「そっちの引率は誰?」
 集合時刻となり、まばらに集まってきていた互いのアカデミー生たちが歓談を交え始めた頃、エアルフリードは相手側にそう声を掛けた。
 彼女の傍らには、しょぼくれた姿のカノンが、彼女の服の端を掴んで立っている。
 それが少し気になるものの、今はあえて何も言わず、好きなようにさせていた。
 エアルフリードの呼びかけに、相手側のアカデミー生たちは顔を見合わせて、なぜだか申し訳なさそうな表情を向けてくる。
 そのことに首を傾げたその瞬間、
「はぁ〜いっ☆ みんなのお・に・い・サ・マ、バズヴァナンでぇ〜す♪」
「いぃっ!?」
 立ち並ぶアカデミー生たちの中から、見事な筋肉をまとった男が両手を広げて飛び出してきた。
 思わず大きく後退るエアルフリード。
 それは、清涼なハイネスの空気と街並みを、一瞬で破壊するほどの威力を持っていたという。

 予想外の人物の登場に、さすがのエアルフリードも口をあんぐりと開けて立ち尽くす。
 その隣にいたカノンは、先ほどまでの気分も一瞬忘れて、ぽかんと筋肉男を見上げる。
 めざとくその小さな姿を視界に捉えたバズヴァナンが、微妙に腰をくねらせながら近付いた。
「アナタが噂の新人ちゃんねン〜? なっかなかカワイイじゃなぁい☆」
 カノンの視線の高さに自分の顔を持っていきながら、バズヴァナンは白い歯を見せて微笑む。
 見慣れぬ人物に、カノンはぼうっとしたまま小首を傾げた。
「逃げろ、カノン! 喰われるぞ!」
 後ろからアレクシスの声が飛んでくる。いつの間にかライと2人で、遠く離れた噴水の影まで退避していた。ライの方は髪まで真っ白にしてガクガクと震えているほどだ。
「うゆ……?」
 振り返ってさらに首を傾げたその襟首を、思いっきり後ろに引っ張られる。
「こっち!」
 ポエットだ。カノンを引っ張って、どこかへ走り去ろうとする。
 だが、その動きはあっさりとバズヴァナンに止められてしまった。彼の大きな手で1人ずつ、首根っこを掴まれて釣り下げられるような格好になってしまう。走ろうとしていたポエットの両足が、むなしく宙を掻いた。
「ンもぅ。そんなに怖がらなくても大丈夫よン☆ アタシ、ちっちゃい子はだぁい好きだ・か・ら♪」
「あぁああああっ!? ごめんなさぁーい!」
 にかり笑った彼のその言葉に、ポエットが本気で怯えた声を上げる。
 その声でようやく、放心していたエアルフリードが我に返った。
「……はっ!? 誰か! 私の弓を!」
「は、早まっちゃいけません、エアル先輩!」
「『あれ』はれっきとした人間。魔物ではござらぬ」
「つか、友好血盟の重鎮スよ! やばいって!」
 正気に戻るやいなや、本気モードで弓に矢をつがえようとするエアルフリードに、他のアカデミー生たちが一斉に飛びかかって止めに入る。
 いかに歴戦の冒険者といえども、3人がかりで押さえ込まれては、腕をバタバタさせるくらいが精一杯だ。
「はなせぇー! カノンが喰われるー!」
「喰われないっスよ!」
 そんな喧噪をきょとんとした顔で見つめ、子猫のように釣り下げられたカノンは、すぐ前にあるバズヴァナンの顔に視線を向ける。
「おじさん、だぁれ?」
「アタシはバズヴァナン。パラディンにして、この血盟でナンバーワンの人気者よン。いつでも指名してねン☆」
「うゆっ。かのんは、かのんです。よろしくお願いします」
「カノンちゃんねン。いい子だわン。初対面でアタシにちゃんと挨拶してくれたのは、マイロードとプリシラちゃんに続いて、3人目よン」
「まいろーど……?」
「うちの盟主、マーガレット嬢よン☆」
「! てっちゃんたちのお姉様っ」
 カノンは意外な発見をしたかのように、口を大きく開いて「うゆうゆ」とうなずく。バズヴァナンは満面に笑顔を浮かべた。
 そんな2人の姿に、隠れて様子を窺っていたアレクシスとライ、そしてカノンと一緒に吊されているポエットも、ぽかんと口を開けていた。
「……打ち解けてるぞ……」
「信じられない……あの人を相手に……」
「ふつーに話してる……」
