「その人は、シーレンの下へ旅立たれてはおりません」
 霧の中から現れた、ユニコーンを連れたエルフの女性のその言葉に、アリシアリスは大きな瞳を丸く見開き、彼女を見つめ返す。
 エアルフリードが唇を噛むようにして、たちまち怒りの感情を顕わにする。
「あんた……何なのよ!」
 掴みかからんばかりの彼女を、セリオンが腕を出して制した。そして代わって静かに女性を見据える。
「何者だ? 何を知っている?」
 静かだが、刃を突きつけるような声音であることは、彼もまたエアルフリードと同じような心境だからだろう。
 だが対する女性は、まるで意に介した様子もなく、彼に振り向いて淡々と口を開いた。
「その男性のことは、何も知りません。ぼくはただ、流れる『死の匂い』を感じて、ここへ来ただけです」
「『死の匂い』?」
 奇妙な言葉にフロウティアが首を傾げる。
 すると女性は、ふと彼女の方に顔を向けた。
「貴女はぼくに近い存在のような気がします」
「……?」
 言われた意味が解らず、きょとんとするフロウティア。女性はすぐに興味を無くしたかのように、ふらりと彼女たちの横を通り過ぎる。
「ちょっと……!」
 振り返ったときには、すでに彼女はウィルフレッドのそばで膝を付いていた。
 アリシアリスは慌ててその隣に駆け寄り、同じように膝を付いて彼女を見上げる。
「どういうこと!? ウィルフはまだ、死んでいないの!?」
「まだ、ではありません。彼は死ぬこともなく、また、目覚めることもないのです」
 謎かけのような言葉が、ウィルフレッドを見つめる女性の口から流れる。
 アリスに続いて、女性を囲むように集まった他の者たちも、様々な疑問に首を傾げた。
 女性がアリスに振り向く。
「彼には『呪い』が掛けられています」
「呪い!?」
 フロウティアが声を上げ、アリスたちも驚愕して息を呑んだ。
「ネクロマンサーたちが仕掛けた罠です。この棘……デススパイクと呼ばれる物ですが、これに自らの血を塗り、それを以て相手に呪いを掛けたのでしょう。例えば、この棘による傷がふさがらないような『呪い』を」
「そんな……それじゃあ、やっぱり……」
 メリスが声を震わせ、両手で口元を覆う。
 しかし女性はゆっくりとかぶりを振った。
「直接的に相手の命を奪う『呪い』はありません。彼の傷は、たしかに普通の方法で塞ぐことはできませんが、死に至るほどに重大なものでもないのです。死に至らすことなく、それと同等の苦痛を生の中で与える──それが『呪い』というものです」
「生の中で……?」
「呪いによって、肉体だけでなく、魂そのものにダメージが与えられています。このままだと、彼は永遠に眠り続けるでしょう。生と死の狭間に、その魂をたゆたわせながら」
「それが、死の苦しみを与える生……というわけか」
「それは喩えです。おそらくご本人は、苦しみすら感じることはないでしょう。何しろ意識そのものがないのですから。夢すらも見ない、永遠の虚無に沈み込んでいるのです」
「そのようなことを、その……ネクロマンサーたちが?」
「おそらく、それなりに力を持つ悪魔と契約を交わしていたのでしょう。人の能力で、これはできません」
「悪魔っ!? そんなやばいのと、あたしたち戦わなきゃいけないわけ!?」
「その心配は無用でしょう。悪魔が力を貸したのは、仕掛ける呪いに関してだけでしょうから、あの者たちを助ける理由がありません。人と契約をした悪魔は、その契約によってのみ動くことができるのです」
 代わる代わる質問を重ねてくる一同に、女性は淀むことなく、淡々と、しかし丁寧に答えていった。
 彼らの疑問が一区切りを付いたと見て、彼女はその視線をアリシアリスに向ける。
 アリスは血の気の引いた顔で、女性を凝視するように見つめていた。
 説明の一つ一つが、とても信じられるような内容ではない。そんな恐ろしいことがウィルフレッドの身に起きているなど、信じたくはなかった。しかし現に、彼は倒れたままなのだ。
「心臓は動いているのです」
 女性がアリスにだけ言うように、ぽつりと口を開く。小さな体がぴくりと跳ねて、慌てるようにその耳を、ウィルフレッドの胸に押し当てた。
「……聞こえる」
 本当にわずか。耳を澄ませてようやく聞こえるほどに小さな鼓動が、アリスの耳に響いてくる。
「まだ……生きてる……っ!」
 その音が、とても素晴らしい物であるかのように、アリスの顔が輝いた。その瞳に再び涙が溢れてくる。先ほどとは違う涙が。
 アリスの声に、エアルフリードたちからも安堵の吐息が漏れ、笑顔が戻る。
 しかしそれを遮るように、白い女性が口を開いた。
「ですが、このままでは目覚めることもありません」
 抑揚がないその声は、今はとても重く耳に聞こえる。
 アリシアリスはウィルフレッドの胸から顔を上げ、彼女と視線を合わせた。
「何か……知っているのなら、教えて!」
 女性はしばし無言でその視線を受け止め、不意に自分のユニコーンを振り返った。そして手招きするように、白く細い腕を一角の獣へ差し伸べる。
「目覚めさせる方法はあります」
 ──!?
