「ここからが本番よ」 弦を引く動作はあくまでも軽く、弓が満月のように引き絞られるとは思えなかった。 しかし、今カノンに向けられているそれは、限界に耐えるかのように、ぎしりと軋んだ音を立てている。 「エアルさん!?」 あまりに突然の行動に、ポエットが驚愕とも抗議とも取れる声を上げる。 カノンは身をすくめて、瞬き1つできずにエアルフリードと、自分に向けられた矢の切っ先を見つめていた。 その緊迫した空気は、周囲にいる冒険者たちの視線も集め、いつしか彼女たちの周りには小さな人垣が出来上がっていたのである。 「あんたも構えて」 弓を引き絞ったまま、エアルフリードがそう言う。 カノンはびくりと体を震わせ、こわごわと上目遣いにエアルフリードを見つめた。 彼女は口元をわずかに笑みの形に歪め、自分を見ていた。それはどこか不敵な感じであり、なぜか飄々としているようにも思えた。 「私を撃つのよ」 「ぅゆっ!?」 背中の羽と体全体を跳ね上げるようにして、カノンが驚く。 「早くやるのっ」 強い口調でうながされ、反射的にボウガンを両手で持ち上げてしまう。 (うつ……撃つ? かのんがお姉様を? 撃つ……撃つの?) よく働かない頭で必死に状況を把握しようと、言われたことを反芻していく。 (かのんが……撃つ!?) 照準の先にエアルフリードを見てしまった途端、その意味をようやく理解した。 「うゆゆゆゆゆゆっ……!」 口を三角形にして両目をぐるぐると回しながら、痙攣するように全身をガクガクと震わせる。もちろん、両手で構えたボウガンも激しく上下に揺さぶられる。 「あらあら……」 そばで見ているフロウティアが、思わず苦笑してしまう。 しかし、一緒に見ているポエットにとっては、笑い事ではない。 「エアルさん! 無茶ですよ!」 そのあまりに可哀想な姿に、たまらずポエットは飛び出し掛けた。しかしその肩を、フロウティアに押さえられる。 「大丈夫よ」 焦って振り仰いだその先に、彼女の優しい笑顔を見て、ポエットは動きを止めてしまう。 「で、でも……」 「大丈夫。これがテストなのよ。矢も訓練用の物だから、万が一もないわ」 そう。エアルフリードが使っている弓と矢は、訓練用に用意された物だ。弓はさほど威力が出るような強度ではないし、矢も本来は矢尻がある先端に、綿を詰めた布が巻いてあるだけである。殺傷能力どころか、怪我をすることも稀だろう。 しかし、ポエットが言いたいのはそういうことではない。 「カノンの矢は、本物ですよっ!? それに、そういうことじゃ……」 「解っているわ……たしかに、これはちょっと予想外かもしれないわね」 そう言いつつも、彼女は動こうとはしない。その代わりに、少しだけ憂色をたたえた瞳をエアルフリードに向けた。 弓を構えた制止姿勢のまま、エアルフリードが小さく息を吐く。そして、いっぱいいっぱいになっているカノンを睨むようにその視線で射すくめた。 「早く撃つの!」 「ぅゅ……ぅゅ……」 「撃てっ!」 「!」 怒鳴るように言われた瞬間、カノンは引き金を引いてしまった。 刹那、 ──バシッ! 何かが弾けるような、鋭くも籠もった音が聞こえ、続いてカランっとカノンが放ったボルトが地面に転がる。 その傍には、先ほどまでエアルフリードの弓につがえられていた矢も。 何が起こったのか解らず、カノンもポエットも口をぽかんと開けて、惚けたようにぺたりと座り込んだ。 不思議な静寂が訪れる。 その中でエアルフリードが、ニッと不敵に微笑み、弓を下げた。 「お見事っ!」 彼女たちを囲む人垣の中から、誰かの声が上がる。続いて、1人分の拍手。 事態を把握した数人がそれに続き、やがて拍手は大きなどよめきとなって、エアルフリードに喝采を送った。 拍手に応えるわけでもなく、悠然と、しかし自慢げに胸を張って立つエアルフリード。彼女はいまだに呆然としているカノンを見下ろした。 「どう? 今のすごいでしょ」 「う、うゅ……?」 目を点にして、口は三角形のまま、カノンが首を傾げる。 その反応に、エアルフリードは少しだけムッとしたように表情を引き締めた。 