「フロウティア……さん?」
 黒衣をまとい、不敵に微笑みかけてくる彼女を見つめ、アレクシスは呆然と呼びかける。
 それは他の仲間たちも同じで、特に『フロウティア信者筆頭』を自負しているベアトリクスなどは、目を剥かんばかりに見開いているかと思うと、その頬は火傷しそうなほどに赤く染まっている。驚きながらも照れるという、実に器用な反応だ。
 しかしそれも、目の前の女性が紡ぐ言葉が、およそ普段の彼女からは想像もできないものなのだから、仕方がないと言えよう。
「君達がもし、私に敵対する者となれば、私は容赦なく君達を殺す。それが私の力だ」
 羽織っていた外套を払いながら歩み寄ってくる彼女に、アレクシスたちは身じろぎひとつできずに立ち尽くしていた。見慣れた純白の神官衣ではなく、全身を隠すような闇色の服をまとう彼女に。
「さて──。君達は私の敵かな? それとも味方かな?」
 妖艶とも言える笑みを浮かべ、彼女はそう言って彼らの前で立ち止まる。
 シィは、その栗色の長い髪を持つ彼女を無垢な表情で見上げ、口を開いた。
「ちがう」
 黒衣の女性が小さなシィを見下ろし、にこりと微笑む。まるで『彼女』が自分に向けてそうするように。
「ふろーてぃあ、ちがう。だれ?」
 だからシィは、少しだけ不機嫌になった。

「さて。私は誰でしょう?」
 彼女がシィに向けてそう言ったとき、答えは思いがけないところから出された。
「姉さん!?」
 遅れてやってきたフロウティアは、その姿を見付けて目を丸くする。アレクシスたちから少し離れた場所で立ち止まり、信じられないものを見るように立ち尽くした。
 驚愕の対象となった女性は、笑みを浮かべながら残念そうに溜息を一つ吐き、かがめていた上体を起こして手を挙げる。
「やあ。元気にしていたかい、ティア? 愛しの妹よ」
 彼女が朗らかに微笑んだとき、フロウティアの表情がじわりと崩れ、瞳を潤ませながら、とても幸せそうな笑顔を浮かべる。それはこの世の幸福を一身に集めたかのように、真っ白に輝いているような、少女の笑顔。アレクシスたちですら今まで見たことがない、フロウティアの無垢で可憐な笑顔だった。
「フラウ姉さん……!」
 感激のあまりにこぼれ落ちた涙を指で拭いながら、頬を染めたフロウティアが嬉しげにその名前を呼ぶ。
 そんな彼女の姿を、アレクシスたちアカデミーの面々は唖然として見つめていた。今の彼女の顔も、その態度も、全てが初めて目にするものである。
 しかしシィだけはきょとんとした瞳で、フロウティアとその姉を、交互に見比べる。
「……おねえちゃん?」
 小さな呟きに気が付いたフロウティアは、首を傾げながら自分を見つめてくる少女に、涙で赤くなった顔で微笑みかける。
「そうよ。私の双子の姉、フラウディア。私のお姉ちゃん」
「ふろーてぃあの、おねえちゃん」
 シィはくるりと顔を振り向かせ、フラウディアを見上げる。見分けが付かないほどそっくりな顔をしたその女性が、フロウティアと同じ笑顔を向けてきた。
「子供、よろしくだ」
 握手を求めて手を差し出し、フラウディアはふと思い止まって、その手をシィの小さな頭に乗せる。さらさらと流れる白髪を、優しくなぞるように撫でた。
 シィはフラウディアを見上げたまま、かくんと首を傾げる。
「こわくない?」
「ん? 何がだ?」
 微笑んだまま首を傾げたフラウディアの耳に、妹が小さく吹き出した声が聞こえた。顔を上げてみると、フロウティアがくすくすと笑いながら、少女の後ろに歩み寄ってくる。
「大丈夫よ。姉さんは幼い頃から、私を守ってくれていた人。とても優しい人よ」
 背中から聞こえたその声に振り返り、シィはフロウティアを見上げた。優しい光の神官は、穏やかに微笑みかけてきた。
「しぃちゃんのお姉ちゃんも、しぃちゃんのことを大切に思っているから、叱ったのよ。ちょっとだけ恐くても、本当は優しい人だと思うわ」
「たいせつだと、しかる? こわくなる?」
「ええ、そうね。叱られたのは、いけないことをしたから。叱るのは、大切な人にいけないことをして欲しくないからよ」
「この子供にも姉がいるのか。それはいいな」
 シィと同じ目線に身を屈め、語りかけるフロウティアに続いて、フラウディアも微笑む。そして、手を置いたままだったシィの頭を軽く叩くようにした。
「血の絆は大事にしろ。お前のことを叱ってくれる姉ならば、お前が困っている時には一番頼りになる存在だよ」
 その言葉をシィは、蒼い瞳をじっと向けながら聞いていた。フロウティアには見慣れた反応だったが、フラウディアには今ひとつ、解って貰えていないような気がして、眉根を寄せてしまう。
「ティア。この子供は、どこか変だな?」
「少し変わっていることは認めます。それに、姉といっても、血の繋がりはないと思いますよ」
 くすくすと笑いながら答える妹に、姉は難しい顔をして腕を組んだ。
「ふむ……興味が湧いたね。この子供のことを教えてくれ」
「あの〜……」
 フラウディアが顔を上げたとき、それまで思考を停止させられたかのように、成り行きを見守っていたアレクシスが、遠慮がちに手を挙げる。
 フラウディアとフロウティアが振り返ると、瞳の中に好奇心という名の輝きを宿したアレクシスたち、アカデミー生がいた。
「俺たちも、俄然、興味が湧いてるんですがっ。フラウディアさんにっ」
 そう言ったアレクシスに、フラウディアはきょとんとしたあと、思い出したように不敵に微笑む。
「ああ。そういえばまだ、自己紹介をしていなかった」
 その言葉に、アレクシスたちは身を乗り出すようにするのであった。

