眠るように目を閉じ、横たわるウィルフレッド。その顔から笑みは消え、今はただ、霧の中から差し込むわずかな陽光に、その儚げな横顔を晒しているのみである。
 すがりつくように彼の体を抱き締めるアリシアリスからは、小さな泣き声が絶え間なく聞こえてくる。
 最後の口づけを交わし、彼の手が彼女の頬から滑り落ちたその時から、ずっと──。
 小さな肩を震わせ、彼の名を呼び、涙を流し続けるその横顔に、エアルフリードも堪えきれず、勝ち気な美貌を泣き顔に崩し、アリスを背中から抱き締めた。
「ごめん! ごめんね! あんたの一番大事なときに、一緒にいられなかった……友達だって言っときながら……ごめん……っ!」
 そして彼女も、子供のように泣きじゃくる。悔しくて。やるせなくて。
 そんな二人の姿に、静かに涙を流していたフロウティアも耐えきれず、口元を両手で覆いながら、絶句したように崩れ落ちる。友達の悲しみを共有してしまうから。二人が感じる痛みは、自分も感じているから。
 セリオンは沈鬱な面持ちで瞑目し、メリスはその彼の胸元に顔を埋めるようにして、体を預ける。この場に満ちる悲しみは、この二人にとっても耐え難い。
 やまぬ泣き声と、それぞれの心に溜まっていく悲哀だけが時間を経過させ、やがて泣き疲れたようにそれらが小さくなってきたとき、ぽつりとアリシアリスの声が聞こえた。
「……強くならないと……」
 エアルフリードもフロウティアも、その声に顔を上げる。
 そこには、泣き腫らした顔に決意の色を浮かべ、ウィルフレッドを見つめる小さな友人がいた。
「強くならないと、いけないわ……」

 自分はいつも守られていた。
 ──彼に。
 いつだって彼は自分のことを見ていてくれた。日常の中でも。戦いの中でも。
 それがどれだけ凄いことなのか、今はアリシアリスにも解る。
 自分以外の誰かのことを想うことが、こんなにも余裕を無くさせるのだ。心を、精神を、神経を、こんなにも占拠されてしまう。
 それでも彼は、いつでも同じだった。最期のその時まで、自分以外のもう一人のことを想う余裕があった。
 ──そんなにも想いを寄せられていたことが、今は素直に嬉しいと感じられる。
 だけど。
「そのせいで、彼を失ってしまった」
 それは自分が弱かったから。自分に力がなかったからだ。
 彼に守られるだけの存在ではなく、彼と一緒に戦うことができていたら、結果は違っていたかもしれない。それだけの能力があれば、彼も安心して戦えていたかもしれない。
「戦う力だけじゃないわ」
 自分にもっと財力という力があれば、彼に渡したあの薬も、もっと良い薬を渡せたかもしれない。もっと役に立つアイテムを出せていたかもしれない。
「今だって」
 自分たちにもっと力があれば、傷を癒すことも、彼を目覚めさせることだってできるかもしれないのだ。
 腕力でも。魔力でも。財力でも。権力でもいい。
「あたしたちが、もっと強ければ……」
 大切な人を。大事な物を。
「ちゃんと守れる力があれば……っ!」
 彼のように。
 心も、体も。ウィルフレッドのような強さが欲しい、と。
 アリシアリスは再び溢れてくる涙を、両目をきつく閉じることで堪える。
「あたしは、強くなるわっ!」
 誓いというには、激しい声。そして切ない想いを、冷たい土の上に横たわる彼に向けて宣言する。正座するように折り曲げた膝の上で、小さな両手はきつく結ばれていた。
 その手に、白くしなやかな別の手が添えられる。
「私も……」
 エアルフリードが、うつむいた顔でアリスの隣に腰を下ろした。
「私も、強くなる。あんたを守れるくらいに。もう二度と、あんたに悲しい想いをさせないように……強くなってみせるわ!」
 長い髪に隠された顔は、どんな表情をしているのか分からない。だがその声は、苦い物を吐き出すかのように苦しげで、そして激しかった。
 顔を上げて彼女を見つめるアリシアリスに、もう一つの温もりが添えられる。エアルフリードが掴んだ手とは反対側の手を、フロウティアの両手が包み込んだ。
「私も誓います。あなたの背中を守れるように。あなたの行く道を光で照らせるように。私も強くなります!」
 涙を流しながらも、彼女は微笑む。熱く固い決意を秘めた瞳と共に。
 アリスは彼女を見上げ、そして一つうなずいた。
 その小さな頭を、エアルフリードがそっと胸に抱き寄せる。彼女の瞳からも、一筋の涙が零れていた。
「約束するわ。もう二度と──」
「あなたを一人にはしません」
 二人の言葉とその気持ちを、今は素直に受け入れられるアリシアリスであった。