「まあ、見えなかったのも無理ないかもしれないけど……近かったしね」 ふて腐れたようにそう言って、ふいっと顔を背ける。 何か解らないけど、彼女の機嫌を損ねたらしい。カノンは慌てて何とかしようと、きょろきょろと辺りを不安げに見回した。 その傍らに、フロウティアが静かに歩み寄り、上体をかがめて視線を合わせる。 「エアルはね。今、カノンの矢を自分の矢で撃ち落としたのよ」 「……?」 「ええっ!?」 驚愕の声を上げたのは、ポエットだ。座り込んだ姿勢からひと息に立ち上がると、オレンジ色の瞳をお皿のように丸くして、エアルフリードを凝視する。 カノンの方は、まだよく解っていない。紅の瞳をぱちくりとしばたかせて、フロウティアに首を傾げて見せた。 フロウティアは苦笑するように口元に手を当てる。 「つまりね」 そう言って、地面に落ちたカノンの矢とエアルフリードの矢を拾い上げ、それぞれを片手に持って、カノンの前で軽く衝突させた。 「こういうこと」 「……うゆっ!?」 ようやく理解できたカノンは、パッとエアルフリードに振り向いて、再び目を点にする。 凄すぎて、何も言えない。 カノンもポエットも、まさにそんな心理状態だった。 腰に手を当ててそっぽを向いていたエアルフリードは、ちらりと横目を向けて、自分を見つめるカノンの瞳と合わせた。 「……それが課題」 「?」 「もしあんたが今の技を真似できたら、後見人になってあげるわ」 拗ねたように、しかしどこか照れくさそうなエアルフリードの言葉。 その宣言に、再び驚くポエットと苦笑するフロウティアを横に、カノンは1人、座り込んだまま不思議そうにきょとんとしていた。 「……こーけんにん?」 ──後見人とはっ。 「つまりぃ……えっと、『先生』みたいなものかな?」 テーブルに置いたオレンジジュースを両手に、ポエットは頭を捻りながらそう言った。 同じように、テーブルに置いたミックスジュースのグラスを両手で押さえ、カノンはこくこくと小さく頷く。 「私の場合は、盟主様だったんだよ」 「めいしゅさま……」 「あ、まだ会ってないんだっけ」 「うゆっ」 「冒険者として一人前になれるまで、サポートしてくれたり、いろいろ教えてくれたりするんだよ」 そう言って、ちゅーっとジュースをストローで吸い上げるポエット。カノンは感心したように、おーっと口を開けた。 2人はあの後、エアルフリードたちに先に戻るように言われ、宿の前のカフェテリアで休憩をしているところである。 「お姉様が、先生になるの?」 「うんうん。なってくれるかもしれないの」 「先生かぁ」 空を見上げるように呟いて、ずずっとストローをすする。カノンの頭の中には、故郷で自分たちの指導に当たっていた、年配カマエルたちの姿が浮かんでいた。 小さな眉根が少しだけ下がる。 「……お姉様は、お姉様のままがいいな」 何となくそう呟いた。向かいに座るポエットは、その意味が解らずに小首を傾げる。 カノンの表情がどこか沈んだように思えて、話題を変えることにした。 「でもとりあえず、アカデミーのみんなと仲良くなる方が先かもね」 「みんな?」 弾かれたように顔を上げた。その瞳がきらきらと輝いている。 ポエットはにこりと微笑みかけた。 「あんまり多くはないけど、うちのアカデミーにもカノンと同じ、修行中の冒険者がいるんだよ。その人たちと一緒に冒険したり、遊んだりするのが良いかな」 「うゆうゆっ」 「うん。後見人って、別にずっと一緒にいてくれるわけじゃないしね。どっちかっていうと、アカデミー仲間の方が一緒の時間は長いかも。みんな、いつでも一緒してくれるよ」 「どこにいるの? みんな」 「えーと、アカデミーの人はたいていここじゃなくて、別の町に居るかな。今だと、グルーディンかディオンが多いのかなぁ」 「かのんも、ぐるーでぃん!」 「うん。それくらいがちょうどいいかも」 両手を上げて嬉しそうに言うカノンに、ポエットも笑顔で頷く。 しかし、ふと気が付いた。 