を過信する者には、如何なる神の加護もない。ましてや我らがパアグリオなら、尚更だろう」 結局、残りのアンデッドも彼女が一人で掃討した。呆気に取られているような男に、アドエンは冷淡にそう言い放つ。 男は相変わらず、ぽかんとした顔で彼女を見つめていた。それは先ほどまでの一心不乱な表情とは、アインハザードとグランカインほどに違っていると思うアドエンである。 (よく見れば、何だかみすぼらしい奴だな) 冒険者にしては身に着けている物が少なすぎるし、わずかに持っている物も先ほど振っていた貧相な槍と、ずたぼろのバックパック一つだけだ。纏っている鎧も、動物の皮をなめした物に、重要な部位を金属で覆っているだけの簡素な物。それも今の戦いで、かなり痛んでいる。 とてもこの辺りを拠点にしている冒険者とは思えなかった。 「というか、お前、冒険者なのか?」 いささかあきれ気味に訊いたその言葉にも、男は反応しない。 アドエンは一つため息を吐いた。 「まあ、いいがな」 そう言ってから顔を上げ、ふと彼の全身が傷だらけであったことに気が付く。あれだけ囲まれていたのだから当然だが、意外にも重傷と呼べるほどの傷はない。 (変な奴だな) そのアンバランスさに眉をひそめつつ、彼女は自分の腰に提げていた袋のことを思い出し、それを投げ渡した。 「それをやるから、大人しく帰ることだ。もっと鍛えてから出直せ」 そして背を向ける。 彼が何かもごもごと呟いたように聞こえたが、ちゃんと聞こえなかったので、そのまま無視して走り出した。 カイナたちとの約束に、随分と遅れてしまっていたのだ。 「──というようなことが、あったのだが」 アドエンの話に、バインとカイナが顔を見合わせる。それから背後に振り返り、隠れているようでいて実はそのつもりもないんじゃないかと思われる、オーク族の男を見てみる。 彼は二人の視線を受けると、今さらのように全身を隠した。 「……ちょっと前から付いてきてるあいつが、その時の奴だってのか」 「もう一週間くらいかい? 礼でも言いたいのかねぇ」 眉根を寄せて、男が隠れた通路の角を見つめる二人。その表情は、いい加減にうんざりしているとでも言いたそうである。 アドエンは腕を組んで唸った。 「それならば、すぐにも言ってくれば良かろう。何か他に目的があるに違いない。例えば、決闘の申し込みとか」 「いや……それはないと思うけど……」 真剣な顔で考え込むアドエンに、カイナは引きつったような笑顔で手を振り否定する。 しかし、男が隠れた角を見ていたバインは、そこから男が顔半分だけをずずずっとみせる様子に、口元をにやりと歪めた。 「いや。そうでもないかもしれねぇぞ」 アドエンとカイナが、不思議そうに顔を上げる。 「なんだ? 何か解ったのか?」 「知ってるなら言いなよ」 二人の言葉にバインは楽しげな表情で振り返り、親指で背後を指しながらこう言った。 「ありゃあ、惚れてるな」 アドエンは後にこの時のことを、こう語る。 「何かのギャグかと思った」 ──と。 →第2話へ |
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