──その時。 少女のことを知る全ての者が、その『声』を聞いていたという。 「アツっ!? 熱いぞぃ! さがれ、さがれ!」 全身から炎を迸らせるように輝きを放ち始めたアシャキエルから、パナセンを乗せた御輿が距離を取るように後退する。基本的に水辺で暮らす彼らにとって、かの天使が放つ熱波は耐えられないものであった。 しかしアシャキエルの瞳はすでに老クロキアンにはなく、前方に立ちはだかるのように構えるフロウティアと、その後ろにいるシィへと向けられている。 天使の瞳はまるで狩人のように獰猛で、冷静だった。 「滅びたまえ。それが世界のためだ」 それはシィとフロウティア、どちらに向けられた言葉だったのか── 「神官! 防御魔法だ!」 フラウディアがベアトリクスに呼びかけると同時に、自身も魔力を解放して防御膜を展開させた。 「は、はいっ!」 「ヴァン! 俺らも!」 「あんま得意じゃねーっスけど!」 慌てて防御魔法を展開するベアトリクスに続き、アレクシスとヴァンフォートも自分の前に魔力のシールドを発生させる。 その瞬間だった。 ──ズグォオオオオオオオオオンッッッ!! アシャキエルから放たれた魔力が炎熱となり、周辺一帯を焼き尽くすかのように、一瞬にして広がる。それは絶え間ない爆裂と爆風の嵐であった。 「な、なんっ──!?」 見たことも経験したこともない、圧倒的な魔法の威力に、自身の前に展開した魔力シールドを懸命に維持しながら、アレクシスが声を上げる。その視界の中に、炎に包まれ、吹き飛ばされ、崩れ落ちていくクロキアンたちの姿が映った。 「本気で島ごと消すつもりかっ!?」 植物も水も、一瞬で蒸発していく。大地は抉られ、吹き飛ばされた岩もまた、粉々に砕け散る。 まるで世界の終末のような光景が、そこにあった。 「ティアっ!」 驚くほど近くで聞こえたフラウディアの声に、アレクシスは目を見張る。 彼らの前方、宙に立つアシャキエルの向こうに、巨大な防御フィールドを張りつつ、この魔力の嵐に耐えているフロウティアの姿があった。 「フロウティアさんッ!」 彼女の後ろには、それでも吹き付ける暴風の中で立つセーラとカノン、そして小さなシィの姿。 「無茶だ!」 フロウティアが三人を守るため、必要以上に防御膜を広げているのが解る。そしてそれは、彼女の魔力を急速に失わせていく。 長く耐えられるものではない。 「あれではフロウティア様の体が保ちませんわっ!」 「っても、こっちだって精一杯っスよ……っわ!?」 押し寄せる炎熱の波に、ヴァンフォートが張っていた魔力シールドを砕かれ、飲み込まれそうになる。 それを、彼らの前に出たフラウディアの防御膜が救った。 「無茶でも何でも、ティアはやらずにはいられないだろう。そういう子だからね」 自分たちを守るように一歩ずつ前へと進んでいくフラウディアの言葉に、アレクシスは心の中でうなずきながらも、表情は苦しげに歪める。そういう人だとは解っているが、だからこそ不安でもあるのだ。 「それに、あの娘はティアに似ている」 「え……?」 吹き荒れる魔力の嵐に掻き消されそうなほどの小さな呟きに、アレクシスは驚いてフラウディアに振り向く。それはシィがフロウティアに言った言葉と重なるものだった。 「きっと幼い頃の自分と重ねてしまっているんだ。生まれたときから『死』を操る力を持ち、両親や周りの大人たちから『負の者』と蔑まれていた、昔の自分とね」 ──!? 想像もしていなかったフロウティアの過去。その告白に、アレクシスも、ベアトリクスとヴァンフォードも、目を丸くして言葉を失う。 炎熱の向こうに見える妹の姿を、苦笑いするかのように寂しげな笑みを浮かべながら見つめるフラウディアは、さらに言葉を続けた。 「だから私は、あの子の代わりにこの力を学んだのさ。あの子が暗いところに閉じ込められないように。二度とあの子が泣かないようにっ!」 