「お連れの方たちなら、少し前に出掛けて行かれましたよ。魔物狩りだって」 目的を果たして宿に戻ったウィルフレッドは、アリシアリスたちの居場所を尋ねたウエイトレスのその答えに、小さく溜息を吐いた。 「やれやれ、置いてけぼりか。アリスはともかく、あの二人まで俺を無視するとは思わなかったな」 どうやらアリシアリスに避けられていることは、ちゃんと理解しているらしい。言葉だけではなく、その心情からも。 しかし、エアルフリードやフロウティアが無断で出掛けるようには思えなかった。彼女たちなら、伝言なり書き置きなり、残していきそうに思えたのだ。 極端な性格のアリスはともかく、あとの二人はそれなりに人付き合いを知っているようだったから。 「どこに行ったか、聞いてる?」 先ほどのウエイトレスにそう確認したのも、そのためだ。昼食時のひと騒動が終わった店内を片付けていた彼女は、再びの質問にその手を止め、記憶を辿るように視線を宙に浮かせた。 「たしか、南の廃墟に行くとか言っていましたよ。昔のロスタン村です」 「……それはそれは」 その地名を聞いたウィルフレッドは一瞬、顔を強ばらせ、次に吹き出すように笑った。 「どうやらつくづく、あのお嬢様とは結ばれているらしい。離れたくても離れられない、といったところかな?」 そう言って、同意を求めるように足下のロキへ視線を向ける。精悍なウルフはその表情を、まるで人のそれのように呆れたものへと変えた。 「なんだ?……心配ないさ。今朝は少し失敗したが、これで挽回のチャンスがあるというものだろ」 ウィルフレッドの気楽な口調に、ロキは溜息を吐くように下を向くと、くるりと背を向けて店の出口へと向かう。 「おい。何かつっこめよ」 ウィルフレッドは慌てて追い掛けた。 「いってらっしゃーいっ」 ウエイトレスの元気の良い声が背中に届く。それに微笑で応え、ウィルフレッドは扉を開いた。飛び込んできた陽射しは、春を終えて夏の色を帯び始めている。 「……少し急ぐか」 そう呟いた彼の顔は、常には見られない鋭いものへと変わっていた。 薄く立ち込める霧が陽光を霞ませ、昼でもなお陰鬱な雰囲気を醸し出す廃墟の村に、その空気を払うかのような陽気な声が響いた。 「いやぁ。あんたたち、強いわねー」 セリオンとメリスの剣捌きを間近に見た、エアルフリードの賞賛の声だ。湿った大地から起き上がるゾンビを、二人が一刀ずつを浴びせて倒したところである。 「ここじゃちょっと、物足りないかな?」 弓と剣の違いはあれ、同じ戦士である。エアルフリードには、二人の技量が自分たちよりも数段上であることがよく解った。 剣を鞘に収めながら、セリオンがそんな彼女に笑みを返す。 「そんなことはない。ここは、放棄された家や建物が、複雑な地形を作り出しているからな。案外に、良い修行になるんだ」 「そんなもん?」 「例えば、油断していると、崩れた壁の向こうから……」 言い掛けたその時、まさに彼の横にある城壁の崩れた箇所から、人の半分ほどの身長をした、小さな羽を持つ醜悪な妖魔が飛び出してきた。 しかし、まるで慌てた様子もなく、セリオンは左手の盾をかざし、同時に半身を引く。 彼の盾に妖魔の爪が弾かれた瞬間、引いた半身で空いたスペースから、銀光が一閃した。 「──ギッ!?」 メリスの剣に一刀両断された妖魔が、短い悲鳴を残して地に落ちる。 「こういう風に襲われるからな」 そう言ってから、セリオンとメリスはエアルフリードに微笑みかけた。 「……あんたたち、ほんとに凄いわ」 あまりに一瞬の出来事に、呆れたように息を吐いたエアルフリードも、彼女の左右にいたアリシアリスとフロウティアも、全く反応できなかった。 「すぐにきみたちも、これくらいは出来るようになる」 「うん、まあ。そうなる自信はあるけどね」 お世辞とも取れる言葉に対して、平然とうなずいてみせるエアルフリードに、セリオンは一瞬きょとんとしてから相好を崩す。 そんな二人を見ながら、メリスも微笑を浮かべて剣を鞘に戻した。彼女は一振りの長剣だけを持つ、軽装の戦士だ。 (どうしてあんなふうに笑えるのかしら) アリシアリスはそのメリスを、感心するような気持ちで見つめていた。 「──? 何かな?」 メリスの方でも、彼女の視線に気が付いて笑みを向ける。目が合ってしまって、アリシアリスは思わず顔に朱を差した。 「よ、よく平気でいられるわねっ」 妙に恥ずかしくなってしまって、視線を背けながら挑戦的な言い方をしてしまう。 メリスは小首を傾げるようにした。 「なんのこと?」 「あ……そのっ……」 「『恋人の方が他の女性と仲良くしていて、何も思わないのか?』と、アリスさんは疑問を感じていらっしゃるようです」 赤くなった顔でわたわたと言い淀むアリシアリスに代わり、フロウティアが苦笑しながら訊いてみる。 さすがに、メリスの頬も微かに紅潮した。 「あはは……そうだね。セリオンは恋人だよ。だけど、それくらいで嫉妬したりはしないかな。今は目の前にいるわけだし」 照れたようにしながらも、はっきりと言い切る。 「知らないところでそういう風にされていたら、それは少しは嫌だけどね。でも、心配とかはしないかな」 「し、信じているから……?」 探るように上目遣いでそう聞いたアリシアリスに、メリスは赤くなった頬をそのままに、この場所には不釣り合いなほど、明るく澄んだ笑顔を向けた。 「セリオンは、いつでも私を見ていてくれるからだよ」 その答えは、アリシアリスにはよく解らないものだった。 しゃんっ……。 その、細かい無数の金属が擦れ合うような音が聞こえた途端、アリシアリスたちの間に緊張が走った。 「まさかっ……」 フロウティアが目を見開いて声を上げる。 「ソウルスカベンジャー!?」 薄い霧の向こう。在りし日の村の姿を残す数少ない痕跡である、石畳の街路の上に、忌まわしい死神の姿があった。 「なんで!? あいつ、この前ウィルフレッドが倒したんじゃないの!?」 エアルフリードも悲鳴に近い声を上げながら、街路に浮かぶそれを凝視する。 死神は、まるで獲物に襲い掛かるように、あるいは飛び込んでくる獲物を待ち構えるかのように、両手となった鎌を振り上げ、静かにこちらを向いていた。 青ざめた顔で後ずさりそうになるアリシアリスの隣で、セリオンが前に進み出ながら剣を抜く。 「みんな、逃げるんだ。俺が防ぐ」 「か、勝てるのっ!?」 アリシアリスが振り仰いだ彼の横顔は、自嘲気味に微笑んでいた。 「以前は、負けた。メリスと二人で、逃げるのが精一杯だったな」 「でも、みんなが逃げるくらいの時間は稼げるよ」 セリオンに続いて、メリスも剣を抜く。彼の隣に寄り添うようにして。 エアルフリードもフロウティアも、二人に振り向いて目を丸くする。 「ば、バカいってんじゃないわよ! あんたたちも逃げればいいじゃない!」 「そうです! 私たちだけで逃げるわけにはいきません!」 「しかし、それではすぐに追いつかれる。誰かが囮になる必要はあるんだ」 「前に戦ったときは、逃げる途中にいた熊を囮にしたんだよね」 ソウルスカベンジャーを見つめたまま固い口調で言い切るセリオンと、笑いながら付け加えるメリス。二人のその表情に、ためらいは見られない。 二人を見上げるアリシアリスの顔から、さらに血の気が引いていく。二人の覚悟に……一瞬でそう決断できるその凄まじさに、胸が締め付けられるような苦しさを覚える。 だから思わず、メリスの革鎧の端を掴んでいた。 それに気が付いたメリスが、アリシアリスに振り向いて、にこりと笑う。 「ごめんね。最後まで相談に乗ってあげられなくて」 「──ッ!」 その時、一瞬、アリスは泣きそうになっていた。 だから。 「そんなのダメよ! みんなで生き残るわ!」 掴んだ鎧の端を引っ張り、声を張り上げてそう宣言したのだ。 きょとんとするメリス。振り返って唖然とするセリオン。 そんな二人を押しのけるようにして、アリシアリスは前に出る。 「戦うのよ! みんなで、あいつと!」 豹変したように、力強い声と気迫に満ちた顔を見せる彼女に、エアルフリードとフロウティアは同時に笑みを浮かべていた。 「──よしっ! いっちょやりますかっ」 「確かスケルトンを召喚しましたよね。