広がる青空。照りつける太陽。耳に届く細波の音。鼻をくすぐる潮の香りと……
「相変わらず、湿度たけぇなぁ」
 湿った土を踏みしめ、指で摘み上げた上着の首もとをぱたつかせながら、アレクシスはぼやくように呟いた。
「ほんと、この島の気候はどーなってんだろうな?」
 まるで炙るかのように強い陽射しを投げ掛けてくる太陽を、目を細めて見上げる。
 ここはクロコダイルアイランド。凶暴なワニが住まう、年間を通して高温多湿なこの島に、アレクシスとシィ、そしてアカデミー生たちは足を踏み入れていた。
「けーき」
 いつもより薄着なアレクシスの服を、傍らのシィがくいくいと引っ張る。無感情な丸い瞳で彼を見上げ、首を傾げた。
「けーきは?」
 シアンが用意してくれた薄手のシャツと膝丈のキュロット、そして耐水性のブーツを履いた彼女は、さながら『子供探検隊』といった風情である。その小さな探検家が探しているものに、アレクシスは口を開けて笑った。
「それは帰ってからのお楽しみだ。今頃、盟主やポエットが準備してくれてるぜ」
「そう……」
「ンな、がっかりすんなって。運動しておくと、ご馳走が美味しく、いっぱい食べられるんだぞ?」
「わかった。しぃも、うんどうする」
「かのんもーっ!」
 ご馳走と聞いてうなずくシィに続いて、、一団の最後尾にいたカノンも、両手を挙げながら跳ね飛ぶ。
 アレクシスはシィの頭を撫でながら、カノンにも爽快な笑みを見せた。
「そんじゃ、まずは準備運動代わりに、かけっこでもするかっ」

 比較的、乾いた土の場所を選んで駆け出したアレクシスと、それを追い掛けるようにぽてぽてと走り出すシィとカノンを見送りながら、独特のセンスで革鎧を着崩したヴァンフォートが、呆れたような表情で頭を掻いた。
「はぁ〜……ほんとに懐いてるんスね〜。先輩たちから聞いたときは、半信半疑だったんスけど」
 彼の隣に並ぶ神官衣姿のベアトリクスも、滲む汗でずれてくる眼鏡を気にしながら、一つうなずく。
「ですわね。エルフを慕うダークエルフの子供とは……しかもその子が……」
「最早どうでも良いではござらぬか。そのようなこと」
 二人の間に入るように、セーラの長身が並んだ。この夏のような気候の島にあっても、彼女の漆黒の板金鎧が取り払われることはなく、その額に汗を滲ませることもない。
「同じ旗の下に集いし我ら、仲間であり、家族でござろう。拙者はシィ殿も、気に入ったでござるよ」
 やけに涼やかな笑みを浮かべてそう言う彼女を、ベアトリクスもヴァンフォートも一瞬、目を丸くして見つめたが、すぐにそれぞれ笑みを見せる。
「そうですわね。新しい『妹』ができたということですわ」
「今日は歓迎会も込みっスね」
 彼らの視線の先では、大人げなく全力で走っていくアレクシスと、早くも飽きてしまったらしいシィとカノンが、水辺に座り込んで『水生生物観察』を始めてしまっていた。
「それにしても、どうして『ワニ島』なんスかね?」
 自分たちも歩き出しながら、ヴァンフォートは首を傾げるようにベアトリクスに訊ねる。着慣れたはずの神官衣を、この暑気に中で初めて煩わしく感じている彼女は、片肌を晒す彼の姿を、少しだけ羨ましく思った。
「以前にこの島に来たとき、クロキアンたちと戦ったからだそうですわ」
「ああ……マーガレットさんのトコと、交流会のときっスね?」
「ええ。わたくしたちは先に逃げましたけれど、アレクはポエットたちと残りましたわね。その時、『あとちょっとだった』とか」
「なるほど。それで腕試しってわけっスか」
「そういうことですわ。まあ、わたくしたち全員で戦えば、なんとか……」
 言い掛けたベアトリクスが、ふと顔を上げて立ち止まり、首を傾げる。
「どうかしたでござるか?」
 その横顔を覗き込むようにして訊ねたセーラに、ベアトリクスは前方に見える丘を指差して見せた。
「今あそこに、フロウティア様がいらっしゃったような……」
「なに言ってんスか。フロウティア先輩は、宿の方を片付けてから合流するんスよ?」
「そうですわよね……」
 考えるように口元に手を当て、首を捻るベアトリクスに、セーラが笑いかける。
「フロウティア殿を慕うあまり、幻でも見てしまったのではござらぬか? 何しろ共に行動するのは、久しぶりでござろう」
「そ、そうかもしれませんわね……」
 照れたように頬を染めてはにかむベアトリクスに、ヴァンフォートは思わず引きつったような笑みを浮かべてしまう。
「いや……そこは否定した方がいいっスよ」
 彼女の『フロウティア好き』は、もしかしたらアレクシスやリシャール以上かもしれないと言われているのだが、幻覚を見て喜べるのはどうなのだろうと思わずにはいられない、ヴァンフォートであった。
 しかし──
「あれは……たしか……」
 大振りな椰子の木に身を隠すようにして、その女性はアレクシスたちの様子を窺う。
 ベアトリクスが見た人物は、たしかにそこにいたのである。

