「ソウル……スカベンジャー?」
 ウィルフレッドが呼んだ名にはアリシアリスも聞き覚えがあったから、彼の腕の中で顔だけを振り向かせてみる。
 そして、そこに見えた死神を連想させる魔物の姿に、思わず息を詰まらせた。
 今まで出会ったどんな魔物よりも、圧倒的な威圧感と恐怖感。その感覚に背筋を冷たいものが流れる。
「やはり、あれはっ……!」
 振り返ったフロウティアが、手にした杖を構えながら鋭い視線を向け、緊張した声を上げた。
 先ほど感じた気配は、やはり黒魔術によって生み出されたアンデッドのものだったのだ。彼女も話には聞いていたが、複数の死者の魂を融合させているのが解る。
 そしてエアルフリードも。
「とんでもないのが出てきたわね」
 二人は揃って地を蹴って駆け寄り、ソウルスカベンジャーを、対峙するウィルフレッドと挟むような位置で身構えた。
 しかし、死者の魂を集めて造られたこのアンデッドに、ただの矢でどれほどの効果があるのか、エアルフリードは弓を引きながらも疑問に思っている。
 フロウティアにしても、おそらく強い魔法抵抗力を持たされているだろう相手に、決め手がないこと感じていた。
 それが解っているからか、背後を取られたはずのソウルスカベンジャーは、いささかも動揺を見せていない。
 無論、相手は感情など持ち合わせないアンデッドではあるのだが。
(どうする……?)
 同じ焦燥感を抱く二人の視線は、アリシアリスを抱いて立つウィルフレッドに注がれていた。

「美しき生の輝き……お前たちの魂を、我に……」
 耳の奥で聞こえるようなくぐもった声と共に、ソウルスカベンジャーの周囲の地面を割って、長身のスケルトンが数体、土煙を上げながら出現する。
 そのあまりに不気味で不自然な現れ方に、アリシアリスは覚えず体を震わせた。
 魔物との戦いは、自分の精神力の限界に挑む戦いだとも言える。彼らの放つ威圧感。不気味な姿から受ける恐怖心。まずそれらに打ち勝たないことには、剣を振るうことすらできないからだ。
 ことに、アンデッドたちが放つ負の気は独特のものがあり、強力なアンデッドともなれば、精神力の弱い者はその姿を見るだけで生気を奪われてしまう。
 だからこの時点で、アリシアリスは負けていた。初めて魔物から恐怖を与えられたのである。
 死神の姿を見つめたまま、青ざめた顔で視線を逸らすこともできない主人に代わり、腕の中のコロは牙を剥き、小さく唸り声を上げる。今にも飛び出しそうであるが、その小さな体はアリシアリスによってしっかりと抱き締められていた。
 コロを心配してのことではなく、自分の恐怖心を紛らわせるため、無意識にそうしてしまっている。
(動けない……!?)
 まるで金縛りにあっているように硬直してしまった自分の体に、さらに恐怖が募る。
 しかし、その時──
「それは無理だな」
 声と共に、大きな腕にぎゅっと抱き締められる。
 たちまち全身の感覚が戻ってくるように体の硬直はほどけ、逆に弛緩してしまうほどの温もりに満たされていく。
 心が、ふっと軽くなった。
(あ……)
 顔を上げてみれば、少しきついくらいに抱き締めてくるウィルフレッドがいる。
 敵を見据えたまま不敵な笑みを浮かべている彼の顔に、なぜかとても安心した。
(なんでこんなことができるんだろう)
 意味もなく、そんなことを考えてしまう。何に対する問いかけなのかは、自分でもよく解っていない。
 気が付くと、コロも戦闘態勢をといて彼を見上げていた。
「俺たちの魂は、そんなに安くないんだ。それに俺は──」
 ウィルフレッドはアリスの頭を庇うように添えていた左手を離し、その指をパチンッと鳴らす。
「きみを倒しに来たんだから」
 ──ヴォウッ!
