「あっちゃー。完璧にお尋ね者だね、私ら」
 身を隠した路地の前を走り去っていく警備兵の気配を読みながら、エルフの女性が引きつったような笑みでそう言った。
 発端を作った張本人、アリシアリスは、強気な表情に少しだけ後ろめたさを浮かべて、声を詰まらせる。
 振り返ったエルフの女性が、片手をパッと広げてみせた。
「ここで別れましょ。ほとぼりが冷めるまで、この村には近寄らない方がいいわよ」
「そうですね。さすがに他の村にまで手配はされないでしょうから」
 ヒューマンの少女もうなずいて、にこりと笑いかける。
 アリシアリスはその二人を、照れたように少しだけ赤くなった顔で、キッと見上げた。
「あんたたち、捕まったりしないでよっ」
「とーぜん」
「大丈夫だと思いますよ?」
 笑顔でそう応え、二人は軽く手を振りながら、それぞれに駆け出していく。
 ほんの少しの寂しさと一緒にその背中を見送りながら、それだけの出会いだと、その時は思っていたアリシアリスだった。

「……ふぅ」
 ぺたりと座った敷物の上で、真っ青な空を見上げてため息を吐く。
 あれから数日が過ぎ、アリシアリスはグルーディオの城下村にやってきていた。
 今日は、今までの冒険で得ていた雑多な物を商品として、街角に露店を出してみている。
 大した物を並べているわけではなく、時折、冒険者が目を向けていくくらいで、とても繁盛しているとはいえない状態だが、今の彼女の関心は他のところへ向いていたから、あまり気にしてはいなかった。
(あの二人、どうしてるだろ)
 小さな手の平に収まる小さなウルフの首輪を弄びながら、グルーディンで出会った二人の冒険者のことを思い出す。
 同い年くらいの「誰か」と会話をしたのは、とても久しぶりだった気がする。冒険者になってからは、たぶん初めてだ。
 その場の流れで力を貸してくれただけで、友達ではないし、自分の性格を知れば今までと同じように、きっと離れていってしまうだろうと解っている。
 それでも……いや。よく知らない相手だったからこそ、気兼ねなく言葉を交わせたことが嬉しくて、ついつい「また会えないかな」と考えてしまっていた。
(名前も聞いてないんだよね……)
「……あっ。名前っ」
 ウルフの首輪を見つめて、思わず声が出る。
 まだこのウルフの名前を決めていなかったことに、今さらながら気が付いた。ウルフのことを忘れていたわけではないが、あれ以来、何となく呼び出しづらくなってしまい、名前のことはすっかり忘れていたのだ。
(どうしよう……また変なのに絡まれるのも、嫌だしなぁ……)
 手の中の首輪をじーっと見つめて、眉間に皺を寄せる。
 そのことを考え始めたせいか、はたまた「客は前から来るもの」と思いこんでいるからか。アリシアリスは背後で誰かがしゃがみ込んだことに、不覚にも気が付かなかった。
「すいません」
(でもやっぱり、実物を見てから名前を決めたいし……)
「あのー……もしもーしっ」
(どっか、人のいないところで……いっそ街の外へ出てから)
「売ってほしいんですけどぉ!」
「わ、わぁっ!?」
 耳元で大声を出されて、アリシアリスはようやく背後の人物の存在に気が付いた。
 驚く同時に振り返った彼女の小さなポニーテールの髪を、その何者かがくいっと引く。
「これ、いくら?」
「……は?」
 そこにいた、爽やかに微笑むエルフの男性の言葉に、思わず目を点にしてしまうアリシアリス。
 ──こいつは何を言ってるんだ?
 眉根と口元を歪めて首を傾げる彼女の表情は、そう語っている。
 そして、このエルフに見覚えがあるような気もしていた。
(どこかで会ったっけ……?)
