「……ただいま」
 ギランの宿に戻ってきたアレクシスを最初に見つけたのは、先輩であり従姉でもある同族、エアルフリードだった。
「おかえ……」
 宿の一階にある酒場のテーブルで優雅に午後のティータイムなんかを楽しんでいた彼女は、至極普段通りに振り向き、出迎えるつもりであった。
 しかしそこに普段通りではないものがいたのだから、そうもいかない。
「……」
「……」
「……」
 しばし見つめ合う、二人と幼子。
 やおら、エアルフリードは自嘲気味な笑みを浮かべて、静かにティーカップをテーブルの上に置くと、
「──アレクが子供作ってきたぁーっ!」
 宿中に響き渡る声を上げながら、二階への階段を駆け上がっていったのであった。
「……こうなるだろうと思ったんだよ」
 アレクシスは引きつった笑みを浮かべ、彼の手を握る少女は不思議そうに首を傾げる。
 それは、静かな午後が一転したことから始まる、小さくて大きな出会いの物語──。

「さあ! きりきり白状しなさいッ! いったいどこのダレ子ちゃんの子供なのッ!?」
 床に正座させられたアレクシスの前に仁王立ちし、戦闘時よりもなお険しい怒りの面をみせるエアルフリードが言う。
 彼女の声で集まった血盟の仲間たちに囲まれ、居心地が悪そうに──むしろ今すぐ逃げ出したい心境のアレクシスを、隣で彼の真似をして正座している少女が、不思議そうに見つめていた。
「だ……」
 冷や汗がつたう頬を引きつらせながら、アレクシスは怒れる従姉を見上げて口を開く。
「誰だろうな?」
「相手もわかんないのッ!? 最っ低ねッ!」
 ドンッ!と床を踏み抜くかのように足を鳴らしながら言ったエアルフリードに、少女はその小さくも長い耳をぴくりと震わせて振り向く。瞳を丸くしている様子は、まるで小動物が驚いている姿に似ていた。しかしその瞳には、まるで感情の色がない。
 彼女の無垢で深いその瞳に、エアルフリードはどのように映っているのだろうか?
「ち、違うっての! 俺の子供じゃねえよ!」
「はあ!? 今さら言い訳するつもり!」
「本当に違うんだよ! こいつが勝手に付いてきたんだ! 親も探したけど、いなかったんだって!」
 座ったまま、エアルフリードを見上げて必死にそう言うアレクシスの表情は、真剣そのもの。さすがに従姉もその表情に声を詰まらせた。
 少女はアレクシスの横顔を見つめる。不思議そうに。
 そんな彼女の小さな頭を、誰かの柔らかい手のひらが撫でた。
「アレクシスの子供だとしたら、もっと幼いのではないかしら?」
 少女と同じ目線になるように、隣に腰を下ろしたフロウティアが微笑みかけながらそう言う。
 エアルフリードは小さく呻いてから、考えるように視線を宙に浮かせた。
 少女の瞳が彼女を捉える。そして、まるで人形がそうしたように、無機質な動きで首をかくんと傾げた。
 フロウティアは少しだけ驚いたような顔をしてから、もう一度、少女に笑みを見せる。
「ヒューマンの言葉は解るかしら? 私の名前はフロウティア。よろしくね」
「……」
 解らないのか、それとも答えたくないのか……。少女はただじっと彼女を見つめた。
 フロウティアは苦笑するように笑ってから、ついっと顔を上げて、彼女たちを囲む仲間の一人に話し掛ける。
「ダークエルフもエルフと同じように、人間に比べると成長は遅いのよね?」
「ええ、そうよ。あなたたちの感覚での成長期が終わるまで、百年はかかるわね。成人と認められるのは、さらに百年を要するわ」
 問われた仲間、自ら『天才』と言って憚らないダークエルフ族の巫女シアンは、得意げな顔で答える。もっとも、彼女がそれ以外の表情を見せることは、滅多にないのだが。
「そうすると……この子は何歳くらいになるのかしら?」
「七十歳くらいね。うちの子とあまり変わらないようだし。もっとも……」
 少女を見つめて考え込むようにしていたフロウティアは、言葉を切ってしまったシアンを振り仰ぐ。
 常に自信を溢れさせ、何事も自分の思考と直感で断定してきた妖艶な司祭が、この時は鋭さと堅さを持つ真剣な顔付きで、閉じた片目を少女に向けていた。
「蒼い瞳の同族なんて、初めて見たけれど」
「──え?」
 彼女の言葉にアレクシスは思わず声を上げる。そして慌てて少女に振り返った。
