「おめでとう! 全問正解だ!」 少しだけくたびれたような中年のヒューマンから笑顔でそう言われ、アリシアリスは緊張に強ばっていた顔をぱあっと輝かせた。 「と、とーぜんよっ。あたしは記憶力、いいんだからっ」 その嬉しそうな表情にそぐわない、強気な口調と言葉でそう言いながらも、内心では冷や汗を拭っている。まさか各地のペット協会員から聞かされた話が、出題の回答になっているとは思っていなかったからだ。そもそも、こんな試験があるとも予想していなかった。 だがこれで、念願だったペットを手に入れることができる。その喜びは隠しようがない。 しかしその彼女とは反対に、ヒューマンの男性は申し訳なさそうに顔をしかめた。 「本来ならここで、ウルフの一匹をあげたいところなんだけど……」 雲行きが怪しくなってきたことに、彼の前に立つドワーフ族の少女は不審げに眉をひそめる。 「なによ?」 「ここのところ、やたらと冒険者の人たちが来るようになってね……さすがに私のところだけでは、ペットの飼育数が足りなくなってきているんだ」 冒険者はここ数ヶ月で爆発的に増えている。それはヒューマン族の呼びかけに応えた他の種族たちが、それぞれ若い人材を世界に送り出しているからだ。 無論、アリシアリスもそんな一人である。 「そうなの……」 だから事情が何となく解り、彼女は肩を落とした。 ヒューマンから見れば、まだ幼い子供にしか見えない彼女の落ち込む姿に、ペットブリーダーの第一人者を自負するマーティンは、憐憫の情をかき立てられる。 「いることは、いるんだけどね……」 そう言って、傍らに置いてあった木箱の中から、小さな首輪を取り出す。 アリシアリスは弾かれたように顔を上げて、その首輪をきらきらと輝く瞳で見つめた。 「い、いるじゃないっ」 「いやそれが……見てのとおり、この首輪のサイズに入るような、まだ子供のウルフなんだよ。訓練も終わってないし、何より幼い。冒険者のきみの役には立たないだろう」 「子供のウルフ……」 その言葉に、アリシアリスの頭の中に鮮明な映像が浮かび始める。 ドワーフの自分でも腕の中に収められるような、小さな体躯。成年のウルフとは違い、筋肉も成長しきっていなく、全体的にころころとしたその体を、生え替わり前のふわふわな体毛が包んでいる。肉球もピンク色で、触るとぷにぷにと…… 「お嬢ちゃん?」 「──ハっ!?」 軽く妄想世界旅行を楽しんでしまっていたアリシアリスを、今度はマーティンが不審げに見つめる。 わずかに顔を上気させながら、アリシアリスは開いた右手を勢いよく彼の眼前に差し出した。 「し、仕方ないから、それをもらってあげるわっ」 「……おじさんの話を聞いてたかな?」 「ま、まあ、あたしとしてはとっても不本意なんだけどねっ。あたしが欲しいのは、ギランまでの間を往復させられた労力に見合う対価だったわけだしねっ。ほんとは子供のウルフなんて、これっぽっちも欲しくないんだけど、何かの形で対価をもらわないと、ドワーフ族『黒の金敷』の長、アリンの娘としては、帰れないわけなのよっ。だから早く、その子ウルフをよこしなさいっ」 とても偉そうな態度と口調だったが、その内容は何だか言い訳じみてもいるし、聞いてもいないのに自己紹介まで混ざっているあたり、本人の必死さが伝わってくる。 しかも、その表情がまるで餌をもらう小犬のようにきらきらと輝いていては、説得力など皆無である。ペット専門家であるマーティンには、彼女の頭とお尻に耳と尻尾がはっきりと見えていただろう。 「そこまで言うのなら」 彼は苦笑しながら、小さなウルフの首輪を、同じくらい小さな手の平の上に乗せていた。 「名前、名前……どうしようかなぁ」 首尾よくウルフを手に入れたアリシアリスは、グルーディンの広場をゆっくりと歩きながら思案するように呟く。 嬉しそうに、緩みきった顔で。 その視線は、右手の上に乗せた小さな首輪に注がれている。 雪に包まれたドワーフの村からこの港町にやってきたとき、最初に目にしたその姿が焼き付いた。冒険者が連れて歩く、たくましい狼の姿が。 ──ペット。 それはドワーフの村にもいた。一緒に戦うのではなく、愛玩用としての動物が。 (冒険者でもペットを飼っていいんだ) 妙な感想だったが、アリシアリスとしては盲点だったそのことに気が付かされ、たちまち自分も欲しくなった。 