「しぃ……ね」
 エアルフリードが名付けた少女の呼び名を、フロウティアは口の中で繰り返してから、にこりと少女に微笑みかけた。
「じゃあ、あなたはシィちゃんね」
「しぃ」
 少女はフロウティアを見上げて、こくりとうなずく。そして再び、フロウティアに小さな指を向けた。
「ふろーてぃあ。しぃとおなじ」
 少女の言葉にフロウティアは目を丸くし、アレクシスや他の仲間たちもどよめく。
「喋った!?」
 驚くところは全く違っていたようだが。
「同じ……?」
 目を丸くしたまま首を傾げるフロウティアの背中を、眉をひそめるような苦い顔のエアルフリードが見つめていた。

「おなじ? にてる?」
 真似をするように、フロウティアと視線を合わせたまま、左右交互に首を傾げる少女──シィ。それは彼女自身も不思議がっているようで、何だか可笑しい。
 周囲の者が微笑ましく顔を緩める中、エアルフリードと同じく、アリシアリスも苦い表情でシィを見つめていた。
「……とりあえず」
 そして目を閉じるように伏せて、ため息を吐くように口を開く。
「アレクは、まだ審査の途中でしょう? さっさと行ってきなさいよ」
「うっ……わ、解ってますって」
 矛先を向けられたアレクシスは、思わず頬を引きつらせながら答えた。旅の途中ではあったが、まさかシィを連れたまま『試験』を続けるわけにもいかず、仕方なく戻ってきただけなのだ。
 小さな盟主は片目を閉じたままその視線をアレクシスに向け、続けて言う。
「ダークエルフの方へは、冒険者ギルドから何とか繋ぎを付けてみるわ。こっちで預かることと、身元の確認。厄介そうだけれど、やっておかないと面倒なことになりそうだものね?」
「す、すいません……」
 盟主らしいところを見せたアリシアリスは、申し訳なさそうに顔を伏せるアレクシスに一つうなずいてから、ぴょんと椅子から降りて立ち上がる。
「じゃ、その間のシィの面倒は……」
 そう言って仲間たちを見回したとき、自分のことが話題にされているらしいと解った少女がアレクシスに、その無垢で無感情な顔を向けた。
「あれく、いなくなる?」
「あ……うん。ちょっとの間だけな」
 まだ聞き慣れない、少女のぎこちないような無機質な声に、少しだけ不意を衝かれながらアレクシスはうなずいた。
 シィは、アリスの真似をするようにぴょこんと椅子から降りると、アレクシスを見上げたまま数歩の距離を移動し、彼の服の裾を掴む。
「それは、しぬ?」
「ち、違うぞ! いなくなるって言っても、出掛けるだけで、すぐ帰ってくるって!」
「そう」
 思いがけないことを言われて慌てるアレクシスに、シィはこくんとうなずいて掴んでいた服を離した。そして、待つようにじっと彼を見つめる。
 彼女のその意図に気が付いたのは、不可解なことを言われてからずっと彼女を見つめていたフロウティアだけではなかったが、他の者が困ったような顔をする中で、彼女だけは微笑を浮かべて席を立ち、少女の傍に寄った。
「しぃちゃんは、ここで私と一緒に、アレクの帰りを待ちましょうね」
「どうして」
 くるりと顔だけを振り向かせたシィに、フロウティアは視線を合わせるようにしながら頭を撫でる。
「一緒に行くと、危ないから。アレクも全力を出すことができなくなるわ」
「あぶない?」
「そう。アレクは魔物と戦ってくるのよ」
「まもの……」
 呟いて、再び自分を見上げたきたシィの瞳に、アレクシスは一瞬だけ赤いような光を見た気がした。
 そのことに目をしばたたかせている間に、少女は背伸びをするようにして、開いた両手を彼に差し伸べていた。
「いっしょにいく」
「だ、だから……ダメだって」
「だっこ」
「聞けよ、おい……」
 困り果てたような顔で体を傾けるアレクシス。その真似をして、シィも上体を傾ける。
 そんな少女に小さく苦笑したフロウティアの横から、不意に両手が伸ばされて、シィの小さな体が持ち上げられた。
「ほら。わがまま言わないで、私たちと一緒にいるのっ」
 エアルフリードが慣れた手つきで、ひょいっとシィを抱きかかえる。彼女とは対照的な肌色を持つ少女が、珍しく驚いたように目を丸くした。
 フロウティアも立ち上がって、シィの柔らかい白銀の髪を撫でてやる。