 少女もアレクシスを見つめてくる。
 深いところでたゆたう水のように、いかなる感情の動きも見せないその瞳は……その比喩に相応しい、深海のように澄んだ蒼色だった。
「そんなはずは……」
 アレクシスの記憶にある少女の瞳は、不思議な輝きを放つ赤紫の色である。それは出会ったときからこの宿に戻ってくるまでの間、ずっと変わらない。変わるはずがなかった。
「何よ? どうしたの?」
 アレクシスの態度に、エアルフリードも眉をひそめる。
 咄嗟に振り向き、説明しようと思ったが、どう言えばいいのか解らず、アレクシスは口をぱくぱくと動かすだけになってしまう。
 他の仲間たちも怪訝そうに彼を見つめる。
(ってゆーか……言っても信じてもらえないよな、ふつー)
 その結論にいたり、彼は「見間違えたかもしれない」と自分を納得させることにした。
 自嘲するように笑みを浮かべ、深くため息を吐くアレクシスに、エアルフリードは何かを察したらしく、口元をにやりと歪める。
「ま、そんなに落ち込まなくてもいいわよ。ちょっと変わってても、ダークエルフはダークエルフなんだし。あんたの『計画』に支障はないでしょ?」
「……は? 計画?」
 顔を上げたアレクシスに向かい、エアルフリードは腕組みをして胸を反らせる。
「私が見抜けないとでも思ってるの? さっぱりモテないもんだから、子供のうちから囲っておいて、大人になったら恋人にでもしようって算段なんでしょーが」
「……従姉貴って、時々すげえよな。いや、悪い意味で」
 的外れもいいところな予想を口にする従姉を、呆れ返ったジト目で見上げるアレクシス。その頭を、エアルフリードは笑いながらバシバシと叩く。
「今さら隠さなくてもいいのよ。まあ、子供にときめいちゃったのが恥ずかしいのは解るけど、うちにはもうユーウェインとポエットちゃんっていう組み合わせもいることだし」
 人垣の中のユーウェインが無言で剣に手を掛けるが、それはセリオンとメリスが全力で阻止した。
「それにほらっ。うちはもう、盟主からして相手が『アレ』だったわけだしさー。今さらその手の趣味にとやかく言わないって!」
 そう言って高笑いするエアルフリード。
 その背後には、いつの間にかその場に来ていた盟主、アリシアリスの怒髪天を衝く顔と、同じように目を怒らせ、文字通り脂汗を流しながらカウントダウンを始める、ビックブーム・ゴーレムの姿があったという……。

「ともかく、名前と両親のことを聞いておかないといけないわねっ」
 酒場に備え付けられた丸テーブルの椅子に座り、腕組みをしてふんぞり返ったアリシアリスが仕切り直す。
 同じテーブルに、今度はちゃんと椅子に座らされたアレクシスと少女、そしてフロウティアがいた。
 ちなみにビックブームによる爆発は、直前に危険を察したプリシラの号令により、その場にいた司祭、神官たちによる防御魔法が発動したため、最小限の被害で済んでいる。
 その最小限の被害者たるエアルフリードは、丸焼きにされた魚のようになって、いまだ床に倒れたままなのだが。
「アレク。この子の名前くらい知ってるのよね?」
 小さな盟主は当然のようにそう訊いてきた。しかし対するアレクシスは、焦ったように激しく首を横に振る。
「それが、何を聞いても答えてくれないっていうか……俺、こいつが喋ってるとこを見たことがないんですよ」
「……出会ってから、ずっと?」
「ずっと。ダークエルフたちの村に連れて行ったときも、他の大人連中に話し掛けられても、何も言わなかったんですよ」
 ついでに、その時はダークエルフたちからえらく睨まれたと付け加えた。
 テーブルを囲んでいる仲間の中から、アニアネストが「そうだろう」というように、大きくうなずく。
「あなたたちエルフもそうだろうけれど、私たちダークエルフも出産率は落ちていっているわ。子供は貴重で大切なものなのよ。それを、よりにもよってエルフ族に連れて行かれたのでは……」
「お、俺は別に、連れて行こうとしたわけじゃ……っ!」
「そう見られても仕方ないだろ? てことだ」
 アニアネストの隣に並ぶライが、苦笑しながら付け加える。そしてシアンからも、
「よく生きて帰ってこられたわね」
 そう言って艶やかな微笑を向けられてしまった。
(怖ぇっ! ダークエルフ、マジ怖ぇえっ!)