 ひどく何気ない様子でその言葉が紡がれ、アリシアリスたちは目を見開いた。
「しかしそれは、とても長い時間を必要とします。百年……二百年……あるいはもっと。それはエルフにとっても、長い時間となるでしょう」
 ちらりと、その切れ長の瞳がアリスに向けられる。
「ドワーフ族の貴女には、その一生を掛けても及ばない時間かもしれません」
「……」
 アリシアリスの薄桃色の唇が、真一文字に結ばれる。
 いかにヒューマンよりも長い寿命を持つとはいえ、ドワーフの寿命はエルフの半分ほどもない。普通に過ごしていたとしても、ウィルフレッドの方が長く生きることになる。
 そんなことは、最初から解っていたことだった。その現実と向き合うことの覚悟も、それでなお、今の時間と今の気持ちを大切にしたいと思うから……
「それでも貴女は、彼が目を覚ますまで待つことができますか?」
「できるわっ!」
 アリスは躊躇わずにうなずけたのだった。



 ──酒場の喧噪が、耳に戻ってくる。
 バインたちはその感覚に、ほっと息を吐いていた。感嘆するような、安堵するような、何とも言えない吐息を。
「……めいしゅさま……かわいそう……」
 一人、カノンだけは真紅の瞳を涙で腫らして、小さくしゃくり上げている。エアルフリードはそんな彼女を、優しく撫でてやった。
「大丈夫よ。もう昔のことだから。それに、あいつはそんなに柔じゃないから」
 小さなカマエルの少女を穏やかな笑みで慰める彼女の前で、バインが腕を組みながら低く重い唸りを漏らす。
「そんなことがあったとは……それじゃあ、盟主がエルダーにこだわるのも解るな」
 自分に置き換えてみれば、それがカイナだった場合、やはり槍使いをパートナーに選べるかと聞かれれば、できそうにもない。考えたくもないことではあったが。
 同じことを思ったのか、カイナが不安げな視線を向けてくる。バインは一つうなずいて、それに応えた。
「仕方ねぇな。この話は、無かったことにするか」
 嘆息混じりに、エアルフリードへ告げる。
 カイナもアドエンも、それに同意した。
「うむ。今の話を聞けば、やむを得まい。申し訳ないがな」
「そうだねぇ……」
 残念ではあるが仕方がない。盟主には恩もあれば、惚れてもいる。そう結論づける三人を眺め、エアルフリードは苦笑するように小首を傾げる。
「まあ待って。一応、聞いてみてからでもいいでしょ」
「けどさ。その……恋人がそんな風に……」
「大丈夫だって。──ね?」
 自分の背後を見るように、エアルフリードの瞳が動く。不思議に思った三人が、彼女の後ろを覗き込むように腰を浮かせた。そこに──
「人の過去を勝手にばらしてるんじゃないわよっ。まったく」
 逞しいライディングウルフに背を預け、少し赤くなった顔で腕組みをしながら、こちらを見ている盟主の姿があった。
「邪魔になるから」と言いながらも「短くしたくない」とポニーテールに結わえた山吹色の髪も、いつでも勝ち気に輝いている深緑の瞳も、あの頃から少しも変わってはいないが、その表情は幾分か大人びていて、経てきた時間に相応する経験と自信に満ちている。
「べ、別に隠していたわけじゃないけどねっ。同情とか、されたくなかっただけよっ」
 今は少しだけ、拗ねたように口を尖らせているが。
 バインたち三人は、盟主のその様子に顔を見合わせて、思わず相好を崩して座り直した。
 エアルフリードも再び苦笑を漏らしつつ、椅子の背に腕を預けるようにして、盟主に振り返る。
「まぁた宿の中でコロを出してんの? 他の客の邪魔でしょーが」
「何度も言うけど、勝手に出てくるのよ。あたしが喚んでるわけじゃないわ」
 朱の差した顔のままで肩をすくめ、大きなコロの頭をぽむぽむと撫でる。すっかり逞しくなったコロは、その精悍な顔を崩して、甘えるように目を閉じた。
「──で? うちに入りたい子がいるの?」
 椅子から降りてコロの前の駆け寄ってくるカノンをちらりと見ながら、アリシアリスの声はバインに向けられる。