「エアルはアレクのお姉さんみたいなものだから、しぃちゃんも遊んでもらうといいわよ」
「あねき」
「そうそう。従姉貴ね」
 姉と呼ばれて憮然とするエアルフリードに、フロウティアは可笑しそうに笑う。
 その三人の様子を見て、アリシアリスは腰に両手をあてながらうなずいた。
「それじゃあ、シィの面倒は、エアルとティアにお願いするわ」
 その言葉を合図にしたように、集まっていた仲間たちがそれぞれに解散していく。アリシアリスも、さっそく冒険者ギルドへ行くために、宿の出口へと向かう。
「アレクも、早く行きなさいよ」
 扉に手を掛けながらそう言った盟主に、セリオンとメリスが付き従うように並んだとき、その扉が外側から開かれた。
 不意を衝かれて目を丸くするアリシアリスの前に、エルフの青年が現れ、やはり一瞬、目を丸くして固まる。
「──あ。す、すいません!」
 そして慌てて頭を下げてきた。
 金色の髪に、品の良い、どこか育ちの良さそうな顔立ちをしたそのエルフの青年は、下げたときと同じ勢いで頭を上げたあと、すぐに入り口の横へ飛び退く。
 アリスは短くため息を吐いた。
「リシャール……そろそろその『堅苦しく動く癖』、直しなさいよ」
 まだ加入して日が浅いエルフ族の神官は、盟主のその言葉にも緊張した顔をわずかにうなずかせるだけである。
 もう一度ため息を吐き、セリオンとメリスを伴ったアリシアリスが宿から出て行く。
 ほっと胸を撫で下ろしたリシャールに、入れ替わるようにして声が掛けられた。
「おかえりなさい。リシャール」
「──フロウティアさん!」
 酒場の中から微笑みかける美しい司祭に、エルフの神官は頬を染めて明るい表情を浮かべる。
 椅子から立ち上がり掛けていたアレクシスは、その様子に、面白くなさそうに眉をひそめた。
「……あいつが」
「そっ。バインたちの紹介で入ったエルダー。フロウティアに憧れてるっていう、ね」
 含むような笑顔と言葉を従弟に向けるエアルフリードの腕の中で、シィはアレクシスを見つめて首を傾けるのだった。

「お探しだった材料が、冒険者の露店にありましたよ!」
 扉を閉めるのももどかしく、リシャールは両手に抱えるようにした木箱を掲げながら、フロウティアの前まで駆け寄ってくる。
 フロウティアはその箱を見ながら、意外そうに口を開く。
「それを探しに、わざわざ出掛けていたの?」
「はいっ。以前にドワーフ族の冒険者が売っているのを見た記憶があったので、まだいるかと思いまして」
 嬉しそうに破顔しながら、ここ最近は見なかったが、以前と同じ場所で露店を開いていたので見つけることができたと、付け加える。
「それにしても、フロウティアさんがこんな革鎧の材料を探していたなんて、意外です。これって、軽装戦士たちが愛用している物ですよね?」
「ああ……。それは私が使うのではないのよ。このあいだ入ってくれた、オーク族の子にと思ったの」
 小首を傾げるようにして微笑むフロウティアに、リシャールは感動したように瞳を輝かせた。
「さすがです! やっぱりフロウティアさんは、みんなのことを考えてるんですね!」
「……たぶんその話をしたときは、私とアリスもいたと思うんだけどね〜」
 フロウティアの後ろから、シィを抱えたままのエアルフリードが小さくツッコミを入れてみる。しかしリシャールには、あまり聞こえていないようだった。
 尚もフロウティアを賞賛するリシャールにため息を吐いて、エアルフリードはちらりと隣を見てみる。
 そこには、当然というか、むくれた顔で敵意に満ちた視線を同族の神官に向けるアレクシスの姿があった。
「……あのやろう……それ以上、近付くんじゃねえっ……」
 何かぶつぶつと文句を言っているようだが、それを直接ぶつけられないところに悲しさを感じてしまう。
 再び呆れたようなため息を吐いてから、エアルフリードはわざと大きな声を出した。
「そーいえば、アレクも新しい装備を用意しないといけないわねー。準備してんの?」
 それは効果覿面で、フロウティアしか目に入っていないかのようだったリシャールも、あまりに誉められてちょっと引き気味だったフロウティアも、そして陰湿な気配を溢れさせていたアレクシスも、一斉に彼女の方に振り向く。