 そんな疑問も含んだ表情である。
 アリシアリスの思惑には構わないように、エルフの男性は片手で掴んだままの彼女のポニーテールを、まるで“こより”を作るように指先で弄ぶ。
「売り物じゃないのかな?」
「いや……あたし、店主だし」
「そうかぁ。あんまり可愛いから、てっきり売り物かと思ったんだけど」
 ──なんだその微妙な表現。
 アリシアリスの顔が、今度は苦虫を噛みつぶしたように歪む。勿論、目は点のまま。
 褒められているのか貶められているのか、それとも単に感覚がずれているだけなのか。何とも判断しにくい。
 微笑む彼の表情が、その疑問に拍車を掛けているようだ。
「それじゃあ、ちゃんと口説こうか」
 そう言った彼の隣に、がっしりした体格の大きなウルフが顔を覗かせた。その灰色の毛並みは、アリシアリスの頭にはっきりと記憶されている。
「──あぁっ!」
「思い出してくれたかな?」
 目を丸くしたアリシアリスはウルフを見て、次いでエルフを見つめる。
「ギランのナンパ男っ!」
 指を差して声を上げたアリシアリスに、相変わらず彼女の髪を弄ぶエルフは、空いた手で頬杖を付くようにして、その人差し指で自分も自分を指差した。
「ウィルフレッドって言うんだ」
 とても楽しげに笑いながら。

「こいつは、ロキ。俺の相棒で、用心棒でもあるか」
 ウィルフレッドは傍らに腰を下ろしたウルフの頭を撫でながら、そう紹介してくる。
 アリシアリスの目は、その瞬間からロキの方へと釘付けになった。
(かっこいいなぁ)
 きらきらと瞳を輝かせる彼女に、ロキは挨拶をするように少しだけ鼻を近付ける。匂いを嗅ぐ仕草をした後、彼はまるでうなずくように顎を引いた。
 口を丸く開いたアリシアリスが、自分のことを憶えているかのようなその仕草に、感心したような吐息を漏らす。
「こいつもきみのことが気に入ってるらしい。俺と一緒で、面食いだもんなあ」
 笑いながらそんなことを言うウィルフレッドに、アリシアリスはジト目を向ける。
「ていうか、なんであんたがここにいるのよ」
「──ん? 駆け出しの冒険者がいるっていったら、ここか港の方だろ? だから」
「お、追い掛けてきたっ!?」
「我ながら、立派なストーカーになれたと思うねえ」
 感慨にふけるかのように、微笑を浮かべたまま、うんうんとうなずくウィルフレッド。
 アリシアリスの顔から血の気が引いていく。
「よ、寄るな犯罪者ぁ!」
 いまだに髪を掴まれていた手を振り払い、立ち上がりながら後ずさる。
 ウィルフレッドは少しだけ驚いたようにきょとんとした後、再び微笑んだ。
「一途な恋心と言ってほしいね」
「こ、こいっ!?」
「うんうん。一目惚れってやつかな」
 再び、アリシアリスの目が点になり、嫌悪感と不可解さを混ぜ合わせたように顔を歪める。
「……あんた、なにいってんの?」
「告ってるんだけど」
「いやいや。あんた、エルフじゃないの?」
「まあ、この姿でオークだったりしたら、魔法でも使ってることになるよな」
「だよね?……あたし、ドワーフなんだけど。見たとおりの」
「そうだねえ。そのちっこい背丈でエルフだったりしたら、マーブル神も泣きながら引き籠もるだろうな」
 言ってる意味は解らないが、とりあえず互いの認識にズレはなさそうである。それを確認できたから、アリシアリスは少し息を吸い込んでから、怒鳴るように口を開いた。
「なんでエルフのあんたが、ドワーフのあたしに惚れるわけっ!?」
「あ、俺。そーゆーの気にしないから」
 至極当然のように、ウィルフレッドはあっさりとそう応えてくれた。
(こいつは変な奴だ──!)
 またまた血の気が引くような感覚に襲われ、アリシアリスは立ち尽くす。
 彼女の価値観から言えば、エルフの男などは恋愛対象とは正反対に位置している存在だ。不健康そうに不気味なほど白い肌をしているし、つるつるで髭も生えていない顔も気持ち悪い。せめて男なら、メカニックゴーレムを持ち上げるくらいの腕力は欲しいところであるのに、体格もひょろっとしている。
 こんな男のどこに魅力を感じられるだろう?
 それが、アリシアリスのみならず、一般的なドワーフ女性の感覚であった。
 そんな彼女の反応を予測していたのだろう。引きまくるアリシアリスの姿に、ウィルフレッドは小さく苦笑する。
「ま、変わってるのは自覚してる。けど……」
 呟くようにそう言って、ウィルフレッドも立ち上がった。傍らのロキが追い掛けるように見上げる前で、彼はアリシアリスの頬に触れるように手を伸ばす。
(いっ……!?)
