「あれく。けーき、けーき」
「へいへい」
 袖を引かれたアレクシスは、皿に乗せていた白いクリームと色鮮やかなフルーツのケーキに、フォークの先をさくりと沈める。小さな一口サイズに切り取られたそれは、シィの口へと運ばれていった。
「美味いか?」
「ん」
 むぐむぐと頬を動かしながら、シィは無表情にうなずく。しかし少女の蒼い瞳は感動しているようにきらきらと輝き、彼女が喜んでいることを何よりも正確に表現していた。
 頬杖を付いてシィの口へフォークを運ぶアレクシスは、その様子に優しく微笑む。
 ──テーブルに並んで座り、シィがねだる物をそうして食べさせてやっているアレクシスに、その他の一同は、微笑ましいやら呆れるやら、様々な反応を見せていた。
「すっごいラブラブに見えるわね……」
 エール酒が入ったジョッキを両手でテーブルに置きながら、アリスはわずかに頬を染めて呆れたようにそう言う。
「親鳥が餌を与えてるようにも見えるけど?……あんた、羨ましいとか思ってんでしょ」
 シィのものと同じケーキを口に運びながら、片目をつむったエアルフリードがそう応じる。アリスは思わずキッと振り向いていた。
「妹の世話を焼いているお兄ちゃん、かもしれないわね」
 同席するシアンは、ワイングラスを片手に微笑みながら、そんな感想を漏らす。それから隣のフロウティアへと視線を流した。
「親鳥はここにいるしね」
 アレクシスたちに穏やかな笑みを向けていた彼女は、その視線に気が付き、微笑みをそのままに小首を傾げる。
「何か?」
「いいえ。アレクの望みは薄いだろうなと、思っただけよ」
 その言葉に一瞬だけ顔をしかめたフロウティアだったが、その表情はすぐに寂しげな笑みへと変わっていた。
「……そうね」

 シィの命を狙ってきた天使たちとの戦いは、アシャキエルの消滅により、冒険者たちの勝利に終わった。
 図らずも共闘することになったクロキアンたちは、
「わしゃ疲れたわい」
 というパナセンのひと言により、冒険者たちと一戦もすることなく、島の内部へと引き上げていった。
 また冒険者たちも、そんな彼らと戦うよりも、この後に控える大宴会の方に気を移していたため、早々に島から引き上げていったのである。
 ──余談ではあるが、アシャキエルによって破壊された島の一部は、後に有志の冒険者とクロキアンたちによって、復興作業が始められたという。

 そして彼らは今、ギランの宿にいた。
「それにしても、エヴァがね……」
 皆が駆け付けた、その事情をポエットたちから聞いたアレクシスは、シィの口にケーキを運びながら苦笑するように呟く。
 説明役の一人だったリシャールは、きらきらと輝く瞳を天井に向けながら、拳を握り締めた。
「僕は感動している! エヴァ様のお声を直接聞くことでき、その上、世界の命運を左右するような、重大な使命を授けられたのだから!」
「いや、そんなでかい話じゃないだろ……」
「神官として、これに勝る喜びはないよっ!」
 熱っぽく語る彼に突っ込みを入れたアレクシスの声は、全く届いていないようだ。
 エヴァの名前にぴくりと耳を動かしたシィは、ケーキを頬張りながらそんなリシャールをじっと見つめている。
 同席者のポエットも軽く肩をすくめてから、身を乗り出すようにしてアレクシスに話し掛けた。
「それよりも、しぃちゃんのことですよ。これからどうするんですか?」
「聞けば、親とかもいないんだろ? その……出生が出生だからな」
 ライも難しい顔をシィに向けながら訊ねてくる。
「んー……」
 アレクシスは、まるで不思議な生物を見るようにリシャールを見つめているシィの頭を撫でながら、頬杖を付いて微笑を浮かべる。
 ──曰く。『シーレンの魂の欠片』であるシィは、世の常の人々と同じ生まれ方はしていないという。母親の胎内に宿り、生まれてくる命ではないのだそうだ。
「しぃは、きがついたら、あそこにいた」
 と、本人も語っている。
「喩えるなら──降っていた雨が雪に変わるようなものね。この世界に魔力が満ちる限り、しぃちゃんはどこでも生まれる可能性があるわ。何が切っ掛けになるかは、解らないけど」
 そう言ったのは、先の説明をしてくれたシアンである。自称天才を謳うだけあり、彼女の知識は驚くほど豊富で、多岐に渡っている。
「しぃちゃんの場合は、アレクかしらね」
 それがなぜ自分だったのかは解らない。しかしたしかに、シィが見つけたのは自分だったのだ。
「そうだな。シィはどうしたい?」
 最初は煩わしいとも思っていたが、今はそれで良かったと思えている。なぜなら──
「しぃは、あれくといっしょがいい」
 くるりと振り向いたシィが、あどけない顔に相変わらずの無感情を張り付かせて、そう答えた。アレクシスは小さく笑ってしまう。
「おまえはそればっかりだな」
「あれくがすきだから」
「まあ……そうするしかないですよね」
 二人のやりとりに、ポエットは神妙な顔をしてうなずいた。
「私たちで面倒を見て、育てていくしかっ。保護者はアレクってことで」
「盟主もそのつもりのようだしね。──もっとも、ヒューマンの俺たちだと、その子が成人するまで寿命が保たないだろうけど」
 さらりと現実的な感想を口にしたライに、アレクシスは不敵に微笑む。
 ライは片目を閉じて、そんなアレクシスと視線を合わせた。
「そういうことでいいのか?」
「いいや。おまえたちに面倒は掛けねぇよ」
 その答えを予想していたように、ライは目を伏せて浅く溜息を吐く。ポエットの方は驚いたように目を丸くして、彼を凝視する。
「どういうことですか!?」
 アレクシスは両手を伸ばしてくるシィを抱き上げ、自分の膝の上に座らせてから、その小さな頭をぽむっと叩いた。
「俺はこいつを連れて、旅に出る」
 声もなく驚くポエットと、無言でじっと見つめるライ。アレクシスは二人に晴れ晴れとした笑顔を向けてみせた。
「俺にもやっと、おまえらみたいな目標が見つかったからな」
 それはシィと出会ったことで、シィが与えてくれたことのように思えたから──
「俺も、シィと一緒にいることにしてみるさ」
 今では少女の存在が嬉しいものへと変わっていた。