勿論、村にいたような愛玩用のペットではない。共に戦ってくれる『仲間』を。 彼女はずっと一人だったから。 ならば他の冒険者を友人とし、仲間になればいいと思われるかもしれないが、そこはそれ。彼女自身の性格が許してくれない。 自覚はしていても、どうしようもない。また、どうにかしようとも思っていない彼女だったが、やはり独りぼっちは寂しい。 そこで、ペットというわけである。 手に入れたのは、求めていた精悍な相棒とは違うけれど、共に成長していく喜びは普通よりもずっと大きそうだ。 そのことを考えると、アリシアリスは緩む頬を抑えきれなかった。 「やっぱり、実物を見てから決めた方がいいかなぁ……うん。見た目に似合う名前っていうのも、大事だもんね」 誰が聞いているわけでもないのにそんな理由を付けて、彼女は右手の小さな首輪を器用に操り、手の平の上から人差し指と中指にはめるように動かし、その指でくるりと回す。 「でておいで」 回転させた首輪をその勢いのまま、すっと宙に投げるようにすると、首輪は光を放ってアリシアリスの前に浮遊し、ゆっくりと地面へ向かっていく。石畳が敷き詰められたそこに、首輪の放つ光から生み出された『ゲート』が出現していた。 アリシアリスの目が期待と喜びに輝く。 だがその時、 「邪魔だ!」 ──どんっ! 「あうっ!?」 誰かに激しく背中を突かれ、彼女は前のめりに石畳の床へ叩き付けられた。 開き掛かっていた『ゲート』が閉じ、宙に浮いていた首輪も光を収めて力なく地面に転がる。 何とか手を付いて、顔から転けることだけは防げたが、打ち付けた肘やら脚やら、あちこちが痛む。 その痛みを怒りに変えるように、彼女はきつく尖らせた瞳を背後に振り向けた。 「なにすんのよっ!」 そこにいたのは、数人の冒険者。いずれもヒューマン族だが、その成長速度を比較してみれば、アリシアリスと同程度の年齢と言えるだろう。 しかし、その見た目も発する雰囲気も、駆け出しの彼女とは大きく違っていた。すでに多くの冒険をこなしている者たちだろう。 体を起こして睨み付けるアリシアリスに、彼女を突き飛ばしたらしい先頭の男が、小馬鹿にするような視線を向けてくる。 「広場の真ん中で突っ立てんじゃねえ。通行の邪魔だ」 「はぁ? こんな広い場所でなに言ってんのよ! 避けて通ればいいでしょ!」 「ペット出してんじゃねぇって言ってんだよ。ただでさえ、露店があって通りにくいんだからな。これだから初心者は困るんだよなぁ」 先頭の男がそう言うと、周りの者たちも同調して馬鹿にしたように笑う。 アリシアリスの顔が、沸騰する湯のようにみるみる赤く染まっていき、怒れるオーク族もかくやという表情へ変わっていく。 ──もう一度言おう。 彼女に仲間ができないのは、彼女の性格に依るところが大きい。 「だいたい。ここまで来て、まだウッドンそう……」 「馬鹿にすんなぁーっ!」 まだ何か言おうとしたヒューマンの男に、アリシアリスは渾身の拳を叩き付けた。 股間を狙って。 「ぉぐっ……!?」 「駆け出しで悪いかぁーっ!」 さらに怒りにまかせ、うずくまり掛ける男の膝下を、正面から蹴りつける。 防具を身に着けているとはいえ、人体の弱点を二カ所も攻められては、たとえ歴戦の冒険者であっても耐えられないだろう。そして目の前の男は、そこまで歴戦ではなかった。 「ぐぁ……ぁ……」 情けない格好でうずくまった男を、今度はアリシアリスが見下ろす。小さな胸を張って。 「ふんっ! あんたたちなんかより、あたしの方がまともな冒険者やってるわよ!」 「このガキっ!」 男の後ろにいた仲間らしい数人が、気色ばんで武器に手を掛ける。 しかし、アリシアリスは臆することなく彼らを見上げ、軽蔑したような視線を向けた。 「ガキじゃないわ。あんたたちヒューマンの基準で言わないでくれる?」 「うるせえ! ただで済むとおもっ──」 一人の男が言い掛けた時だった。 彼の頭に、まだ熟し切っていないような青いリンゴがぶつかったのは。 「──あ、ごっめーん。それ、まだ堅かったみたいね」 いつの間にか、彼女たちの周りにできていた人垣。その最前列から聞こえた軽い口調の声に、きょとんとしたアリシアリスと殺気立った男たちが、同時に振り向く。 