プリシラはきょとんとした表情で、まばたきを数回。 「バイン……さん?」 「覚えててくれたとは、嬉しいね」 言いながら、背中から新しい槍を引き抜くバイン。その傍らにいる戦士風のオーク族の女性が、ドラゴンから目を反らさずに、それでも訝しげな様子で眉をひそめた。 「知り合いかい?」 「ああ。ファイス繋がりだな」 久しぶりに聞いたその名前に、プリシラの胸がわずかにうずく。 バインの隣にいるもう一人のオークの女性が、手にした杖をかざして何やら短く呪文を唱えた。 「自己紹介はあとにさせてもらうぞ。我らの役割は、二人の援護だ」 その言葉が自分に向けられているのだとプリシラが理解したのは、オークの女性の魔法が完成したあとだった。強い熱のような精霊力が、自分たちの体を包むのが解る。 プリシラは彼女に向かって一つうなずき、その隣に並んだ。 「よっしゃ。いくぜ、カイナ!」 「あいよっ!」 バインとカイナが槍を構えて駆け出す。 腹に槍を突き立てられたドラゴンは、それを抜こうともせずに、悠然と二人の戦士に相対するように振り向いた。 「生贄が増えたようだなぁ」 不敵に顔を歪めるその左右に、上空から四匹のウォームが舞い降りて付き従う。 「我は偉大なるアンタラス様の恐怖を伝える者、ナコンダス! この名を死界の女神へ届ける役目を、貴様らに与えよう!」 咆吼のようなその叫びと共に、ウォームたちが一斉に羽ばたいた。 だが、不敵に笑うのはバインも同じだ。 「名前を売るには、役者が不足してるぜッ!」 気勢を上げて振り回した槍の穂先から衝撃波が生み出され、かぎ爪を開いていまにも襲い掛かろうとしていた四匹のウォームを薙ぎ払う。 瞬間、空中で動きを止めたそのウォームたちに、大地を蹴ってカイナが長槍を振りかざした。 「喰らいなッ!」 風を巻くように力強く一閃された長槍は、狙い違わず、ウォームたちの蛇のような長い首を跳ね飛ばす。 「小癪な!」 部下を一度に倒されたナコンダスが、怒りの形相で大きく息を吸い込んだ。 ごあっ! 地獄の門のようなその顎門が開かれ、紅蓮の炎が奔流となってカイナに向かう。 「!」 着地をしたばかりの彼女に、それをかわす術はない。だが口元には、余裕を感じさせる微笑が浮かぶ。その刹那、 ──ぱしぃっ! 彼女を飲み込む直前で、炎の奔流は枝分かれするように割れた。 「レジストっ? 馬鹿なッ!」 ナコンダスの驚愕の声が重なる。 プリシラだ。 ナコンダスが息を吸い込むのより一瞬だけ早く、プリシラは耐火の魔法を唱えてカイナにそれを施したのである。 その直前に、彼女特有の直感が働いたことは言うまでもない。 冷や汗を流しながらも、魔法が間に合ったことにほっと息を吐くプリシラ。しかし事態は、彼女の予測よりもずっと速く進んでいる。 「驚くのは早いよッ!」 炎の洗礼を免れたばかりのカイナが、すでに槍の穂先をナコンダスに向けて地を蹴っていた。彼女にはプリシラの援護があることも計算済みだったのだ。 (あ……) それは何だか懐かしい感じがして、プリシラは思わず顔を上げてそのカイナの背中を見つめる。 以前にも、こんな戦い方をしていたような……そんな気がした。 「馬鹿め! 地を這う貴様らなどに……」 カイナの動きに合わせ、即座に翼を羽ばたかせて空へ舞い上がろうとするナコンダス。 だがそれも、すでに予測されていることである。 「甘い」 プリシラの隣に並ぶオーク族の魔術師──アドエンはぽつりと呟き、その手にかざす杖を振る。すると突然、ナコンダスの長大な翼が赤紫色の炎に包まれ、切り裂かれるように燃え上がった。 「ぐおぉおおおッ!? 冷たい……炎だと!」 翼力を失い、ナコンダスは無様に大地に叩き付けられる。その憎悪に満ちた目がアドエンに向けられ、彼女はしれっとした顔で一言。 「冷静に燃え上がる心もある」 「だから役者不足だって言ってんだろ!」 