「これは、なに? あしがいっぱい」
「これはムカデさんだよ。ちっちゃいムカデさん」
「これは? ちょっとあしがいっぱい」
「これはカニさん。ちっちゃいカニさん」
 石をひっくり返したり、草を引き抜いたりしながら、地面から出てくる生き物たちを指差して訊ねるシィに、カノンが一つ一つ答えていく。
「かにさん。おおきな、て」
 ちまちまと横歩きをしていく蟹を指さし、興味深そうにうなずくシィに、カノンも嬉しそうに頬を緩ませていた。ちょっとだけお姉さん気分を味わっているのかもしれない。
 そしてアレクシスは──
「はっはっはっ! 誰も俺には付いてこれまいっ!……ていうか、付いてこいよ、おい!」
 一人だけ離れた場所で騒いでいた。
 シィが顔を上げ、かくんと首を傾げる。
「つかれた?」
「はやっ!? 体力なさすぎだぞ、シィ!」
「こどもだから」
「うゆうゆ。しぃちゃんは小さいんだよー。もっとたにんのことをかんがえなさいっ」
「平仮名になってるぞ、カノン。無理して難しい言葉を使うな」
 言ってから、アレクシスは大きくため息を吐いて、来た道を戻り始める。
「フロウティアさんは、いつ来るんだろうなぁ……」
 そんなことを呟きながら、空を見上げて再びため息を吐いてみたりした。
 その呟きが聞こえたのか、シィの小さく尖った耳がぴくりと動く。そして少しだけ不機嫌そうに、口元を歪める。
「うゆっ。しぃちゃん、危ないよっ」
 その時、隣にいたカノンが警告を発した。アレクシスを見たままのシィの手が、先ほどまで注目していた蟹に触れたからだ。
「──っ!?」
 シィのあどけない顔が痛みに歪み、咄嗟に手を跳ね上げる。彼女の小さな指に比して大きな蟹のハサミが、がちりと食い込んでいた。
「しぃちゃん! だめっ!」
「……ん?」
 カノンの鋭い声に、近付いていたアレクシスも、反対側から歩いてきていたベアトリクスたちも、怪訝そうに顔を向ける。
 そこには、跳ね上げた自分の手を大きく上下に振り回す、シィの姿があった。その指先にかじり付くようにぶら下がっている、小さな蟹を振り払おうとしているのだ。
 そして次の瞬間、
 ──ぱきゃっ!
 乾いた音が響き、シィの足下の石にぶつけられた蟹が、至極あっさりと砕け散る。
「あ……!?」
「とれた」
 カノンの悲しげな声と、シィの無感動な声が重なって聞こえた。
「カニさんがぁ……」
 幾本かの脚を千切り飛ばされ、甲羅を砕かれた蟹の無惨な姿に、カノンは手を差し伸べながら、真紅の瞳を潤ませる。
 蒼い瞳で同じものを見つめるシィは、首を傾げた。
「かにさん、うごかない」
 そして、先ほどまで挟まれていた血の滲む指で、仰向けの蟹の腹をつつく。
「……」
 そのシィの側で、アレクシスが立ち止まる。そして身をかがめ、小さな頭にぽむっと手を乗せた。
「カニさん、死んじゃったなぁ」
「しんだ?」
 振り向き、顔を上げたシィは、首を傾げるように問い返す。アレクシスは神妙な顔で何度かうなずいた。
「動かなくなっただろ? 脚もなくなって、背中も割れちまってる」
 指を差して言う彼に倣うように、シィも再び蟹の死体を見つめる。
「シィがぶつけちまったからな」
「しぃが……」
「シィも腕とか足が無くなったりしたら、痛いだろ?」
 言われて、先ほど蟹に挟まれた自分の指先に視線を向ける。わずかに血が滲むその場所からは、まだ染みるような痛みが広がっていた。だからシィはこくりとうなずいた。
 アレクシスは彼女の頭に置いた手で、くしゃりと白い髪を撫で混ぜる。
「痛すぎると、死んじゃうんだよ」
「いたいと……しぬ」
 呟いて、シィはもう一度、蟹の死体に目をやった。脚が無くなり、甲羅が割れたその姿は、とても痛そうに見えた。そしてそうなったのは、自分が石にぶつけたからなのだと理解できた。
「しぃが、かにさん、ころした」
「そうだ。カニさんも、シィに攻撃されたから、抵抗しただけだな」
「しぃも、いたかった」
「そうだな。でもシィは喋れるんだから、まずカニさんに『やめて』って言った方が良かったかもな」
「そしたら、かにさんは、しなない?」
「ああ。死ななかったかもな」
 それが子供騙しの言葉であることは、アレクシスも、そばで聞いているカノンやベアトリクスたちも、解っている。だが、今は何も知らないシィには、こうして少しずつ教えていかなければならないのだ。
 彼女が無闇にその力を振るうことがないように。
「次からは、そうしてみような」
 髪を撫でた手で、ぽんっと少女の頭を叩いて、アレクシスは優しく微笑みかけた。
 見上げたシィが、こくりとうなずく。
「しぃ、わかった。ころすのは、わるいことだから、『やめて』っていう」
「うんうん。偉いぞー」
 笑いかけて頭を撫でてやったシィが、ほんの少しだけ嬉しそうにしたように、アレクシスには思えた。
 その時、
「ただし『敵』の命は、容赦なく奪わなくてはな」
 不意に、知らない声が彼らの耳を打つ。
 振り向いたアレクシスたちの視線の先に、黒衣をまとった見慣れた顔の女性が一人。
「力とは即ち、己に仇なす相手を討つためにあるものだよ」
 不敵な笑みを浮かべ、そう言いながら歩み寄ってくる彼女を、アレクシスは目を丸くして見つめていた。
「フロウティア……さん?」
 ──それは、さだめに抗う魂が惹かれ合う、出会いの物語。