彼女がそう言った瞬間、彼女の手によって倒された天使たちが、ゆらりと起き上がっていた。 「ヒューマンの中に、稀におまえのような存在が生まれる。不完全な失敗作であるが故の現象であろうな」 魔力を放ち続けるアシャキエルから、冷徹と余裕を感じさせる声が掛けられる。 強圧な炎熱を自身の魔力で防ぎ止めながら、フロウティアは天使に向けて顔を上げた。どれほど強い力にも負けない意志を宿した、凛とした表情を。 「たしかに私は、異質な力を持って生まれてきました。そのことで多くの人に迷惑も掛け、同じくらい蔑まれてもきた……」 幼き日に与えられた悲しみや絶望が、心の中に鮮明に蘇る。自分が触れた花は枯れ、懐いてくれた小犬は骨と皮だけに成り果てた。 そんな自分に大人たちは敵意や、時には殺意すら向け、実の親にすら疎まれ、否定されていた日々。 「──ですが、今、私がここにいるのは、私自身が生きたいと願ったから!」 それは、たった一人の味方だった双子の姉の願い。 「私の存在を私以外が否定することは、許されません!」 そしてそれは、初めて自分の存在を認めてくれた『他人』が掛けてくれた言葉。 「だから──っ!」 幼い少女の気持ちがよく解るのだ。 「ふろーてぃあ……」 白いローブの背中を見つめ、闇のエルフの少女はその瞳を初めて揺らす。それは、細波すら立たなかった水面に小さな石が投げ込まれたかのように、少しずつ。 「ふろーてぃあ!」 涙声のようなシィの声が上がった。そばにいるセーラとカノンが驚いて振り向いてしまうほど、感情的で激情的な声が。 だから二人とも、フロウティアに向かって駆け出した少女を止めることができなかった。呆気に取られていたというよりも、それを止めることは罪のように思えたから。 「しぃちゃん……」 防御フィールドを展開し続けるフロウティアがわずかに振り向き、いつもと変わらない優しい微笑みを向ける。 シィはそのローブのスカートにしがみつくように飛びついた。 「しぃもたたかう。ふろーてぃあの、おてつだいする」 「ありがとう。でも危ないから、セーラたちと一緒にいなさい」 「だめ。ふろーてぃあ、しぃとおなじ。しぃもふろーてぃあ、すきになった」 駄々をこねるように、掴んだスカートをゆさゆさと引っ張り、見上げてくるシィに、フロウティアはにこりと笑いかける。 「私もしぃちゃん好きよ。だから、危ないことはさせたくないの」 そう言われても、シィは首を横に振り、そこから動こうとはしなかった。 その二人を見下ろすアシャキエルの口元が、傲岸な形に歪む。 「世界に否定されし者同士、傷をなめ合うのか。そうでもしなければ生きてはいけまい」 睨むように振り向いたフロウティアとシィの前で、アシャキエルは右手の槍を持ち上げ、その穂先を二人に向けた。 「しかしそれももう終わる。『シーレンの魂』、『負の者』、共に滅びよ」 その言葉が終わった瞬間、軽い動作で投げ付けられた天使の槍は、巨大な一塊の炎となり、フロウティアとシィに迫る。 「くっ──!」 フロウティアは両手で杖を構え、フィールドの内側にさらに自分とシィを守るように魔力シールドを展開した。それはまさに、全身全霊を掛けた防御魔法だった。 しかし。 「終わりだ」 業火をまとう槍はフィールドを貫き、シールドに亀裂を走らせる。 「しぃちゃん!」 フロウティアは咄嗟にシィを庇うように抱き締めていた。 今までにない轟音が響き、天を貫くような炎の柱が立ちのぼる。 「フロウティアさん!」 魔力の嵐に代わって体に当たる、強烈な爆風と砂嵐に耐えながら、アレクシスは叫ぶように声を上げた。 「シィ!」 爆心地となったそこにいるはずの二人に呼びかける。 立ちのぼる炎は、少しずつ短くなっていた。 「くそっ!」 アレクシスはたまらず駆け出す。たとえ間に合わなくても、そうせずにはいられない。 「あれじゃあ……もう……」 「そんな……!」 