 冒険者になった頃に想像していたのは、フロウティアの傍らにいる自分の姿。一緒に色々な時間を過ごしている、その姿だけだった。
 それは同じ血盟にいることで、半ば達成されてしまう。いつもではないが、会いたいときには会うことができたし、一目惚れをした相手が微笑みかけてくれる時間は、想像していたよりもずっと楽しいものだった。
 だから、このままでもいいと思えてしまう。今のままで満足できていたから、その場所で落ち着いてしまった。
 ──けれど。
 それは同時に、フロウティアの傍らにいることを諦めていることでもある。本当に彼女のそばにいるのは、アリシアリスであり、エアルフリードであり、自分などよりもずっと、実力も魅力もある冒険者たちなのだから。
 彼女の隣に並ぶために、その実力をつけるということを、まるで考えもしなかったところは、あるいは彼らしいといえるだろう。
 だから、アカデミーの卒業を機に、その一歩を踏み出そうと考えたことは、彼にとって大きな出来事であった。
 ──あるいはそれが、変化をもたらせたのかもしれない。
「いつかさ……自然と隣にいるようになるんじゃねえかな、とかさ。思ってた」
「そう」
 宿の前に置かれた小さなベンチに腰掛け、夜空を仰ぎながら語るアレクシスに、フロウティアは穏やかに微笑みかける。
「自惚れって言えば、そうかもしれねえけど。なんていうか……そういうことを考えるだけで、幸せっていうかさ。嬉しかったな」
「そうね」
 アレクシスの言葉はフロウティアにも解るものだったから、ふと目を伏せるようにして、自嘲気味な笑みが浮かんでしまう。
 その気配にアレクシスは、降り注ぐような星が瞬く夜空から、視線を隣のフロウティアへと移した。
「やっぱ片思い中なんて、そんなもんですか」
 そして彼も照れくさそうに笑う。
「ええ。……けれど私は、好かれる努力もしていないから。少し違うかもしれないわ」
 微苦笑を向けてくるフロウティアに、アレクシスも同じような表情を返す。
「俺も、あんまり努力してなかったかも」
「そんなことはないと思うけれど? 何度も告白されたしね」
 それは少しだけからかうような笑顔と仕草であり、アレクシスはますます苦笑してしまう。
「いやぁ、あれはそーゆー努力じゃないでしょう。勢いっていうか、若気の至りというか」
「試験に旅立つ前にも、口説かれた記憶があるのだけど?」
「う……」
 思わず言葉に詰まるアレクシスと見つめ合うこと数秒で、フロウティアは小さく吹き出す。それに釣られるように、アレクシスも声を出して笑った。
 それはとても楽しげで、心を分かち合った友達同士の時間のように見える。そしてそう思えることが、答えになっているのだろうと、アレクシスは考えていた。
 ひとしきり笑い合い、その声が少しずつ小さくなると、フロウティアがいつもと変わらない微笑みを向けてくる。
「──いつ発つの?」
「明日にでも」
 アレクシスもまた、彼らしい不敵と不遜が同居したような笑みを浮かべて即答する。
「だからその前に、きっちりしておきたいと思って」
 フロウティアはその言葉に微笑みを浮かべたままうなずく。そしてうながすように、彼を正面から見つめる。
 アレクシスは数瞬だけ目を伏せると、晴れやかに笑った顔を上げた。
「従姉貴と一緒に村にきたあなたを見たときから……出会ったときから、ずっと好きでした。──フロウティアさん。たぶん、あなたは俺の初恋です」
 夜の街に溶け込むように、あるいは夜空に流れるようなアレクシスの言葉を、フロウティアは両目を閉じ、耳を傾けるようにして受け止める。
 そしてその余韻を楽しむように、少しの間を置いてから、彼女は目を開いた。
「ありがとう。アレク」
 それはやはり、いつもと変わらない彼女の姿であり、アレクシスはそのことに安心感を覚えて微笑む。
「あれく。ふろーてぃあ」
 その時、宿の扉が開く音がして、小さなシィがとてとてと小走りに駆け寄ってきた。
 見れば、開いた扉から慌てて姿を隠す、ポエットやシアンたちの姿がある。
「覗いてやがった……」
 思わず扉にジト目を向けながら呟くアレクシスの隣で、フロウティアはシィに手を伸ばして抱き上げていた。
「しぃちゃんとも、しばらくお別れね」
「うん。でもふろーてぃあはすきだから、またあえる」
 抱き上げられ、頭を撫でて貰いながら、シィはフロウティアの目を見つめて、その服をぎゅっと握る。
「ふろーてぃあも、しぃにあいにきて」
「ええ。しぃちゃんのことがいっぱい心配になったら、どこにいても、必ず会いに行くわ」
「やくそく」
「約束ね」
 うなずいて微笑みかけるフロウティアに、シィはぎゅむりと抱きついた。何かを堪えるように、固く目を閉じて。
 フロウティアも、そんなシィの気持ちを受け止めるように、何度も何度もその小さな頭を撫でてあげる。
「病気や怪我には気を付けて。元気でね」
「うんっ」
 そんな二人をアレクシスも穏やかに微笑みながら、いつまでも見つめるのだった。