 照りつける太陽から身を守るように、幾重にも重なる大きな葉の影に座り込み、彼は日課としている石像磨きに没頭していた。
 肌にまとわりつくような湿気は平気な彼らの種族だが、強い陽射しはやはり避けねばならない。鱗が乾いてしまうから。
「長老ぉーっ!」
 唐突に大音声で呼ばれ、しかも地面を揺らすような足音までが近付き、彼は危うく手にした石像を落としそうになる。そのことに神経をささくれさせた彼は、その声の主をきっと鋭く睨み付けた。
「なんじゃい! いま大事なところ……」
「冒険者です! なんか冒険者が来てます!」
 牙を並べた大口を開き、駆け込んできたクロキアンの戦士に、自ら『この地の守護者』を名乗るパナセンは、呆れたようなため息を吐いた。
「珍しくもないじゃろ。適当にあしらっておけい。セベクやイスタリは、何をやっておるのじゃ」
「セベク族長は、ミュミュとかいうキャット族を追い掛けてます! 何か盗られたそうでして……。イスタリ様は現在、『パプリオン信者友の会』に出席するため、ご不在です!」
「おぬしらで何とかしておけい。わしゃ忙しいんじゃ」
「それが……なんか子供とかもいて……とにかく妙な一団なんです!」
「むぅ?」
 大きな口をがつがつと動かし、唾を飛ばす戦士の報告に、パナセンは訝しげに宙を見つめて首を傾げる。
「子供連れ……」

『パパーっ! おっきなワニさんがいるよ!』
『はっはっはっ。ジョンはワニが好きか?』
『うん! だって美味しいんだもん!』
『あらあら。それじゃあ今夜は、ワニのステーキかしらね』
『やったぁー! ママ、ありがとー!』

「おのれジョン! 我らを食べる気かっ!?」
 突然わけの分からないことを叫び、立ち上がるパナセン。今度は報告に来た戦士が首を傾げる。
「あの……ジョンって?」
「近頃ハイネスの連中が、『クロコダイルアイランド観光地化計画』とかいうものを進めておると聞く! その一環やもしれんの!」
「誰がそんなことを……」
「シカから聞いたのじゃ!」
「……絶対、嘘ですよ、それ。あの人、ゴシップ好きだから」
「出陣の準備じゃーっ!」
 さっぱり意味不明の怒りを爆発させる長老に、クロキアンの戦士は報告に来たことを、水竜の巣穴よりも深く後悔したという。

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