 実はもの凄いことをしてしまったのだと、今さら気が付かされ、冷や汗を流しながら小さく震えてしまうアレクシス。
 そんな彼の横に座るアリシアリスは、少し考えるようにしてから、彼を不思議そうに覗き込もうとしている少女に顔を向けた。
「自分の名前を言えるのなら、何語でも構わないから言ってみなさい」
 それはとても流暢なエルフ語で、彼女のことをよく知っている仲間たちからも感嘆の声が漏れるほどだった。
 しかし訊ねられた少女は、その紺碧の瞳をアレクシスからアリスへと移しただけで、口を開くどころか、逆に先ほどフロウティアにそうしたようにかくんと首を傾げる。
 アリシアリスは困ったように顔を天井に向け、ため息を吐いた。
 その様子に苦笑をして、今度はフロウティアが隣に座る少女へ手を差し伸べながら問い掛ける。
「あなたのお名前は? どこから来たの?」
 やはり彼女の発するエルフ語も、エルフたちの口から漏れるものと遜色がなかった。
 少女の瞳がフロウティアに向けられる。
 フロウティアの手が少女の肩に掛かった長い髪を梳くように、背中へと流す。
 その時──
「……しー……ん……」
 少女の唇が小さく動き、声を紡いだ。
 アレクシスも、天井を見上げていたアリスも、弾かれたように驚いた顔を少女に向ける。
 フロウティアも少しだけ意外そうに目を丸くするが、すぐにいつもの微笑みを見せて、ゆっくりとうなずいた。
「もう一度」
「しー……ん……」
 それはとてもたどたどしく、それでいて抑揚のない声である。震えるような唇から紡ぎ出されるその声は、まだ言葉にならない不安定さがあり、はっきりと聞き取れない。
 まるで、赤子が初めて喋ろうとしているように。
 だからフロウティアは、母親がそうするように、焦らずゆっくりと、彼女の言葉をうながした。
「もう一度、言ってみて」
「しー……ん」
「うん。もう一度」
「しー……れん」
 はっきりと聞こえたその言葉……いや。名前は、その場にいる全員の思考と全身を凍り付かせた。
「しーれん」
 少女は、褒められた子供が嬉しくてそうするように──あるいは壊れた機械が同じ動作を繰り返すように、その名前を発する。
「しー……」
 だがそれを、アレクシスの右手が止めた。少女の口にかぶせ、空いた左手で小さな頭を押さえる。
 誰もが息をすることさえ躊躇う、嫌な静寂が酒場に流れた。
 両目を閉じ、苦虫を噛み潰すような顔で少女の口を押さえていたアレクシスが、引きつる頬で無理やりな笑顔を見せる。
「……ま、まあ……冗談にしちゃ、やりすぎだよな?」
 場の空気を変えようとしたその一言は、残念ながらあまり効果はなく、幾人かが同調して乾いた笑いを漏らしただけだった。
 その中で、少女が何が言いたげにもごもごと口を動かす。また同じことを繰り返されるのかと、アレクシスは眉をひそめるが、少女は自分の右手を上げて彼を指差していた。
「……なんだ?」
 恐る恐る、口を塞いでいた手を離してみる。
 解放された少女は大きく息を吐くと、蒼い瞳を彼に向け、指を差してこう言った。
「あれく」
「!」
 目を丸くするアレクシスに続いて、少女は反対側に座るフロウティアも指差す。
「ふろー……てぃあ?」
「……はい。そうですよ」
 にこりと笑う彼女に、少女は無表情のままで小さくうなずいた。
 それから次に、正面のアリシアリスをも指差す。
「めーしゅ」
「名前じゃないけど……まあ、いいわよ」
 アリシアリスは憮然とした表情を浮かべながらも、照れたように目元を染める。
 そして少女は、床に倒れたままになっていたエアルフリードにも視線を向けた。
「あねき」
「誰があんたの姉かぁッ!」
 焼き魚から一瞬でエルフに戻ったエアルフリードが立ち上がる。
 そして、無垢で無感情に見つめている少女の頭を、がしりと片手で押さえた。
「あんたなんかが神様の名前を名乗るなんて、一億年早いのよ! あんたなんて『しぃ』で十分っ!」
「……しぃ?」
 少女は、かくんと首を傾げる。疑問を感じて、問い返すように。
 それはアレクシスが見る、彼女の二度目の感情らしい感情である。
「そっ。あんたは今日から、そう名乗りなさいっ!」
「しぃ」
 決め付けたエアルフリードに、少女は理解したようにうなずき返すのだった。

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