いつの間にか接近していたバインと、そしてカイナが、地に伏せるナコンダスへ、その揃えた穂先を突き出した。 「ぬおぉおおおおおおおッ!?」 硬い、金属を破るような音が響き、ナコンダスの絶叫が回廊にこだました。 (すごい……) プリシラは感嘆の思いで、三人を見つめていた。 何の打ち合わせもなく連携している彼らの動き。何より、イレギュラーであるはずの自分の援護まで見越していたことに、感動にも似た心の奮えを感じていた。 マーガレットたちとだって、こうはいかない。とっさの時は声を掛け合うくらいのことはする。 それなのに、初めて手を組む人たちが、こうも上手く連携してくれるのだ。自分たちには無い、経験の差なのだろうか。 「とどめだッ!」 バインとカイナが槍を大きく振りかぶる。 「いかん」 そのアドエンの呟きは、そばにいたプリシラにしか聞こえなかった。 何のことだろうと小首を傾げてオークの魔術師を振り向いた、その瞬間、 ──ごぉうっ! ナコンダスが絶叫に振り上げた鎌首をそのままに、バインとカイナの頭上に炎の吐息を吹き付けた! 「ぐおっ!」 「ちぃッ!」 とっさに飛び退く二人だが、炎の勢いに押されて派手に吹き飛ばされる。 そしてその炎の奔流は、後方に立つプリシラたちにも迫った。 (ダメだ……っ!) 突然のことに何もできず、壁のようになって迫り来る炎を凝視するプリシラ。 その時だった。 「いっけぇーッ!」 ──ドンッッ! 大気を震わせるような衝撃音が耳を打ち、プリシラのさらに後ろから『気』の刃が飛来し、炎の壁を真っ二つに切り裂く! 「!!?」 プリシラとナコンダスの、声にならない驚きが重なった。しかしその意味は大きく違う。 (今の……!?) 思わず後ろを振り向くプリシラ。 そこに、懐かしい姿があった。 あの頃と変わらない、自分と同じくらいの小さな体に重そうな鎧と武器を携え、やや幼いその顔立ちに少年のように快活な笑顔を浮かべた彼女の姿が── 「……ファイス……?」 「遅くなっちゃったね」 振り下ろした両手剣を肩に担ぎ、ファイスはにこりと笑った。 何が起きたのか……いや、何が起きているのか解らないといった表情で、プリシラは立ち尽くす。 いるはずのない人が、目の前に立っている。 見ることがないと思っていた姿が、今、目の前にある。 (どうして……?) 状況も忘れて呆然とするプリシラに、ファイスは微笑みかけて剣を構えた。 「いくよ、プリシラ!」 そして返事も聞かずに駆け出す。 「あ……」 すれ違う一瞬に、以前と変わらないファイスの瞳を見て、プリシラはすぐさまその意図を汲み取った。 「次から次へとッ!」 接近してくるファイスに向かい、ナコンダスは再び大きく息を吸い込む。 だがそれが解放される寸前、ファイスは構えていた両手剣をナコンダスの頭めがけて放り投げた。 「!?」 金属同士がぶつかる激しい音が響き、ナコンダスの頭が大きく横に振られる。ファイスが投げた両手剣が、横っ面を殴り飛ばした形になったのだ。 吹き出された炎はむなしく宙を焦がし、その隙にファイスはナコンダスの懐へと接近する。そして左右の腰に吊した一対の剣を引き抜いた。 その時、ファイスの体に魔力が降り注いだ。視覚が研ぎ澄まされ、手にする武器が腕と一体となるような感覚に包まれる。 「そこぉッ!」 気合いと共に一閃した右手の剣が、バインが傷付けたナコンダスの硬い鱗の隙間を、正確に突き、切り裂いた! たまらず絶叫するナコンダス。 さらに同時に、左手の剣がカイナの槍が開いた傷口をも切り裂く。 ついに堪えきれず、ナコンダスの巨体が揺らぐ。 たまらず下がってくる巨大な頭部を見上げ、ファイスは両足にぐっと力を入れた。 そこに再び、魔力が降り注ぐ。全身の血が沸騰するような感覚に包まれ、筋肉が悲鳴を上げそうなほどに力が漲る。 