 それは彼らだけでなく、その場にいる全員の心の声だっただろう。同じ血盟に所属している者でも、バズヴァナンが相手だと一歩引いてしまうのだ。
 当然のことかもしれないが。
「……こんのぉっ!」
 ばきゃっ!と派手な音を立てて、エアルフリードがアカデミー生たちの拘束から抜け出した。そしてすかさず弓を構え、バズヴァナンに狙いを定める。
「離れろ!」
「あらン……」
 逆三角形の目で殺気を漲らせるエアルフリードを肩越しに見やって、バズヴァナンは大人しくカノンとポエットをひょいと地面に降ろす。そして……
「ンもぅ……物騒なんだからン、エアルちゃんわぁ」
 やや不機嫌そうな顔でそう言ったかと思うと、無防備に、そして足早にエアルフリードに近付いていった。
「く、来るなぁっ!」
 途端に、エアルフリードは悲鳴のような声を上げながら後退る。バズヴァナンはそれを追い掛けるように、さらに接近していった。
「そういうガサツなとこが、男の子に嫌われるんだゾ☆」
「ひいぃいいいいいいっ!?」
「もっとアタシみたいに、お淑やかにならなくちゃ、もてないわよン☆」
「いやぁああああああああっ!?」
 説教めいたことを言いながらずかずかと近付くバズヴァナンと、半ばパニックに陥りながらも器用に前を向いたまま後退っていくエアルフリード。
 その奇怪な追いかけっこに、地面に座り込んでいたカノンは唖然とした表情を見せる。
「お姉様がぁ……」
「従姉貴はバズヴァナンのおっさんが、大の苦手なんだよ」
 いつの間にか傍に立っていたアレクシスが、ぽりぽりと頭を掻きながらそう言った。
「苦手……?」
「なんつーか。従姉貴の美的感覚なんかからすると、ああいうタイプは異次元の生き物に見えるんだろうなぁ」
 そのアレクシスの説明は、カノンにはいまいちぴんと来なかったが、エアルフリードにも苦手とすることがあるのは解った。それは何だか、少し嬉しい。
 ちょっとだけ笑うような表情で、まだ追いかけっこを続けている2人に目をやる。その小さな頭に、アレクシスがぽんっと手を置いた。
「ま、そんなでもお前を助けようとしたってのは、すげぇんじゃねぇの?」
 カノンはアレクシスを見上げ、少しだけこそばゆそうに頬を染めたのだった。

「ったく……ついてないわ」
 草の上に腰を下ろしたエアルフリードが、いまだにぶつぶと文句を漏らす。
「カノンがいなかったら、とっとと帰るところよ」
 誰にともなくそう呟いて、彼女は自分が座っている丘の下へ視線を向ける。
 そこでは両血盟のアカデミー生たちが、浅い湿地の周囲で、一風変わったこの地の景色を興味深そうに眺めたり、そのことについて会話を弾ませたりしている。
 ここ『クロコダイルアイランド』は、他の土地では見られない植物が群生していることでも、一部の学者や冒険者たちに有名だ。同じインナドリルの地でも、この島の周辺だけは景色が違って見える。
 気候も気温も違うわけではないのだが。
「なんでこんな木が生えてるんでしょうね?」
「以前、アニアから聞いたことがあるな。なんでもここにいるワニ族たちが、自分たちが住みやすいように植えたとか……」
「ええーっ!? それはさすがに嘘でしょー」
 ソテツの葉をちみちみと触っていたポエットが、ライの解説に目を丸くしながら振り返る。傍にいるカノンも小首を傾げた。
「わに?」
 昔、図鑑で見たことはある。大きな口のトカゲみたいな生き物だ。
 その図鑑の絵を思い出して、カノンはきょろきょろと辺りを見回して探してみる。
「あ、ほら。あそこにいるよ」
 ポエットが少し離れたところにある池の水面を指さした。振り向いてみると、水面に緑色のごつごつとした背中と2つの黄色い目、そして口の先にある鼻が出ている。
「わにさんっ」
 カノンは初めて見るその生き物に興奮したように、背中の羽をぱたぱたと動かしながら駆け寄った。
 慌てたのは、ポエットだ。
「カノン! ダメだよ!」
「うゆ?」
 池の縁で振り返ったカノンが首を傾げたその時、水面が揺らぎ、水しぶきとともに大きく口を開いたクロコダイルが飛び出した!