 バインは少しだけ躊躇うような表情を見せて、肩をすくめるながらうなずいた。
「ああ……エルダーなんだが……」
「そうなの。それなら一度、会ってみないといけないわね」
 しかし、拍子抜けするほどあっさりと、アリシアリスがそう応える。普段と変わらない調子で。
 これにはバインもカイナも、いつも冷静なアドエンでさえ、気を殺がれたようにきょとんとした顔をした。
 コロの前でしゃがみ込み、口を丸く開けてウルフと見つめ合うカノンの頭を撫でながら、アリシアリスは片目をつむって呆れたように口を開く。
「そんなに驚くことではないでしょう。あたしは感傷だけに浸るほど、器は小さくないつもりよ」
「ま、まあ……そうだが……」
「本当にいいのかい?」
「良いか悪いかは、会ってから決めることだわ。人となりは、見せてもらうわよ」
 そう言ったとき、撫でていた手をカノンにてしてしと叩かれた。何かと思いながらしゃがみ込んでいるカノンを見下ろしてみれば、彼女は幼い顔に不思議そうな表情を浮かべて、見上げてくる。
「めいしゅさま。コロちゃんがぁ」
「コロが……?」
 小首を傾げ、アリシアリスとエアルフリードがコロに振り向く。
 見れば、小さなカノンと同じくらいの体躯を持つウルフは、前脚を揃えてちょこんと座り込み、ある一点を見つめながら大きな尻尾をふさふさと揺らしていた。
 それは少し懐かしいような、しかしよく見かける光景で、アリスもエアルフリードも思わず目を丸くする。
 その様子に、バインが苦笑を漏らした。
「実はそのエルダー、もう連れてきてるんだ」
 言って、自分たちのすぐ後ろのテーブルに座っていたエルフの肩に手を置く。
「ばれちまったみたいだね。──もういいよ」
 同じように苦笑しながらカイナがそう言うと、セリオンやアレクシスと同じ、けぶるような金色の髪をした青年が立ち上がり、緊張した面持ちで振り返った。
「あ、あのっ! は、初めまして!」
 堅い木の棒か何かを無理やり折り曲げるようにして、勢いよく頭を下げる。そしてそのまま、動かなくなった。
 唖然とするアリスとエアルフリードを前に、アドエンがエルフの青年の緊張をほぐすように肩を叩いてやる。
「ご期待のフロウティア殿はおられぬから、そこまで硬くなることはないぞ。目の前にいるのは、ただのツンデレ盟主と、もてないエルフだ」
「なっ──!? だ、誰がツンデレ盟主よ! しかも、ただっ!? アドエン、あんた各種ショットの支給を中止するわよ! あと、このバカエルフと同列にしないで!」
「私もモテモテだっつーのっ! あんた、ちょっと自分が美人だからって、調子に乗ってんじゃないわよっ! アリスはただでもいいけどっ!」
 アドエンの言葉に、一気に騒ぎ始めるアリシアリスとエアルフリード。互いに互いをけなすことで、その騒ぎはさらに加速していく。
 顔を突き合わせて罵り合うその様子は、いかにも親友同士のじゃれ合いであり、バインもカイナも呆れたように、そして微笑ましく、苦笑する。
「あ、あのぉ……」
 まるっきり置き去りにされたようなエルダーの青年が、遠慮がちに声を掛けた。その視界の端に、ふわりと白いローブが舞う。
「ほらほら、二人とも。その辺でやめなさいね。新しい仲間が困っているわ」
 指を突き付き合っていた二人の間に入るように、フロウティアがそれぞれの額をぺしりと軽く叩きながらそう言った。
 その一手で勢いを止められたアリシアリスとエアルフリードが、不満そうにしながらも、エルダーの青年に振り向く。
 そして、フロウティアの出現で再び全身を硬直させた青年に、小さくて大きい盟主が人差し指を突きつけた。
「あなたの加入を認めるわ。──ようこそ、我が血盟へ」
 その言葉に続いて、エアルフリードたちから歓迎の声が飛ぶ。
 目を丸くするエルフの青年を見つめ、この一幕の主役であるコロは、そのふさふさの尻尾をいつまでも振っていた。

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