 唸るような咆吼を上げ、ウィルフレッドの足下からロキが飛び出し、現れたばかりのスケルトンたちに襲い掛かった!
 それはまるで一陣の風のように素早く、そして強烈に、スケルトンたちを薙ぎ払う。屈強なウルフの牙と爪は、瞬く間に白骨の集団を文字通り、ただの骨へと変えていく。
「…………」
 手下を一瞬で倒されたにもかかわらず、やはりソウルスカベンジャーに動揺は見られない。それが感情を持たないアンデッドたちの強さではあるのだが、同時に限界でもあった。
 ロキがスケルトンたちを砕き、その頭蓋骨を踏み砕きながら着地するのとほぼ同時に、ソウルスカベンジャーはその姿を一瞬霞ませ、次にウィルフレッドの眼前に現れる。
「あぶないっ!」
 エアルフリードかフロウティアがそう叫んだときには、ウィルフレッドとアリシアリスの姿は消えていた。
「?」
 両手の鎌を振り上げた姿勢で止まるソウルスカベンジャー。その姿を見て、ウィルフレッドは思わず苦笑を漏らした。
「脚がないヤツってのは、足下がお留守になるんだよな」
 アリスを抱え、仰向けに倒れるように地面に寝ころんだウィルフレッドが、自分たちの上にいる死神に向かって、人差し指を突き出す。
「安心してくれ。天国への直通路だ」
 そして次の瞬間、異形の死神は光の渦に包まれて、声もなく消滅していった。

「てか、つよっ! なにあれ!?」
 一撃でソウルスカベンジャーを消し去ったウィルフレッドに、エアルフリードは喚くようにそう言いながら、隣のフロウティアに振り向く。
 そのフロウティアも、信じられないと言った風に唖然としていた。
「神官が得意とする、対アンデッド用の魔法です……たぶん。増幅用の装備も無しに、あれほどの威力は見たことありませんけど」
「魔法!? 指で差しただけよ!? 呪文もなかったしっ」
「高位の術者は、呪文を簡略化することができるんです。それにあの魔法は元々、呪文よりも『祈り』が重要ですから……」
「あの軽薄そうな兄ちゃんが『祈り』!? それこそ信じらんない!」
「あの……人は見かけではありませんよ?」
 困ったように微笑みながらそう言ったフロウティアに、エアルフリードは唸るようにして腕を組んだ。
 たしかに、今であればその言葉もうなずけるからだ。
 自分たちが気圧された相手を、まさにあっという間に殲滅したその実力は本物だから。
 エアルフリードはそのまま、アリシアリスの手を取って立ち上がらせている、ウィルフレッドに視線を向ける。
「あのウルフもだけど……私たち、もしかしてとんでもない人と知り合ってる?」
「少なくとも、ただの神官ではなさそうです」
 同じように顔を向けたフロウティアは、彼の言った言葉が気になっていた。

「怪我はない?」
 戦っていたのは彼の方なのに、守られていただけの自分がそう聞かれたのは、アリシアリスには気恥ずかしい感じがした。
「あ、当たり前よっ! あんなことで、あたしが怪我するわけないじゃない!」
 握られていた手を強引に離し、アリシアリスは彼自身からも逃れるように、コロを抱いたままの胸を背けた。
 少し上気した顔でも、眉を釣り上げてそんなことを言える彼女に、ウィルフレッドは離された手を下ろしながら苦笑する。
 それを横目で見ていたアリシアリスは、暖かくも陶磁器のようなその白い手に、違う鮮明な色が混ざっていることに気が付いた。
「……ちょっと!? 怪我、してるじゃない!」
 彼の手の甲に走る大きな裂傷と、そこから流れる鮮やかな紅の色に、慌てて振り向く。
 ウィルフレッドは今さらのように自分の手を顧みて、小さく肯定の声を上げた。
「さすがに初手をかわしきるのは無理だったな。まあ、大した傷じゃないさ」
「ば、バカじゃないの!? 人の心配する前に、自分を治しなさいよねっ!」
