神聖な静寂と冷気に包まれた広大な空間に、小さなブーツが床を踏む音が響く。
 ワイバーンでも悠々と翼を広げ、羽ばたけそうなその空間には、中央部にだけ天井から差し込む光がある。むき出しの土をそのままにした天井から、無数の木の根が伸び、絡み合い、その中央部にまるで一本の柱のように佇立していた。
 差し込む光は、木の根の隙間から漏れる陽光だろうか。
 小さなスポットライトを重ねたようなその光が、この空間の神聖な雰囲気をさらに演出しているようだった。
 板を置いただけの床を踏み鳴らし、アリシアリスはその絡み合う木の根に向かう。
 そこにいる彼を見つめながら──
「久しぶりね。また一年が経ったわよ」
 木の根の柱を前に、複雑に絡み合うその自然の芸術を見上げ、彼女は笑みを浮かべてそう言った。
 返ってくる言葉は、ない。
 しかし彼女は微笑んだまま、静かに両目を閉じて、近くにある木の根にそっと触れた。
「……」
 そこから感じられる温もりを確かめるように。
 ──不意に、彼女の足を別の温もりが包み込む。
 目を開けると、そこに一匹の逞しい狼が頬をすり寄せる姿があった。
 アリシアリスが笑いかける。
「元気そうね、ロキ」
 名前を呼ばれた狼は、顔を上げて優しい眼差しを向けてきた。
 ロキの頭を撫でるようにして、アリシアリスはその場に腰を下ろす。ロキもまた、彼女に寄り添うように座り込んだ。
 持ってきたロキの好物を取り出しながら、彼女が再び口を開く。
「この前はどこまで話したかしら? バインとカイナが結婚したことは、話したわよね」
 取り出した炙り肉をロキに与え、それを頬張る姿を微笑みながら見つめる。
「ポエットちゃんのことは憶えてる? あたしがお養父さまたちから頼まれて、うちで面倒を見ることになった子よ。あたしと同族の後輩」
 語りかけるように話ながら、ロキの前に首輪を置く。するとそこから、今やそのロキすら凌ぐ体躯へと成長したコロが、光を伴って飛び出してきた。
 久しぶりの再会を喜ぶように、二匹のウルフは互いの体を舐め合い、続いててしてしと前脚でじゃれ合い始める。
 アリシアリスは頬杖を付いて、それを見つめた。
「そのポエットちゃんがね。なんと、ユーウェインとくっついちゃったのよ。──ね? びっくりしたでしょ? ダークエルフとドワーフよ。あたしも予想できなかったわ」
 そう言って、佇立する木の根を見上げる。
「エアルがね。『あんたたちの前例があるから、どーってことない』とか言ってくれちゃって。ほんとは悔しいくせにね」
 彼女の後ろで、二匹のウルフはどたばたと駆け回り始める。それに目を向けて、アリスはくすりと笑った。
「他にも、アニアとライがくっついちゃったりしたわ。──あ、ライは、アニアが指導していたヒューマンの子なの。ほんと、うちは血盟内の恋愛が盛んよね」
 そして、近くにある木の根に寄り添うように体を預け、目を閉じる。
「まあ、ひとの恋愛範囲は狭いって言うものね。近くにいる相手ほど、好きになるのかもしれないわね。そういう意味では、あなたは本当に型破りだわ」
 目を閉じた彼女は、もう一つ笑う。
「ここの長老様も、そう言っていたわね」
 走り回るウルフたちの足音が、いきなり止まる。同時に、体に小さく振動が走った。
 顔を上げたアリシアリスが見たものは、木の根にぶつかってふらふらと歩くコロと、それを叱るように前脚で叩くロキの姿だった。
 きょとんとしていた彼女の顔が、弾けるようにほころぶ。
「年を取っても、あの子たちの関係はあまり変わらないわね。ロキはいつまでも、コロのお姉さんね」
 そして再び、彼女は木の根に体を預けた。
「エアルもね。いい後輩を見つけたわ。カノンていう、カマエル族の子よ。……カマエル族のことは、知らないわよね。教えてあげる」
 目を閉じて、彼女は語り続ける。
 仲間のこと。世界のこと。
 変わった出来事。最近の出来事。
 この一年間に起きたことを。彼の知らないことを、全部。
 いつしかウルフたちも彼女に寄り添うように寝そべり、彼女の話を子守歌にするかのように、目を閉じていた。
 天井から差し込む陽光がかげり、やがて月明かりが差し込むようになっても、彼女は話し続ける。
 たった一年。
 しかし、長い一年。
 彼に聞かせたいことは、沢山あった。
「……でね。その新しい子が……あなたと同じ……エルダーで……」
 うとうとと、アリスの小さな頭が揺れている。閉じていた目を開けて、そのまどろみを楽しむように、木の根を見上げて微笑んだ。
「今日はここで眠るわ……。たまには……いいわよね……」
 そう言うと再び目を閉じ、小さく寝息を立て始める。彼女の体を包み込むように、ロキとコロがぴたりと寄り添う。
 静寂に包まれる広大な空間。
 穏やかな空気に満たされたその場所で、あどけない寝顔をみせるアリシアリスを、差し込む月光に照らされる世界樹のゆりかごが、優しく見つめているようだった──。
 
 

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