「ありがとう!」
 モンスターに囲まれ、苦戦している様子だった戦士に治癒の魔法を掛けてあげたら、去り際にそう言って手を振ってくれた。
 見知らぬ人が自分に笑顔を向けてくれた。それが嬉しくて、プリシラはクレリックの道を選ぶことにした。
「クレリックに……?」
 話せる島の村にある神殿の大神官ビオティンは、彼女の進路を聞いて眉をひそめた。
「ダメ……ですか?」
 上目遣いに怖ず怖ずと訊ねるプリシラ。この仕草の1つを取っても、彼女の性格がよく解るものだ。
 大神官は、しばし無言で彼女を見つめる。
 魔法学校を卒業し、冒険者として歩き始めた彼女を見守ってきた者の1人として、ビオティンはその将来に危惧を抱かざるを得なかった。
「クレリックは、神に仕える者であることは言うまでもありません。そして人々に光の神々の権能を示し、その教えの導くままに施しを与えることも重要な役目です」
「は、はい」
 大神官の重々しい言葉に、プリシラは気圧されながらもうなずく。
「しかし冒険者としてのクレリックとは、自らの力を持って仲間に力を与え、時には我が身を省みず救うことが役割とされます」
「はい……」
「私が言いたいことが解りますか?」
 ビオティンは表情を変えることなく、プリシラを見つめたまま、きっぱりとこう言った。
「今のままのあなたでは、その仲間を見つけることができないでしょう」
 プリシラは何も言い返せずに、しゅんとうなだれるしかなかった。

 大神官の言葉が意味するところは、プリシラ自身も気が付いていることである。
 引っ込み思案で人見知りが激しい。それがプリシラという少女だ。
 そもそも彼女は、自ら望んで冒険者となったのではない。それどころか、魔法学校に入ったことすら、彼女の意思ではなかった。
 彼女がこの道に入ることになったのは、生まれ育った村を、グレシア戦争の残存兵、オルマフム族の襲撃によって壊滅させられたからである。
 両親も祖父母も、その時に殺された。
 彼女がまだ十に満たない年齢の頃のことである。
 その復讐のために冒険者となった……わけではない。
 村を襲ったオルマフムたちは、冒険者や領主の兵によって討伐されたものの、幼い子供の面倒を見るような余裕は、生き残った村人たちにもなかった。
 グルーディオ城近くの孤児院に預けられることになったが、村人が訪ねたその孤児院は、孤児を引き取るのにもアデナを要求してきたため、結局、討伐に来ていた冒険者の紹介で、話せる島のアインホバント魔法学校へ入ることになったのである。
 この場合は幸いといえるのか解らないが、彼女には魔法の素質が十分にあったのだ。
 ここまでの経緯に、プリシラ自身の意思が介入したことは、一度もない。
 状況と年齢が、それを許さなかったと言えるだろう。
 自活の道を選ぶには、彼女はあまりに幼すぎた。
 流されるように魔法学校に通うようになったプリシラだが、本を読むことや学問を修めることには、意外と楽しさを覚えていた。特に優秀ではなかった、授業には真面目に取り組んだ。性格のためか、親しい友人を作ることはできなかったが。
 しかし時が経ち、その魔法学校も卒業しなくてはならくなったとき、彼女には再び選択肢が1つしか与えられなかったのである。
 即ち、冒険者として生きること。
 卒業をしても帰る家もなく、かといってどこかの神殿やメイジギルドに赴任できるような伝手もコネもない。平民出身の卒業生の多くがそうであるように、だ。
 また時代が多くの探索者を要求していたこともある。
 野に下り、活発化している魔物たちから人々を助けるという役割を、彼女は受けざるを得なかった。
 無論、そのまま一般人として、どこかの農村で暮らすという方法もあったのだが、気が付いてみれば、彼女は魔法以外の生きる術を持っていなかったのである。
 こうして、彼女は冒険者になった。