 アリシアリスがその手を目で追いながら顔を引きつらせたその時、
「誰か一緒に廃墟いかなーい?」
 冒険者たちの露店でひしめく広場の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 ウィルフレッドの手から逃れるように身を捻り、振り返るアリシアリス。逃げられたウィルフレッドの方は、少し驚いたようにしながら動きを止めた。
 振り返った広場のほぼ中央で、肩に弓を掛けた一人のエルフが、退屈そうに立っている。あくびをかみ殺すようにしながら、その口に手を当てて、もう一度声を上げた。
「一緒に狩りいく人いませんかー?」
 それは、グルーディンで出会ったあのエルフの少女。アリシアリスが言うのも何だが、少し気の強そうな感じの彼女だった。
 思いがけない再会に、アリシアリスの目が丸くなる。
「知り合い?」
 ウィルフレッドはその彼女の様子に、広場のエルフと彼女を見比べ、耳元で囁くように訊いてみた。
「う、うん……ちょっと」
「じゃ、今日は諦めるかな。一緒に狩りへいってきな」
 仕方ないといった感じに肩をすくめて、苦笑しながらそう言ったウィルフレッドだったが、アリシアリスはその言葉に顔をうつむかせた。
 ウィルフレッドが不思議そうに、片目をつむって首を傾げる。
「どうした? 行かないのか?」
「べ、別に……友達ってわけじゃないし……」
「でも、知り合いなんだろ?」
「い……いいのよ、別にっ。あたしは今日は露店したい気分なのっ!」
 怒ったように言って、どかりと敷物の上に座り込む。ウィルフレッドはその態度に何かを察したのか、意外そうな表情を見せる。
 しかし、彼女の声が意外に大きかったのか、それともそばにウィルフレッドがいるせいか、相手の方がアリシアリスに気が付いた。
 そしてもう一人。
「それは残念ですね」
 二人の横から、ヒューマンの少女が声を掛けてくる。
 顔を上げたアリシアリスがぽかんと口を開き、ウィルフレッドも振り向く。
 穏やかな雰囲気を纏うローブ姿の少女は、その雰囲気そのままの微笑みを向けていた。
「私もお誘いしようかと思っていたのですけれど」
「あ……え……?」
 意外すぎる展開に、アリシアリスは唖然としたまま相手を見上げるしかできない。
 そしてそこに、件のエルフの少女が走り込んできた。
「イケメンはっけーん! こんにちわ! 私、エアルフリードって言います! いい男っすね!」
 接近と同時に、ハイテンションでウィルフレッドに猛烈なアタックを仕掛けるエルフ少女に、アリシアリスは別の意味で唖然とする。
「いやぁ、よく言われるよ」
「でしょ! 良かったら私とデートしませんか? ていうか、しましょう!」
「あれ? 狩り仲間を探してたんじゃない?」
「あなたと一緒なら、どこでもデート♪……なんちゃって、キャー☆」
「上手いこというなぁ、きみ」
(うわぁ……)
 やたら盛り上がるエルフ少女を横目に、白けた顔に影を入れるアリシアリス。隣ではウィルフレッドの相棒であるロキも、似たような表情をしていた。
「面白い方ですね」
 ヒューマンの少女は口元に手を当てて笑っている。乾いた笑いしか出てこないアリシアリスには、その感覚も不思議である。
 そんな彼女に、ヒューマンの少女は目線を合わせるようにしゃがみ込んで話し掛けた。
「お知り合いの方ですか? 素敵な男性ですね」
「全然っ! ただのストーカーよっ!」
「まあ……」
「私ならいくらでもストーキングしてください! むしろ大歓迎!」
「うっさい、バカエルフ! あんたは黙ってろ!」
 沸いて出るように会話に割り込んだエルフ少女に、殺気すら感じさせるような視線を飛ばして一喝する。
 ウィルフレッドの腕を取って、ハートマークでも飛ばしていそうだったエルフ少女も、ムッとした顔をアリシアリスに向けた。
「エアルフリード! 人の名前くらい憶えなさいよ、ちびっこ!」
「ちびじゃない! アリシアリス! これがドワーフ標準なのよ!」
「では、ドワーフ族のちびっこさんは、もっとちびっこなのですね……かわいっ」
 にらみ合う二人の間で、何だかずれた感想を漏らしたヒューマンの少女に、なぜか二人ともその鋭い視線を向けた。
『あんたは!?』
「あ……申し遅れました。私はフロウティアと申します。ギランから参りました」
 立ち上がり、丁寧に、そして優雅に一礼する彼女の仕草には、他の二人にはない育ちの良さが垣間見える。それがエルフの少女には、ちょっと面白くなかった。
 ヒューマンの少女は、続いてウィルフレッドに振り向く。にこりと微笑むその表情に、うながされていることが解った。
「俺も? えーと。名前はウィルフレッド。エヴァの神官で……」
 言い掛けて、ふとエルフの少女と睨み合っているアリシアリスに目を留める。
 ウィルフレッドはふっと口元を緩めて不敵に笑うと、そのアリシアリスの肩を抱くように引き寄せた。
「なっ──!?」
「アリスの彼氏です」
 その瞬間、ウィルフレッド以外の世界の時間が止まったようだったという。

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