幼い頃は、周囲の大人たちの言うがままに生きていた。「自分は子供だから仕方がない」と思っていたから。
 魔法学校に入ってからは、マジスターたちが出す課題だけをこなしていた。勉強は楽しいと思っていたけれど、課題以上のことは何もしなかった。「授業だけで頭がいっぱい」と思いながら、放課後に魔法の練習をしている同級生たちがいることも知っていた。
 話せる島で冒険者になってからは、「私なんか役に立てない」と自分に言い訳をして、他の冒険者と関わらないようにしていた。魔法学校で同じくらいの成績だった子が、楽しそうにパーティーに参加しているのを横目に見ながら。
 そんな自分を変えたいと思ってクレリックになったものの、結局はいつもファイスの後ろを付いていくだけだった。
 内気で人見知り。それが自分。
 でも本当に変えなくちゃいけないのは、そんなところじゃなかった。
 ──足りなかったのは、心の強さ。
 いつも自信に満ちていたファイス。何があっても動じないファイス。不可能に思えることでも、果敢に挑んでいたファイス。
 どんなことがあっても、状況がどう変化しても、いつも「自分」というものを保っていた彼女のように、強い心を持ちたいと思う。
 変わらなくちゃいけない……いや、自分が持たなくてはいけないのは、一歩を踏み出してみる勇気だった。
 そのことに、プリシラは気が付いたのだ。
 だから彼女は、ただ一人の友人の願いを叶える道を選ぶ。
 それが『願い』だからだけではなく、自分が本当の意味で変わるために。

「プリシラちゃん。またちょっと、一緒に行って欲しいところがあるんだけど」
 うら寂れたようなディオンの村で、ブラックライオン傭兵団の隊長、ソフィアと話をしていたプリシラに、背後からマーガレットがそう声を掛けた。
 声に振り向いたプリシラは、あの頃より幾分か日焼けした顔に、少しだけ大人びた微笑を浮かべる。
「いいですよ。どこですか?」
「クルマの塔よ。何度か一緒に行ってもらってるけど、今度はちょっと特別なの」
「特別、ですか?」
「バズヴァナンさんの試験なのよ」
 普段は怜悧なその顔に、苦笑のような表情を浮かべて肩をすくめるマーガレット。彼女がこういう顔を見せるのは、プリシラと、件のバズヴァナンくらいだろう。
「それはたしかに、特別ですね」
 プリシラも苦笑しながらうなずき、了承の意思表示とした。
「あんまり彼女を使わないでくれよ。うちの優秀な傭兵なんだからな」
 傭兵隊長のソフィアが、悪戯っぽい口調でそんなことを言ってくる。
 プリシラは顔だけを振り向かせて、同じく悪戯っぽく、だが余裕を感じさせる笑顔で片目をつむってみせた。
「大丈夫です。ちゃんと期日までに任務は遂行しておきます」
 数ヶ月前の彼女からは想像できない姿……。マーガレットは、ふと沈鬱な面持ちでそのことを思い出していた。

 あの雨の日。
 マーガレットはプリシラを探していた。彼女に、自分が創設する血盟に参加してもらうためである。
 クレリックとしての能力は勿論のこと、プリシラには何やら予知能力とでも呼べるものがあると見た彼女は、自分が目指す「強い血盟」に必要であると判断したのだ。
 しかし、雨の中で見つけたプリシラは、驚くほど「弱い存在」に見えた。
 涙を流すプリシラから事情を聞き出し、その理由に合点がいく。
(プリシラの中にある、ファイスの存在の大きさ)
 それが今、欠けているのだ。
 泣きながら「強くなりたい」と訴える彼女を、血盟に引き入れるのは容易なことだったろう。
 しかし、マーガレットにはそれができなかった。
 今のままのプリシラでは、おそらく役に立たないだろうという冷徹な判断と、弱味につけ込むようなことをしたくはないという、多分に情義的な思いがそうさせたのだ。
 だから代わりに、違う言葉を掛けていた。
「私は、二人目の友達になれないかしら?」
 その日から数ヶ月。
 プリシラはもう、ファイスのことを吹っ切っているように見える。
 しかしいまだに、マーガレットの血盟のみならず、数多あるいずれの血盟にも所属しようとしないことが、一抹の不安を感じさせていた。

「プリシラちゃんも、そろそろ次のステップよね?」
 ついでにと昼食に誘ったマーガレットは、食事が運ばれてくる前の会話として、何気なくそのことを話題にした。
 冒険者に限らず、戦士や魔法使いたちがある一定の実力に達すると、より高度で専門的な技術を身に着けることができるようになる。昨今の冒険者であれば、そのために様々な試練、試験、審査を通過して、その実力があることを証明しなければいけないのだが。
 マーガレットが口にしたのは、その試練のことなのだろう。
 プリシラはテーブルに置かれた水を一口、喉に流し込んでから、小さくうなずいた。
「バズヴァナンさんのお手伝いを終えたら、旅に出ることにします。ですから、しばらくは留守にしますね」
「そう。……一人で大丈夫なの?」
 言葉に特別な意味を込めたわけではないが、つい探るようにそう訊いてしまうマーガレット。だがプリシラはにこりと笑った。
「平気ですよ。私は一人で平気です」
 そう言ったとき、プリシラの瞳に生気が感じられなかったのは、気のせいだったろうか。