「──アレク? ああ! きみがアレクシスくんか!」
 ようやく他の者が視界に入ったらしいリシャールは、にこやかに笑いながらアレクシスに手を差し出してきた。
「フロウティアさんから話は聞いてるよ。僕はリシャール。血盟では、きみの方が先輩になるね。よろしく!」
「お、おぉ……よ、よろしくな」
 あまりにフレンドリーな態度に、アレクシスは気後れしながら彼の手を握り返す。
 見たところ、同い年くらいだろう。鮮やかな金色の髪は同じだが、まとっている雰囲気では負けている気がするアレクシスだ。
「今、『転職』の試練中なんだって? 辛いだろうけど……頑張るんだよ!」
 自分の経験を思い出したのか、少しだけ蒼い瞳を潤ませてそう言う。何だかとても、感情の起伏が激しい人物のようだ。それもホッとではなく、ウエットな方向に。
 アレクシスが苦手とするタイプである。
「ちょっとやりにくいっしょ?」
 エアルフリードも同じなのか、苦笑しながら片目をつむってみせる。フロウティアも微妙な笑顔を見せていた。
「や、やりにくい、ですか?」
 握手していた手を離し、慌ててエアルフリードに振り向くリシャールだが、その目に小さなダークエルフ族を見つけて、別の意味で慌てる。
「え、エアルフリードさん! そ、その子はいったい……!?」
「ん? アレクの連れ子」
「誤解を招く言い方はやめろぉっ!」
 さらりと言い切るエアルフリードに、間髪入れず抗議するアレクシス。そしてリシャールは、ぽかんと口を開いてシィを見つめる。
「ちょっと事情があってね」
 フロウティアが苦笑しながら説明する間、シィはちらりとリシャールに瞳を向けるが、すぐに興味を無くしたようにエアルフリードの髪で遊び始める。
「なるほど……不思議な話ですね」
 事情を聞かされ、リシャールは言葉通りの不思議そうな顔でまじまじとシィを見つめた。それに対しても、少女はまるで関心を示さず、エアルフリードの髪を留めている紐を取ろうと手を伸ばしている。
 フロウティアがそんなシィに優しい笑みを浮かべ、自分のポケットから髪留めを取り出して差し出す。
「ともかく、今はアレクの『転職』が先よ。しぃちゃんのことは心配いらないから、早く行ってきなさい」
 差し出された髪留めに首を傾げつつ受け取り、両手で弄び始めたシィに、アレクシスも視線を向ける。それからフロウティアに向き直り、大きくうなずいた。
「よろしくおねがいします。できるだけ早く戻ってきますんでっ」
「ええ。そうしてあげてね」
 にこりと笑った彼女から、アレクシスは一瞬だけリシャールに視線を向け、再度彼女と視線を合わせた時には、姿勢を正しながら何かを飲み込むように喉を鳴らした。
「あ、あのっ……それでっ……」
「うん?」
「戻ってきたら、聞いて欲しいことがあるんですけどっ!」
 それは珍しく緊張したアレクシスの姿であり、とても真摯で真剣な表情から出てきた言葉であった。
 その真っ直ぐな瞳を受け、フロウティアは口元に小さな笑みを浮かべながら目を伏せるようにする。
「……わかったわ」
 了承されたその言葉に、アレクシスは見えないように小さくガッツポーズをした。これでリシャールへの牽制にもなるし、目的の第一段階はクリアーされたのだ。
 しかしこの時、エアルフリードに抱かれているシィが、じっと見つめていることには気が付かなかった。
「じゃ、俺、いってきます!」
 善は急げと、戻ってきたときそのままの装備で駆け出していくアレクシスを、フロウティアとエアルフリード、そしてリシャールが笑顔で見送る。
「……さて。しぃちゃんのお部屋を決めないといけないわね」
 アレクシスの姿が見えなくなってからそう言ったフロウティアは、振り向いて微笑みかけた少女に、じっと見つめられていることに気が付いた。
「どうしたの? 何かしたい?」
 小首を傾げるようにして問い掛けたとき、親友の腕に抱えられていた少女の手から、先ほど渡した髪留めが、捨てられるようにこぼれ落ちる。
「しぃは、ふろーてぃあ、きらいになった」
 
 ──それは、無垢な心が痛みを覚えた、出会いの物語。

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