 アリシアリスはコロを地面に下ろしながら、朱の差した顔に怒気をはらませ、彼を見上げる。そんな彼女に微笑をしながら、ウィルフレッドは怪我をした右手を軽く振った。
「アリスの首が飛んでるよりは、ずっと幸せだけど」
「血ぃ流しながら、意味わかんないこと言わないでよ! そんな怪我して幸せとか……」
「大切な人を守れた、名誉の負傷だからな」
 にこりと笑うウィルフレッドに、アリシアリスは体温が上がっていくのを感じた。その言葉に、胸が高鳴る。
「ッ!……い、いいから! 見せなさい!」
 真っ赤な顔をしたアリスが立ち上がり、強気に言って手を差し伸べる。ウィルフレッドは大人しく怪我をした手を、その小さな手の平に乗せた。
 間近で見てみると、彼が言うほど軽い傷ではないと解る。手の甲が端から端まで斜めに大きく切り裂かれ、出血で傷口がはっきりと見えないほどだ。しかし、右手の機能を奪うほどに深くもなさそうである。
「これなら、傷口を塞ぐだけで済みそうね。……よかった」
「心配してくれるんだな。アリスは優しいなぁ」
「った……あ、当たり前よ!」
 思わず呟いた言葉を拾われて、アリシアリスの顔はますます赤くなっていく。それでも吼えかかるように声を出せるのは、ひとえに性格のおかげだろう。
 拗ねるように顔を背けながら、ベルトに通した小さなポーチを片手で探る。
「たしか応急セットが……ちょっと。しゃがんでくれないと、手当ができないわ」
「はいはい」
 にこにこと微笑みながら、腰を落として座るウィルフレッドに、アリシアリスは何だか面白くなさそうな表情を浮かべながら、傷薬と包帯を取り出す。全てを見透かされているようで、子供扱いされるのが面白くないのだ。
「まったく……どうしてあたしがこんなこと……」
 ぶつぶつと呟きながら、彼と同じように腰を落として、傷口の洗浄を始める。
 水袋の水を掛けて血を洗い流し、さらになるべく清潔な布を使って拭き取る。それから半液状の薬を傷口とその周辺に塗り、油紙を当てて、その上から包帯を巻いていった。
 その間、ウィルフレッドは少し眉を動かしたくらいで、痛そうな表情一つ見せない。終始上機嫌に、アリシアリスを見つめていた。
 見られているアリスは赤面しっぱなしだ。
「さすが。上手いもんだな。手慣れてる」
「あんまり褒められてる気がしないわ……。だいたい、すぐに魔法で治せばいいのに」
「このくらいなら、普通の神官は使わないさ。あれで結構疲れるんだ。癒しの術は」
「そうなの……」
 くるくると巻かれる包帯が面白いのか、傍らのコロがそれを見上げている。いつの間にかロキもそばに来て、治療されている手を見つめていた。
「これで完了ね」
 最後に包帯の端を縦に裂いて結び止め、アリシアリスは治療を終えたウィルフレッドの手を両手で支えた。
「アリス」
「なに?」
 不意に真摯な声で名前を呼ばれ、顔を上げる。お礼でも言われるかと、少しだけどきりとした。
 しかし、やってきたのは感謝の言葉ではなく、怖いくらいに整った彼の綺麗な顔。
「──っ!?」
 治療を終えたばかりの手で片手を引き寄せられ、目を見張る間こそあれ、奪われるように唇を重ねられる。
 二匹のウルフが見つめる前でのその行為は、アリシアリスの思考を停止させるのに十分な威力があった。
 重なるだけの軽いキスは、彼女が思うほどに長くはなく、数瞬の間を置いて離れていく。
 目を点にして呆然とするアリシアリスに、唇を離したウィルフレッドはその口元に不敵ともいえる微笑を浮かべて、片目をつむってみせる。
「ありがとな」
 途端に、頭から湯気を出すかのように顔を赤く染めていくドワーフの少女を、二匹のウルフが不思議そうに見上げていた。

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