「あ、でも……そうすると、また引っ越ししないと……」 「カノンの拠点は、ここに固定よ。送り迎えはエアルがしてくれるわ」 不意にフロウティアの声が聞こえ、2人はいつの間にかテーブルのすぐ横に立っていた、優しい笑顔の司祭を振り仰ぐ。その後ろには、相変わらずふて腐れたような顔をしたエアルフリードもいた。 「ね?」 「……まぁね」 声と視線だけで同意を求めるフロウティアに、エアルフリードは渋々といった感じに答える。 カノンの表情がぱあっと輝く。 「うゆっ! うゆっ!」 「はいはい。そんなにはしゃがなくていいから、とりあえずポエットちゃんと一緒に買い物でも行ってきなさい。必要な物もいっぱいあるんだし」 椅子から立ち上がって、こぶしを作った両手と背中の羽をぶんぶんと上下に振るカノンに、エアルフリードはその小さな頭を撫でてやりながらそう言う。 ポエットも椅子から飛び降りるように立ち上がって、首を傾げた。 「お買物ですか?」 「ええ。冒険に必要な物を一式、揃えてあげてくれない? 明日には必要になるから」 答えたのはフロウティアだ。エアルフリードはカノンのほっぺを広げて遊んでいる。 言われてみれば、カノンはエアルフリードに勧誘されて、両親に挨拶もそこそこに、すぐギランへ来たらしい。いま持っているボウガンと数日分の衣服以外、何も持っていないのと同じだった。 ポエットはこくんとうなずく。 「わかりました。責任持って、私が見立ててきますっ。──でも急ですね。明日?」 フロウティアは、いつものように微笑んでうなずく。 「マーガレットと話をしてきたの。前から提案はあったのだけどね」 「はあ……?」 「あっちのアカデミーとこっちのアカデミーの、交流会よ」 しゃがみ込んでカノンの両頬を引っ張っていったエアルフリードが、振り向いてそう告げた。 「へえ……いいなぁ」 自分が居たときにはなかったイベントであるから、ポエットは少し羨ましそうに、それでもカノンにとっては良いことなので嬉しそうに、笑顔を見せる。 「ポエットちゃんも、保護者で同席だけどね」 「えうっ!?」 「ついでにライくんも行かせるから、よろしく」 「卒業者も参加ですかっ!?」 目を丸くするポエットに、じたばたするカノンを解放しながら、エアルフリードは立ち上がってうなずいた。 「こっちの方が頭数少ないから、その補強要員よ。……まあ、私も保護者参加だけど」 「あちらも1人、保護者を出すみたいだから」 フロウティアが付け加えた言葉に、ポエットは即座にマーガレットの姿を思い浮かべた。なるほど。釣り合う人材と言えば、エアルフリードかフロウティアだろう。 「りょーかいですっ。じゃあさっそく、お買物にいってきますね」 「ほい、これ持ってって」 敬礼するような仕草を見せるポエットに、エアルフリードは硬貨が詰まった小袋を投げ渡す。それを両手で受け取って、ポエットは頬を抑えて涙目のカノンの手を取った。 「いこっ。ついでにギランの案内もするよ」 「……うゆっ!」 その一言で、カノンはたちまち顔を輝かせて、ポエットと一緒に駆け出した。片翼をパタパタと嬉しげに羽ばたかせながら。 手を振りながらそれを見送るフロウティアが、ふっとその顔から微笑を消す。 「……大丈夫かしら。あの子」 腰に手を当てて、斜に構えるように見送るエアルフリードは、無表情に答えた。 「致命的ね。あの性格……いえ、性質は」 「カマエル族は、戦闘気質の強い種族だと聞いていたのだけれど……」 「例外はどこにでもあるってことでしょ」 淡々とエアルフリードはそう言って、くるりと宿に足を向ける。 フロウティアはそんな彼女に、心配げな表情を向けた。 「どうするの?」 「……なるようになるわよ」 それだけ言うと、エアルフリードはさっさと宿の中に入っていってしまった。 扉が閉まるのを見ながら、1つため息を吐き、フロウティアは空を振り仰ぐ。 「そうね……冒険者にならなくちゃいけないわけでは、ないものね」 →第6話へ |
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