 ──それは、隠された過去と向き合う、出会いの物語。

 双子ではあるものの、その内面は全く違うフロウティアの姉、フラウディアは、やはり冒険者を生業としている。血盟などに所属はしておらず、双子であるからフロウティアと同い年であるはずなのだが、その経歴はアリシアリスたち、古参の冒険者よりもさらに長いものであった。
「姉さんは、十歳の頃から冒険者をやっているのよ」
 そう説明したフロウティアは、少し悲しげに微笑んでいた。
「両親が亡くなったあと、私を育ててくれたのは、姉さんなの」
「あの……ご両親は、いつ頃……?」
「私たちが八歳の時だよ。……事故でな」
 遠慮がちに訊ねたベアトリクスに、フラウディアは平然とした顔で答える。
「しばらくは、遺してくれた財産でどうにかなったのだがね。いつまでも、というわけにはいかないだろう? そこで、手っ取り早く稼げる道を選んだというわけさ」
「あんま手っ取り早くもないと思うっスけど……」
 ヴァンフォートの言葉は、十歳という子供に対するものとしては正しい。しかしフラウディアは不敵に微笑み、かざした指先に小さな光を灯して見せる。
「我が家は代々、ギランで神官をしていてね。魔法の素質は十分にあった。幸いに、良い師にも出会えたしな」
「ではフラウディア殿も、やはり神官でござるか」
「それは……」
 セーラに答えかけたとき、フラウディアは自分の隣に座るシィが、じっと顔を見つめていることに気が付いた。その瞳が何かを訴えかけているようであったから、彼女は小首を傾げる。
「どうした、子供?」
「ふらうでぃあ、ふろーてぃあと、ちがう。ふろーてぃあは、しぃとおなじなのに」
 真似をするように首を傾げるシィに、フラウディアは何のことだか解らず、やはり首を傾げる。
 するとシィは、彼女が指先に灯した光を小さな人差し指で指した。
「でも、それは、しぃとにている」
「……ふむ」
 灯した光に自分も目を向け、思案するように見つめる。そしてそのやりとりを見ていたフロウティアも、眉をひそめて姉の指先を見つめた。
「同じって……そういうことだったの」
 出会ったときにも言われたその言葉を、フロウティアはようやく理解できていた。おそらく、フラウディアも。
「どういうことで──」
 フラウディアが灯した光とシィを、交互に見比べていたアレクシスは、訊ねたかけたその言葉を途中で飲み込んだ。そしてさっと顔を上げると、鋭い視線を彼方へと向ける。
「何か来る。この音……まさか……?」
 彼の警告に、円陣を組んで座っていた他の面々も、腰を浮かして同じ方角に目をやった。
 フラウディアが楽しげな笑みを浮かべる。
「さすがはエルフ。良い勘をしているね、ボウヤ」
 そしてフロウティアの方は、傍らのシィに手を差し伸べ、微笑みかけた。
「しぃちゃん。ここは危なくなるから、私と一緒に隠れていましょう」
 しかしシィは、膝を抱いて座ったまま、ぷいっと顔を背ける。
「しぃは、ふろーてぃあ、きらいだから」
「あらあら……」
 その駄々っ子のような姿に思わず苦笑するフロウティアに、ちらりと横目を向けてから、シィはアレクシスに両手を伸ばす。
「だっこ」
「おいおい。俺は白兵専門だぞ?」
「仕方ないわね。──セーラ、カノン。しぃちゃんをお願いね」
 目を丸くするアレクシスに代わって、フロウティアは経験の浅い二人に振り向き、そう指示する。セーラは鎧に付けていた兜をかぶりながらうなずき、カノンは緊張した面持ちでこくこくと何度もうなずいて返した。
「しぃちゃんわ、かのんが守りますっ!」
「かのん、だっこ」
「うゆ……それは無理かも……」
 いくらシィが幼いとはいえ、小さなカノンでは抱き上げるのも一苦労である。だから代わりに手を繋いで、そばにぴたりと張り付くことにした。
「──で。何が来るんですの?」
 腰に提げていた鎚矛を引き抜きながら、ベアトリクスはその正体を知っているらしいアレクシスに、横目を向けて訊ねる。
 カノンに手を引かれ、セーラに守られながら後方へ移動していくシィに目をやりながら、険しい顔をしたアレクシスは一つうなずいた。
「ああ……たぶん、クロキアンの大群だ」