その相手は、私たちが引き受けましょう」 二人の言葉に、アリスも振り返ってうなずく。そしてポーチから首輪を取り出した。 「コロ!」 主の前に降り立った小さなウルフは、低く唸りを上げながら敵対者を威嚇する。 彼女たちの行動に、セリオンとメリスは顔を見合わせた。互いに唖然としていたその表情が、やがて笑顔に変わる。 「ああ。ならば、みんなで倒そう!」 「うん。力を合わせて!」 アリシアリスの胸が高揚感に包まれる。今まで感じたことがないような、不思議な嬉しさを感じる。 (これが仲間っ……!) 全員が武器を構え、街路の交差点に浮かぶ死神を見据えた。 「いくわよっ!」 『おーっ!』 一斉に駆け出す五人。 その視線の先で、ソウルスカベンジャーの姿が霞むように消える。そして次の瞬間、先頭を走っていたアリスの眼前に現れた! 「!?」 咄嗟に盾をかざそうとした彼女よりも速く、別な大振りの盾が視界を塞ぐ。 ──ガギッ! 「守りは、俺の役目だ」 死神の鎌を寸前で受け止め、セリオンが不敵に笑う。そしてその左腕を大きく振って、ソウルスカベンジャーの両手を跳ね上げた! 「もらうよ!」 間髪入れず、アリスと死神の間に滑るように飛び込んだメリスが、がら空きとなった胴体を薙ぎ払う! 水の中に刃を滑らせたような感触が、その手に伝わってきた。 この一撃に怯んだのか、ソウルスカベンジャーはわずかに後退し、同時に数体のスケルトンを大地より呼び起こす。 「雑魚掃除はお任せぃ!」 「コロちゃんも手伝ってくださいね」 エアルフリードとフロウティアがそれぞれの武器を構え、そのスケルトンたちと対峙する。そして子狼のコロも、アリスを庇うように四肢を広げた。 早い展開に一瞬、自分の役目を見失うアリシアリス。その彼女に、メリスが視線を向けて微笑んだ。 「アリスちゃん! 一緒に!」 「う、うん!」 緊張した顔でうなずき、ハンマーと盾を構え、ソウルスカベンジャーをぎゅっと睨み付ける。 再び死神の鎌が振り上げられたとき、二人は同時に左右に跳んだ。 「もう一度っ!」 セリオンがカバーに入り、今度は右手の剣を横薙ぎに払うようにして、ソウルスカベンジャーの攻撃を弾き返す。 「これでもッ!」 「くらえーっ!」 下から掬い上げるようなメリスの剣と、力いっぱい振りかぶったアリスのハンマーが、再びがら空きになった死神の胴を狙う! ──ドンッ! 確かな手応えと重い音が、おぼろな死神にダメージを与えたことを実感させた。 (いける!) 振り抜いたハンマーを構え直しながら、アリシアリスはその確信に胸を躍らせる。 しかしその時── 「キャンッ!」 「──コロ!?」 すぐ後ろで聞こえた小さな悲鳴に、アリスは弾かれたように振り返った。いつの間にか背後に回っていたスケルトンから彼女を守ろうとして、小さなコロがその体ごと相手にぶつかり、逆に跳ね飛ばされたのだ。 慌てて駆け寄り、その名前の通り、ころころと転がる子狼を抱き留めるアリシアリス。 「あんたには、まだ早かったかしらね」 舌を出して荒く息を吐くコロを抱え上げ、小さく苦笑した。 「アリス!」 その耳に、セリオンの切迫した声が届く。 振り返ったそこに、錆びた剣を振り上げたスケルトンの姿があった。 ──ダメだ! その思いが、咄嗟にコロを庇うように抱き締めさせる。次に来るであろう死の衝撃のことは、想像もしなかった。 誰もが同じことを思い、驚愕や絶望の色を浮かべたその瞬間、 ──ボッ! 光の爆発がスケルトンを飲み込み、一瞬で消滅させた! 両目をきつく閉じていたアリシアリスの体を、ふわりと暖かい感触が包み込む。 (あ……) その感覚には憶えがあったから、彼女は顔を上げた。 「悪い。遅れたな」 優しく微笑むウィルフレッドが、コロを含む自分を抱き締めるようにそこにいたから── 「いつも見ていてくれるから」 アリシアリスは、メリスの言葉を思い出していた。 →第10話へ |
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