「お疲れさま」
 扉に背を預けるようにして部屋の前で待っていたエアルフリードに、フロウティアは少しだけ驚いたような表情を見せる。
「ちゃんと受け止めてあげた?」
 いつになく真剣な顔でそう言ってくる親友に、苦笑するように寂しげな笑みを浮かべ、彼女はそのそばへと歩み寄る。
「ええ……」
 そして体を預けるように、親友の肩に額をあてた。
「真っ直ぐな気持ちを向けられるのは、意外と辛いものね」
 呟くように言った彼女に、エアルフリードは呆れたように天井を見上げて息を吐く。
「あったり前でしょーがっ。ひと一人の心、全部なんだから」
「そうね……その通りだわ」
 顔を伏せたまま、口元だけが微笑むように見えた彼女に、もう一つだけ溜息を吐いて、エアルフリードは友人の頭をぽむぽむと叩いてやった。
「ちょっとは私の苦労もわかった?」
「……少しだけ、ね」
「それならいいけど」
 それから背中を預けていた扉から離れるように、体をずらす。フロウティアは慌てて顔を上げた。
「こんなときくらい、優しくてもいいんじゃないかしら?」
「あんたを甘やかす気はないの」
 小さく舌を出して悪戯っぽく笑ったエアルフリードに、フロウティアも苦笑を浮かべる。
「中でアリスが待ってるから。今夜は久しぶりに、三人で飲むわよっ」
「はいはい。あなたはあまり飲まないようにね。介抱するのも大変なのよ?」
「うっさいわね。付き合ってやるって言ってんでしょおが」
 そんなことを言いながらも心配をしてくれているこの親友は、やはり掛け替えのない存在なのだと思う彼女の顔には、春の訪れを喜び開く花々のような、とても嬉しげな笑みが浮かんでいた。

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