 初めて自分の意思で自分の道を選んだと言えるだろう。
 心配する大神官ビオティンを礼を言って、彼女はそのままグルーディン村行きの船に乗った。
 魔法学校に入ってから、この島の外に出るのは初めてである。
 共に島を出る仲間も、港で見送ってくれる友人もいない。
 魔法学校にいたときと同様、冒険者になってからも、彼女の人見知りな性格は直っていなかった。
 パーティーというものも、組んだことは一度もない。
 たまに魔法学校の同期生と会って話し掛けられることはあるものの、何をどう話せばいいか分からずにおろおろしているうちに、相手が会話を切り上げてしまう。
 自分と話していても面白くないだろうな……と、彼女はますます自信を無くす悪循環である。
 それでもクレリックになろうと思ったのは、そんな自分を変えたいと思ったからなのかもしれない。
 離れていく港の桟橋を眺めながら、何となくそう考える。
 船の中は静かなものだ。定期船だから船員も多くない。初老の船長が操舵手も兼任するような、こぢんまりとした所帯だ。
 幼い頃から育ててもらった島だから、初めて離れることには、少しばかり寂寥感がある。
 だからプリシラは、手すりに寄り掛かり、頬杖を付いて遠ざかる島を見つめていた。見えなくなるまで、そうしようと思っていた。
 だが。
「駆け込みセーフ!」
 ばたばたという慌ただしい足音と、元気の良い少女の声が、その静寂を唐突に打ち破った。
 思わず島から目を反らし、背中の方に並んでいる客席を振り返る。
「間に合って良かったぁー。これ逃したら、また一日待たなくちゃいけないトコだったよ」
 短くポニーテールにまとめられた焦げ茶の髪。少年のような、やや童顔の勝ち気そうな顔。活発さを表すような日に焼けた肌。それらに彩られた小柄な体躯を、まるで何年も使い込んでいるかのような傷だらけの鎧で包み、両腰には長剣とメイスを一振りずつ提げた、自分と同い年くらいの少女がそこにいた。
 その姿、そして背中に背負った大きなバックパックを見ても、同業者であろう。
 木の板を張り合わせただけの簡素な長椅子に腰掛け、息を切らせているその少女を、プリシラは目を丸くして見つめる。
 戦士のようだが、当然のようにプリシラは彼女を知らない。
 話せる島には『セドリックの道場』と呼ばれる戦士の養成所もあり、魔法学校との交流もよく行われているのだが、そういった場が極端に苦手なプリシラは、一度として道場の生徒と顔を合わせたことがなかった。
 おそらくこの少女も、その道場の出身者なのだろう。
 もしプリシラが、他の冒険者たちと同じように、積極的に仲間を募り、ともに遺跡の探索や魔物退治をしていたのなら、一度くらいはこの少女と会っていたかもしれない。そして同じ船に乗り合わせた偶然と、再会を喜び合っていたかもしれない。
 だがそうではない。
 少女の出現に驚き、次にプリシラが考えたことは、「どうすれば彼女に話し掛けられずに済むだろう?」ということであった。
 プリシラにとって不幸なことに、今のこの船の客は、彼女たちのみ。否が応でも互いの存在が目に入る。そうなれば、挨拶の一つくらいは交わさなくてはならないだろう。
 プリシラは、困り果てた顔でうつむいた。
 知らない人と気軽に挨拶なんて、できっこない……。そう思ってしまうプリシラである。
 しかし。
「ねぇ。座れば?」
 少女から軽い調子で話し掛けられた。
 大きく体を震わせて、顔を上げるプリシラ。
「使い放題だよ」
 白い歯をみせて、少女は快活に笑う。そして自分の隣をぱんぱんと叩いた。
「え……あ、あの……」
「ボクは、ファイス。これからウォーリアの称号を貰いに行くんだ」
 気後れして戸惑うプリシラに構わないように、少女は勝手に自己紹介を始める。そして喋りながら、バックパックや剣を体から外していった。
「出身はギランの方なんだけどね。こっちにいい道場があるって言うから、そこで修行させてもらってたんだ。どうしても冒険者になりたくってさ」
「……」
 がちゃがちゃと騒々しく装備品を外し、床や長椅子に置いていくファイスを、プリシラはその場に立ったまま、再び目を丸くして見つめる。
 背中のバックパックには、さらに円形の盾までくくりつけられていた。腰の後ろからは短剣を取り外しているし、よく見れば、彼女が腰掛けた時にそうしたのだろう長槍が、傍らに立て掛けられている。
 まるで装備の見本市だ。
 彼女の視線に気が付いたのか、ファイスがふと顔を上げて、プリシラと自分の装備品を見比べる。
「ああ、これ? 戦士はさ、色んな戦い方ができないといけない思って、一通り練習したんだよね。状況に合わせた戦法って、大事だと思うんだ」
 そう言って、少しだけ誇らしげに笑う。
 プリシラは思わず感心したような声を上げてしまった。するとファイスは嬉しそうに顔を輝かせる。
「ねね。キミは? 名前はなんていうの?」
「え、あ……わ、私は……」
「うん」
 促すようにうなずきながらも、焦ることはないというように、優しく微笑みかけるファイス。
 喉が渇くような緊張感に顔を赤く染めながら、プリシラは一つ喉を鳴らして、ようやく口を開いた。
「ぷ、プリシラ……ですっ」
 そして胸の前で両手を握り締め、ぎゅっと目を閉じる。
 ──変わりたい。
 そう思ったから、自分で自分の道を決めた。
 ──変わるんだ。
 だから今、その一歩を踏み出したのだ。

 目を閉じたプリシラは、不意に人の気配と土の匂いを感じた。
 目を開けるとそこには、日に焼けた顔にどこまでも広がる青空のように爽快な笑顔を浮かべ、右手を差し出したファイス。
「よろしくね、プリシラ」
 そして半ば無理やり手を取られ、握手を交わした。

 それが二人の、初めての出会いであった。

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