リンゴがいっぱいに詰まった麻袋を片腕で抱くようにかかえ、空いた片手に青いリンゴを持ったエルフの女性。洗練された美を持つその顔を、さらに彩るように艶やかな微笑みを浮かべる。 「ま、勘違いしてるノーミソをまともにしてやるには、ちょーどいいかもね」 あまり美しくない言葉と共に。 「やぁ、それにしても。中身が詰まってないと、いい音するわねー」 「ぶ、ぶっ殺すぞ!」 リンゴをぶつけられた男が、腫れ上がった頭を押さえながら恫喝する。 対するエルフの女性は、その切れ長の目を楽しげに細めながら、不敵に微笑んだ。 「弱い者いじめクンにできるかなぁ〜?」 「なっ──」 「ちょっと待てぇーっ!」 怒りに顔を歪める男を遮り、エルフの女性の前に飛び出したのは、助けられているはずのアリシアリスだった。 彼女もまた、すごむようにエルフを睨み付ける。 「誰が弱いっですってぇ〜ッ!?」 「あ、あれ? そこに反応しちゃうわけ?」 すごまれたエルフの女性は、戸惑いながらも笑顔で応じる。アリシアリスは地団駄を踏むように足を鳴らしながら、人差し指を突きつけた。 「訂正しろ、訂正! あたしは弱くない! 今も勝ってたでしょっ!?」 「ん〜……でも客観的に見て、どこをどう切り取っても駆け出しちゃんだし」 「あ、あんただって似たような装備じゃない! 駆け出しのくせにぃっ!」 「あれ? ばれてる。そーなのよ。やっとこ、エルフの村から出られたんだけどさー」 「あたしはこの道、一ヶ月よ! あたしの方が先輩だもんね!」 「いやいや。私もそんなもん」 「ち、違うもん! 絶対あたしが先だもん!」 ムキになって言い張るアリシアリスに、エルフの女性はぱたぱたと手を横に振りながら、澄ました顔で自分の経歴を話し始める。 置き去りにされた格好になったのは、アリシアリスに絡んだはずの冒険者たち。リンゴをぶつけられた男を筆頭に、ぽかんと口を開けて二人のやりとりを眺めていたが、話が互いの倒した魔物の強さ比べに至ったとき、その内容に自分たちの目的を思い出した。 「て、てめえら! ジャイアントスパイダーくらいで騒ぐんじゃねぇ! 俺たちはもっと凄いのと……」 「うっさい! 黙れ自己中!」 「今いいとこだから、邪魔しないでくれる?」 微妙に的外れな男の言葉は、またも最後まで言わせてもらえなかった。 男たちの怒りが頂点に達する。よく保った方だとも言えるだろう。少なくとも、周囲のギャラリーはそう思ったという。 彼らが無言で武器を構えたその時、そのギャラリーの中から一人の女性が、小声でアリシアリスたちに話し掛けてきた。 「あのぉ……お相手してさしあげた方が、よろしいと思いますよ?」 「ん?」 アリシアリスが顔を上げると、白いローブをまとったヒューマンの少女が一人。やはり同い年くらいだろうか。ローブの色がとてもよく似合う、穏やかで清楚な雰囲気に包まれている女性だ。 彼女が苦笑しながら指を差す、その先に目を向けて、エルフの女性がため息とも取れる吐息を吐く。 「あー……まあ、あっちも収まり付かないだろうしね〜」 「はい。よろしければ、私もお手伝いいたしますので」 「いいの?」 「一部始終は、拝見していました」 そう言って微笑んだそのヒューマンの少女は、とてもこれから荒事に参加しようというふうには見えない。まるで買い物にでも出掛けるかのような雰囲気だ。 しかしその言葉は、自分の意思を明確の表示していた。 「んじゃあ、よろしくぅ。ちびっこも、いいわよね?」 「ちびっ……!?」 思わずエルフを睨み付けるアリシアリスだったが、相手がからかうように微笑んでいるのを見ると、顔を赤くして、正面の男たちにその怒りの矛先を転じた。 「とーぜんよ! ケンカを売られたのは、あたしなんだから!」 「おぉー。勇ましいー」 「いきなり殴っていましたけどね」 武器を抜かずに構えるアリシアリスの両隣で、エルフの女性もヒューマンの少女も、少しだけ呆れたように笑っていた。 この後、騒ぎを聞きつけた警備兵が現場に介入し、彼らに追われて町中を疾走する三人の姿が見られたという。 →第3話へ |
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