体の内側からあふれ出すような破壊衝動をそのままに、ファイスは地を蹴った。 「これで終わりだぁーッ!」 下から突き上げるように振り払った左の剣が鱗の継ぎ目を切り裂き、間髪入れず振られた右の剣が、その傷口から深々とナコンダスの首に食い込む。 「馬鹿な……っ!」 自分が敗れることなど想像もしていなかったドラゴンの、か細いそんな声が耳に届く。 ファイスはそのドラゴンの瞳に向けて、不敵に微笑んでみせた。 「ボクとプリシラには、勝てないよ」 そして長大な竜の首が、ドラゴンバレーを望む空に高々と跳ね上がった。 「ただいま、プリシラ」 崩れ落ちるナコンダスの巨体を背に、ファイスはそう言って微笑みかけた。 きょとんとしていたプリシラの顔が、その瞬間に泣きそうに歪む。 「……ファイス……だよね?」 「うん。ボクだよ」 「ほんとに……どうして……」 「そうだね。奇蹟……かも」 「ファイスぅーっ!」 堪えきれずに泣き出し、タッと地面を蹴ってプリシラはファイスに飛びついた。ファイスはそれを優しく受け止める。 「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だよ」 「私こそごめんなさい! ファイスがあんなことになったのに、私……私だけ……」 「プリシラはボクとの約束を守ってくれたんだろ。嬉しかったよ」 「でも……どうして……?」 涙で赤くなった顔を上げてそう聞いたとき、プリシラはファイスの両腕に残る大きな傷跡を見つけた。そのあまりに生々しい記憶の痕跡に、思わず体を強ばらせ、どうしようもなく悲しくなる。 「ごめんなさい……っ!」 「いいんだよ。ボクは戦士だからね」 プリシラの視線に気が付いて、ファイスは明るく笑ってみせた。そして子供をあやすように、その小さな頭を撫でてやる。 「あの後ね。バインがギランに連れて行ってくれたんだ」 そう言って、ようやく体を起こしたバインに視線を向けるファイス。プリシラもそれを追うように振り向いた。 「あの大怪我したときに助けてくれたのが、バインの仲間の人でね。ギランに優秀な魔法医がいるからって、紹介してくれたんだよ」 「それじゃ……」 「うん。傷は治ったんだけど……やっぱりすぐに元通りってわけにはいかなくてさ。リハビリに時間が掛かっちゃったんだ」 でもおかげで、前より強くなった気がする──と、ファイスは笑った。 「ばか……」 その声にプリシラは、ようやく笑顔をみせることができた。涙を拭いながらファイスから体を離し、その手を取る。 「でも、よかった……ほんとに……」 「プリシラも、強くなったね」 頭を撫でていた手をプリシラの手に重ねるように置くファイス。 「久しぶりだったのに、ちゃんとボクを援護してくれた」 「ファイスも……前とおんなじ。あんなこと、一つ間違えたら焼き殺されてましたよ」 「でもおかげで、プリシラが詠唱する時間、かせげただろ?」 「それでも無茶です」 「うん、そうだね」 そしてどちらからともなく、互いの手をぎゅっと握る。 「……また、一緒に旅をしてくれるかな?」 ちょっとだけ遠慮するように、そして恥ずかしそうに、ファイスが上目遣いで訊ねる。 そんな友達の珍しい姿が可笑しくて、プリシラは思わず顔をほころばせる。 もちろん、返事は…… プリシラには、何だか解った気がした。 必要だったのは、心の強さ。 だけどそれは一人では手に入らないもの。 自分を信じてくれる、そして自分が信じることができる仲間がいて、初めて得られるものなのだと。 「ファイスの無茶に付き合えるのは、私だけですからね」 笑顔でそう答えたプリシラのその言葉は、以前より少しだけ強気なものだった。 →エピローグへ |
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