「うゅ〜っ!?」
「カノン!」
 泣きながら大慌てで逃げ出すカノンと、それを追い掛けるクロコダイル。そしてポエット。
 不幸中の幸いか、三者の歩幅はほとんど一緒だった。
「あーらら。さっそく狙われてら」
 そんな光景を肩越しに見つつ、アレクシスは苦笑を浮かべる。
 彼の前にいる双子のカマエルが、ハーモニーのような嬌声を上げた。
「あははっ! あの子、ちっちゃいもんねー」
「そうそう。食べやすいのよ、きっと!」
 心配など微塵もしていないようなその声に、アレクシスも合わせるように笑顔で振り返る。
「かもなぁ。──で、ササラちゃんとクララちゃんだっけ? きみたちもカノンの友達なんだよな」
 問われた双子は、一瞬だけ互いの視線を交わして、にこりアレクシスに微笑んだ。
「そうよ。家が近かったの」
「幼馴染みって言うのかな」
 姉のササラはピンク色のリボンで、妹のクララは水色のリボンで、それぞれ銀色の髪をポニーテールに結わえていた。よく見ればそのポニーテールも、それぞれ右と左にわずかだがずらしている。他人から見分けられやすいようにという、双子ならではの気遣いだ。
 アレクシスも双子に負けじとするように、少しばかり格好を付けて笑みを浮かべた。
「なら、少し色々と訊いてもいいかな? ほら、せっかく知り合えたんだし、お互いのことを知れば、仲良くしやすいだろ?」
 口調まで誠実っぽく変えてそう言うアレクシスに、ササラとクララは再び視線を交わして、まるで合わせ鏡のように同じ動きで顔を近付けた。
「それは、カノンのこと?」
「それとも、あたしたちのこと?」
 小悪魔のように悪戯っぽく微笑む双子に、アレクシスはふっと口元を緩める。
「そうだな……」
 そしておもむろに、右手を腰の短剣にあて、それを引き抜いた。
 ──ドンッ!
 目にも止まらぬ早さとはこのことだろう。
 引き抜くと同時に投げつけた短剣は、アレクシスの背後からそっと忍び寄っていたクロコダイルの口を、見事に地面に縫いつけていた。
「どっちも、ていうのは、ムシが良すぎるかな?」
 不敵に微笑んで片目をつむってみせたアレクシスに、双子は黄色い歓声を上げる。
(ふっ……ちょろいもんだ)
(こいつ、ちょっとよくない?)