絶望的に呟くヴァンフォートと、膝から崩れるベアトリクスの青ざめた顔。 その二人を横目に見ながら、一人、フラウディアだけは不敵に笑っていた。 「慌てなさんなよ」 あまりに状況とかけ離れたその態度に、二人はきょとんとして彼女を見上げる。 「……ぬ?」 そしてアシャキエルも、その異変に気が付き、眉をひそめていた。 そこには── 「……げほっ、げほっ! あー、もう! 口ん中に泥が入っちゃったじゃない!」 自慢の髪も白い肌も、泥と熱で煤けさせ、着込んだ革鎧すら焼け焦げさせながらも、なお普段通りに毒づくエアルフリードと、 「指輪もネックレスもぼろぼろだわ……帰ったら新調しないといけないわね」 同じく煤まみれになった全身を見回して、溜息混じりにそんなことを言うアリシアリスの姿があった。 「エアル……アリス……」 シィを抱き締めて膝を付いていたフロウティアが、唖然とした顔を二人に向ける。 煤まみれで汚れた二人の顔が、振り向いて笑った。 「感謝しなさいよー。私たちの装備、台無しになってんだからね」 「あと、盾代わりにした『メカコロ』の分も請求しておくわ」 見ればアリスの足下には、バラバラになったメカニックゴーレムが転がっている。 そしてそれに混ざり、天使たちの死体も。 「姉さん……」 視線を前に向けてみれば、遠くで微笑み、ウインクしてみせるフラウディアが見える。 エアルフリードとアリシアリス、そしてフラウディアが使役するアンデッドが、自分たちを庇ったのだ。あの業火の槍から。 「……ありがとう」 フロウティアの顔に自然と微笑みが戻っていた。 「シィ! フロウティアさん!」 アレクシスが駆け寄ってくる。走っている途中で、絶望は希望へと変わっていた。 「あれく!」 フロウティアに抱かれていたシィが立ち上がり、彼に飛びつく。それはとても躍動的で、全身から彼女の嬉しい気持ちが溢れだしているようだった。 「あれ? シィ、おまえ……?」 抱きとめた少女の顔を覗き込んでみるが、その表情は相変わらずのものであり、アレクシスは少しだけ首を傾げる。 「あれく。しぃわ、『ちから』をつかわなかった。きらいなものだったけど、あれくにいわれたから、つかわなかった」 真似をするように小首を傾げた青い瞳が、問い掛けるように向けられる。アレクシスは一瞬きょとんとしてから、優しく微笑んだ。 「ああ。偉いぞ」 「でも、ふろーてぃあが、しにそうだった。だから、たたかいたい」 「そうだな。好きな人は守らないとな」 「うん」 頭を撫でるアレクシスに、こくんとうなずいたシィの頬を、横からエアルフリードが引っ張った。 「だーめっ。あんたまだ、力を制御できないでしょーが」 続けてアリシアリスが、シィの肩を叩くように手を置く。 「それはあたしたちの役目よ。大切な仲間を傷付けてくれたのだから……」 そしてキッと頭上のアシャキエルを睨み付ける。 「あたしたちが来たからには、もう好きにはさせないわよ」 腕を組み、傲然と宙に立つアシャキエルの冷たい瞳が彼女たちを見下ろす。 「審判は変わらぬ。刃向かう者は討つのみ」 その声に応えるように、彼の背後に天使の群れが展開していく。 だがアリシアリスは、その可憐な顔に余裕に満ちた不敵な微笑みを浮かべていた。 「それは、どうかしらね?」 「なに……?」 ドワーフ族の余裕にアシャキエルは何かを感じ取り、周辺を見回す。 ──ざざっ。 炎熱の嵐によって窪地と化した戦場を囲むように、無数の人影が姿を現していた。 その声は、少女を知る全ての者に届いていたという。 『どうか彼女を救ってください──存在することを否定され──たった一人のために生きたいと願う──あの無垢なる魂を──どうか──あなた方の力で──』 それは少女の未来を繋ぐ、多くの出会いの物語。 →第12話へ |
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