 ギラン領とオーレン領を結ぶ、唯一の街道。『死の回廊』と呼ばれるその場所を、旅装に身を包んだプリシラが歩いていた。
 同行する冒険者はいない。
 ファイスと別れてから、彼女はそのほとんどの時間を一人で過ごしている。
 それは自分が求める強さを得るため。
 何があっても動かない「自分」というものを形作るために、そうすることが最良だと考えたからだ。
 それに、他の冒険者と一緒にいても、何か物足りなく感じるせいでもある。
 今回の旅に同行を申し出てくれたマーガレットも、今では大切な友人だ。先日のようにパーティーに誘ってくれることも、自分を気遣ってくれているのだろうと、その存在には感謝している。
 しかし、彼女との冒険で心が躍るようなことはない。何かが足りないのだ。
「いい人なんだけど……」
 ふと口に出してみる。
 魔法学校の同期で、今では十数人の冒険者を束ねる血盟の盟主。その統率力と明晰な頭脳は敬慕に値するし、魔導士としての能力も高いレベルを維持している。頼りにはなる存在だろう。
「人を見る目があれば、完璧なのかな」
 一番に血盟に引き入れたのが、あのバズヴァナンだという話を思い出して、苦笑がこぼれる。戦士としての能力は高いものの、外見とはかけ離れた口調と性格が物議を醸し出すナイトだ。
 そのことでも解るように、マーガレットは才能と能力に重きを置く。人そのものを評価することは、あまりない。社交辞令的に言葉にすることはあっても、だ。
 自分には、それが引っ掛かっているのだろうか?
 しかし、悪い人間ではないのだ。だから請われれば一緒に冒険にも出る。
 弱味をみせてしまったせいか、特に自分には優しくしてくれるように思うプリシラだ。
「でも、同い年よね……う〜ん……」
 複雑な気分になって、プリシラは眉間に皺を寄せるようにして小首を傾げた。
 考え事をしながら歩いていたせいか、思ったよりも街道を進んでいる。もうすぐドラゴンバレーの入り口が見える辺りだ。
 この辺りに一人で来るのは、さすがに初めてだった。
 本拠地としているディオンの村からは離れているし、交易都市であるギランとは違って、ディオンからオーレンやアデンに向かう隊商も少ない。護衛の仕事なども滅多にないのだ。
 もっともこの街道は『死の回廊』の名前に反して、安全な場所として知られている。東西にドラゴンバレーやエルフの森があるためにそう呼ばれ始めたが、街道周辺にはギラン領から派遣された騎士が常駐する見張り小屋があり、行き交う商人たちの旅の安全を守っているのだ。
 だからプリシラも、のんびりと考え事をしながら歩くことができる。
 ──しかし。
 不意に、プリシラは足を止めた。
 遠目にドラゴンバレーの異様な山影が見え始め、心なしか肌寒さを感じる。
 空気がよどんでいるような感覚。そして頭の中心を射抜かれるような痛みにも似た感覚と、胸が締め付けられるような不安。
 この感じは、久しぶりだった。
(何かある……ううん、いる!)
 とっさに腰に提げた鎚矛を引き抜き、左腕に通した小振りの盾を構える。
 そしてこの感覚が告げるままに、その方向へと駆け出した。
 それは街道から少しだけ離れた、一件の小屋。ギランの騎士がいるはずの見張り小屋の一つだろう。
 そこに、いたのだ。
 小さな一軒家のような見張り小屋をやすやすと踏み潰してしまいそうなほど、巨大な体躯。爬虫類を思わせる凶暴な頭をもたげる、長い首。その全身を覆う硬質の鱗は、燃えさかる小屋の炎に照らされて不気味に輝き、その炎を煽るかのように羽ばたく長大な翼からは、よどんだ風が吹き付ける。
 ──ドラゴン!
 数多いる魔物の中でも、その眷属を含めて最強と言われる魔物が、そこにいた。
 駆け付けたプリシラは、初めて目にするその存在に、思わず立ち尽くす。
 圧倒的な邪気と威圧感。それを感じて、体がすくんでしまったのだ。
 小屋にいたはずの騎士は、おそらく小屋もろともに焼き殺されたのだろう。悲鳴も聞こえず、ただ木が燃える音だけが響く。
(逃げなくちゃ……)
 とてもではないが、勝てる相手ではない。それは解っているが、プリシラの意思に反して体は動こうとしなかった。
 ただ目を見開き、燃え落ちる小屋とその上で羽ばたくドラゴンを見つめるだけ。
 そのドラゴンが、ゆっくりと長い首を傾けるようにして、邪悪だがどこか精悍さを感じさせる顔をプリシラの方へと向けた。
「わざわざ焼き殺されに来たか。下等な者よ」
 巨大な体躯には不釣り合いなほどの細い腕を持ち上げ、その先端にある鋭い爪でプリシラを指さす。
「お前もアンタラス様復活の生贄にしてくれよう」
 ドラゴンの口が不気味に歪み、巨大な剣のようなその牙の隙間から、炎が舌のようにちろりと覗く。
 プリシラは目を見開いたまま、蒼白な顔でその声を聞いていた。
 何もすることができない。恐怖に震えることしか。
 先ほど感じた不安は、今度は自分に向けられたものだったのか。
 そう思った時である。
「おおぉうりゃあっ!」
 雄叫びと共に飛来した槍が、ドラゴンの堅い鱗を突き破った。
「うぬっ!?」
 思わずといったふうに怯み、自分の腹に突き刺さったその槍を見つめるドラゴン。彼の巨体を考えれば、その傷は微々たるものだ。
 しかし。
「相手になんぜ! バケモノ!」
 そこに現れたヒューマンの戦士と、その両脇に構える二人のオークの女性が放つ気は、その場によどんでいた空気を払うほどに強かった。
「あなたは……」
 緊張が解かれ、振り向いたプリシラは、その姿に見覚えがあることに驚く。
「よっ。久しぶりだな、プリシラさん」
 輝くような板金鎧に身を固めたバインは、不器用なウインクをしてみせた。

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