(強そうだし、お金もってそーだね♪)
 互いにそんなことを考えながら。

「……なにやってんだか」
 後輩たちの戯れる姿を眺めつつ、エアルフリードは呆れたようにため息を吐く。
 しかし交流会という題目には、ある意味で相応しい展開になっているのかもしれない。
 カノンを追い掛けていたクロコダイルは、ライの魔法で丸焼きにされたようであるし。
 今は、泣いているカノンをポエットが宥めている光景が見える。
「あれでは、とても旅などできないわ」
 不意に背後の空気が動き、その声が聞こえた。エアルフリードは不快そうに眉をひそめ、ちらりと顔を振り向ける。
「たしかテスタとか言ったっけ?」
 距離にして、たったの3歩ほど。そこに、白糸のような長い髪を海からの風に靡かせ、長身のカマエルの少女が立っていた。
 カノンと同じような紅の瞳をこちらに向けて。
「どうしてあの子を血盟に入れたんです?」
 年上、もしくは先輩冒険者に対する配慮からか、カノンたちと話していたときよりも幾分か丁寧な口調で、テスタは問い掛けた。風にさらわれる髪を片手で押さえる。
 エアルフリードは小さく息を吐きながら、視線を丘の下へ戻した。
「どうしてかしらね」
「あの子の幼馴染みとして忠告しておきますが、あの子が冒険者として生きていくのは無理ですよ」
「そうかもしれないわね」
「除名をするなら、早い方がいいですよ。その方があの子のためにもなりますから」
 淡々と、そして実に簡単にそう言うと、テスタは喋るのを止めて、座っているエアルフリードの背中を見つめた。相手の表情が伺えないため、何を考えているのか読めない。
 それが、少しだけ神経に障った。
 少しの間、2人に沈黙が訪れる。遠く聞こえる波の音と、はしゃぐアカデミー生たちの声だけが聞こえる。
「……カノンさぁ。あんたたちがいなくなったあと、なんて言ったか知ってる?」
「?」
 期待していた答でも予想していた言葉でもない返事をされ、テスタは首を傾げた。
 エアルフリードが微笑を浮かべて、初めてちゃんと振り返る。
「『どうしようかなぁ』って言ったのよ」
「……」
 その笑顔と、彼女が言おうとしていることの意味が解らず、テスタは睨むような視線を向けた。
 見目には可憐なエルフは、ふっと期待が外れたような苦笑を見せて、再びカノンたちの方へと顔を向ける。そして片手を上げて、ひらりと振った。
「そんだけ」
 その小馬鹿にされたような態度に、さらに心をささくれさせながら、テスタもエアルフリードに背中を向ける。
「……私が言いたかったことも、それだけです」
 そして音もなく、歩き去っていった。
 再び1人だけになった草地で、エアルフリードは空を見上げる。初夏の太陽が、刺さるように眩しい。
「背後を取るなんて、やるわね。あの子」
 片手をかざして目を細めながら、彼女は笑顔でそう呟いていた。

 エアルフリードのいる丘を下り、申し訳程度に開かれた道へ出てきたテスタは、そこで不安げに表情を曇らせたターナと顔を合わせていた。
 おそらくテスタがどこかへ行くのを見つけ、追い掛けてきたのだろう。
 テスタは面白くなさそうに小さく鼻を鳴らし、そのまま無視するように通り過ぎようとする。
 その腕をターナが掴んだ。
「あのエルフの人に会ってきたんでしょ?」
「そうよ。だから何?」
 足を止められてもその顔を見ようとせず、不機嫌そうに答えるテスタに、ターナはどこか必死な面持ちで続けた。
「どんな人だった? カノンのこと、何か言ってた?」
 テスタからすれば辛気くさいその表情と態度が、苛立ちを加速させる。
 振り払うように腕を上げ、感情をそのままにターナを睨み付けた。
「別に。大したことのない人よ」
「そう……」
 目を伏せるようにして呟くターナを置いて、テスタは再び歩き出す。ターナは慌ててその後を追い掛けた。
「あのねっ……考えたんだけど、カノンも私たちと一緒に……」
「余計なお世話でしょう。あの子はあの血盟で『冒険ごっこ』をしている方がお似合いよ」
「でもっ……」
「心配をしたいなら、あなたがあの血盟に入れてもらえば!?」
 語気も荒くそう言い放ったテスタに、ターナは足を止めて立ちすくむ。そして、悲しげに顔を歪めた。
「テスタ……」
 それ以上は何も言うことができず、ターナはただ、テスタの背中を見送るのだった。

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