「進めぇーいっ! 冒険者どもを蹴散らし、この聖地を守るのじゃーっ!」
 クロキアン戦士が担ぐ御輿の上で、長老パナセンは杖を振り回し、しわがれ声を張り上げて、部下たちに号令を飛ばしていた。
「わしらの家を、観光地なんぞにさせてはならんぞーっ!」
「だから、それはないって……」
 御輿を担ぐクロキアンの一人が、疲れたように呟く。彼の周りにいる同僚たちも、同じようにため息を吐いていた。
「いました! あれです!」
 集団の先頭を走っているクロキアン戦士が、手にした武器で前方を指し、声を上げる。パナセンは御輿の上で背伸びするようにして、小手をかざした。
「むぅ……何だか見たことがあるような連中じゃの」
「あのカマエルの子供は、見覚えありますね」
 先ほど突っ込みを入れたクロキアンも、同じく小手をかざしながら答える。
「小さくて、あんまり食べ応えがなさそうなので、よく憶えております」
「バカもん。無闇やたらと、人を食うことばかり考えるでない。そんなことじゃから、冒険者どもがいつまでも狙ってくるのじゃ」
「はあ……長老は、人間たちとの共存をお考えですか?」
「わしゃ、この地から追っ払えれば、それでいいと思っとるだけじゃよ。だいたい、人なんぞ食っても、筋ばっかりで不味いじゃろ」
「まあ、美味しくはないですよね」
 したり顔でうなずく彼の頭を、手にした杖でぽかりと叩いておいて、パナセンはその杖を振り上げた。
「やるぞい! 横列陣形! 全てを踏み潰す勢いで、猛進せいっ!」
『御意ッ!』
 アレクシスたちの視界に、水を跳ね上げ、土煙を巻き上げながら突き進む、クロキアン戦士の大群が映ったのは、このすぐ後である。

「──ん?」
 並んで歩いていたセリオンが、不意に空を見上げるようにして立ち止まったため、メリスも足を止めて彼の横顔を覗き見るようにした。
「どうしたの?」
「何か……声が聞こえた気がする」
 空を見たままそう答えた彼に、メリスも倣うように顔を上に向ける。
 青いキャンバスに薄く線を描くように、白い雲が流れる空。そこには何も変わったところはないように思えた。
 しかし──
「私も、聞こえた気がするよ」
「そうか……」
 セリオンは視線をメリスの横顔に移し、メリスもまた、セリオンの瞳を見つめ返した。
「どうやら幻聴ではなさそうだな」
「だね。行ってみる?」
 微笑み、肩をすくめるようにして問い掛けた彼女に、セリオンは強い眼差しでうなずく。
「ああ。──インナドリルに」

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