「その約束には、俺も加えてくれないか?」
 結ばれた絆を確かめるように肩を抱き合う三人に、セリオンがそう言いながら歩み寄る。
 その表情から暗い色は消え、代わりに強固な意志を感じさせる、熱を帯びたような真剣な眼差しが向けられていた。
「ウィルフレッドとの約束もある。そして何より、俺はきみに騎士として仕えてみたい」
 振り向いたアリシアリスは、真っ直ぐに見つめてくるその瞳に、不思議なものを見るような気持ちを感じる。それはまるで、さらなる決意をうながしているようで、彼女は少しだけ困惑した。
「あ、あの……」
 立ち上がりかけた彼女に、さらに別の声が掛けられる。
「私も、アリスちゃんと一緒にいたいな」
 セリオンと並ぶように、メリスが笑顔を向けていた。
「あの時、一緒に戦おうって言ってくれたアリスちゃんと、私も一緒に戦いたい」
 まるで、それまでの重い空気を払うかのような、陽射しのように明るい笑顔。髪を揺らしながら、メリスは上体をかがめて、その笑顔をアリスに近付ける。
「ね?」
「あなたたち……」
 彼女の言葉に、胸が締め付けられるような、それでいて暖かくなるような、感情が湧き上がってくる。それは喜びであり、嬉しいという気持ちだった。
 アリシアリスは思わず泣き顔になりそうになって、慌ててその目元を腕で拭う。
 ──もう泣かないわっ。
 強くなるために。前に進みたいから。
 彼女は二人を前に、小さな体で大きく立ち上がる。
「一緒に強くなるわよ! みんなで、一緒に!」
 高らかに告げられたアリスの言葉を、エアルフリードも、フロウティアも、セリオンとメリスも、まるで光を見るような気持ちで聞き、大きくうなずいていた。
 それまで成り行きを見守っているようだった子狼のコロも、自分のことを忘れないでと言わんばかりに、アリスの胸に飛びついてくる。
 それを受け止めたアリシアリスの顔に、ようやく笑顔が戻っていた。

 アリスは横たわるウィルフレッドに振り向く。薄暮のような陽の光に照らされる、彼の横顔を。
(ウィルフ……あなたがあたしに与えてくれたのは、想いだけではなかったのね)
 彼が全てを運んできてくれた気がした。
 好きという気持ちも。誰かと共に戦う喜びも。コロも。仲間も。全てを──。
 アリスに続いて、他の者たちもウィルフレッドに振り向く。そしてセリオンが剣を取り出して頭を垂れたとき、それに倣うように瞑目した。
 それはどこか神聖な空気すら感じさせる光景となり、厳かな静寂が彼らを包み込む。
 ──かこっ、かこっ、かこっ。
 その静寂の中、廃墟を包む霧に反響するように、蹄の音が聞こえてきた。
 その音に最初に反応したのは、ウィルフレッドの傍らに座っていたロキだ。ぴくりと耳を動かし、次の瞬間にはアリスたちを守るように彼女たちの背後に駆け寄り、身を低くしていた。
 アリスの腕の中のコロも、警戒するように小さく低く唸り始める。
 ──かこっ、かこっ、かこっ。
 近付いてくるその音と二匹のウルフの反応に、アリシアリスたちも振り返った。
「──あなた方が追っていた人には、生の世界から退場していただきました。安心してください。ぼくたちは、きみたちの敵ではありません」
 少し籠もったような、淡々と静かな女性の声が聞こえてくる。
 すると不思議なことに、ロキもコロも、あっさりすぎるほど簡単に、その警戒姿勢を解いてしまう。コロに至っては、小さく尻尾を振り始めていた。
 アリスたちが互いの顔を見合わせる。誰の顔にも、不思議そうな色が浮かんでいた。
 ──かこっ。
 蹄の音が止まり、声の主が姿を現す。まるで彼女の周りに見えない壁でもあるかのように、霧のカーテンがそこだけ開かれていく。
 それは、一頭のユニコーンを連れたエルフ族の女性。まるで色素が全て抜け落ちたかのような純白の長い髪と、切れ長の紫闇色をした瞳を持つ、どこか神秘的な女性だった。
「……誰?」
 アリシアリスが不思議そうな表情そのままに、首を傾げて訊ねる。一番前にいるロキは、ユニコーンと目を合わせるように見上げている。
 現れた女性は、その身に纏うドレスのような水色のローブを揺らし、ロキの傍らを通り、アリシアリスの前で立ち止まった。そして、無垢とも思えるほどつかみ所のない無表情で彼女を見つめ、桜色の唇を開いた。
「ご安心を。その人は、シーレンの元へ旅立たれてはおりません」
 その声は、アリスたちの心に衝撃となって響く。

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