浅い水辺で、時折襲ってくるクロコダイルを相手にしながら、はしゃぐ若い冒険者たち。 その姿をじっと見つめ、怒りに燃える2つの瞳があった。 「うぬぬぬぬっ……我らの聖地で、なんと傍若無人なっ! 許せぬ!」 彼はずらりと並んだ小さな刃のような歯をぎりぎりと噛み締めながら、手にした杖で地面を叩くようにして憤慨する。 「これ以上、人間やエルフどもに聖地を汚させぬぞ……見ておれ」 そしてその杖を空に向かって大きく掲げた。 それが合図だったかのように、彼の左右に武装したクロキアンたちがずらりと姿を現したのだった。 「そろそろ帰ろうかしらねー」 座っていた丘の上で立ち上がり、エアルフリードは大きくのびをしながら呟いた。 アカデミー生同士の交流は、まずまず上手くいったようであるし、今日の目的は果たせたと言っていいだろう。あまり長居をしていると、誰かが調子に乗って本格的な『狩り』を始めないとも限らない。この島のクロキアンたちは、アカデミー生にとっては少々、辛い相手だ。それは避けたかった。 「おーい、ヒゲ筋肉ー」 アカデミー生に混ざって、はしゃいでいるバズヴァナンへ声を掛ける。彼はそうすることで、アカデミー生たちの監督をしていたのだ。 カノンやポエットと一緒に「浅瀬の水生生物観測」をしていた、筋骨たくましい騎士が顔を上げた。 「そろそろ帰るわよー」 「わかったわン」 不気味なウインクを返すバズヴァナンの横で、石の下から出てきた小さな多足生物を、不思議そうに小枝でつっつくカノン。その幼い姿に、エアルフリードの口元が思わずほころぶ。 バズヴァナンは立ち上がって、大きく手を打った。 「はぁ〜い、みんな注目ぅ〜。そろそろハイネスに戻るわよン。点呼するから集まって〜ン」 「ふつーに喋れないのかしら、あいつは……」 苦虫を噛み潰したような顔をするエアルフリードだったが、ふと何かを感じたように顔を上げる。 「……ん?」 方角にすると、東。その方向を見つめ、首を傾げた。 「テスタとターナがいませーん」 丘の下では、双子のカマエルの片割れ、姉のササラが手を上げてそう報告していた。 「あらン。困ったちゃんねン〜。単独行動は禁止しておいたのに……ぷんぷんっ」 「2人なんだから、単独じゃねぇだろ……」 頬を膨らませるバズヴァナンに、ササラの隣にいるアレクシスが引きつった顔で小さく突っ込む。 その彼も、ふと空を見上げるように顔を上げる。そしてエアルフリードと同じ方角に視線を向けて、首を傾げた。 「なんだ……?」 「どうかしたか?」 アレクシスの仕草に気が付き、声を掛けてきたライに振り向く。 「いや……なんか変な感じがしたんだ」 「変な感じ……?」 要領を得ない答えにライも首を傾げる。 「あ、帰ってきた」 その時、双子の妹、クララが背伸びするように前方をみやって、声を上げた。 湿地の草原を静かな足取りで、テスタとターナがこちらへ向かってくるのが見える。テスタは普段と変わらないが、ターナの方はどこか沈んだ表情をしていた。 双子とともにそれを見つめていたカノンは、そのことに自分の表情も曇らせる。 「もぉ。勝手に出歩いちゃダメだぞっ」 戻ってきた2人を、腰に手を当てて怒っている風を見せるバズヴァナンがたしなめる。 テスタは短く謝罪し、ターナも小さく頭を下げた。そこに、背中の羽をぱたぱたとさせながら、カノンが傍に寄っていった。 「たぁちゃん。おなか痛いの? だいじょうぶ?」 「あ……大丈夫よ。私、元気なかったかな?」 「うん……ちょっと……」 「そっか。ありがとうね、カノン」 無理にでも微笑んでみせるターナに、カノンもにこりと笑う。その様子を、テスタは横目でじっと見つめていた。 「さァてン。それじゃあ、みんな揃ったことだしン、帰るわよ〜ン」 『はーい』 「ちょっと待った!」 バズヴァナンの号令に、揃って返事をするアカデミー生たち。それをアレクシスの切羽詰まったような声が止めた。 彼にしては珍しく、真剣な表情で冷や汗まで流しながら、東の方角を見つめたまま、一同を制するように手を上げている。 バズヴァナンは不思議そうに首を傾げた。 「どぉしたのン?」 「アレクは何かを感知しているらしい。ここは従った方がいいな」 固まったように動かないアレクシスに代わって、ライがそう説明した。 バズヴァナンは訝しみながらもうなずいて、ひとまず全員を円陣を組ませるように集めた。 降って湧いたような騒ぎに、カノンとターナは不安げに眉をひそめ、テスタは不快そうにアレクシスを見る。 「たかがアカデミーのエルフが、何を……」 「エルフ族はどの種族よりも知覚力に優れている。俺たちが気が付かないことでも、彼らには解るんだ」 独り言のようなテスタの言葉にそう説明を加えたのは、先ほどと同じくライだった。不安そうにするカノンの頭をぽんっと叩き、彼女を守るようにそばに立つ。 テスタは彼にもその不快そうな視線を向ける。 「それは便利な能力ね。さしずめあの長い耳のおかげかしら? 当たっていればの話だけれど」 「突っかかるような言い方はやめてもらおうか。これから協力し合わなくちゃいけないんだからな」 挑むようなテスタに対し、ライは冷静な声音で応じる。緊迫する2人の間の空気に、カノンはまた少し悲しそうな顔を見せ、おろおろと2人を見上げた。 そんな彼らに、アレクシスの妙に引きつった声が届く。 「いや……やっぱ逃げた方がいいかもしんねぇ……こりゃ、やばそうだぜ」 東の一点を見つめるアレクシスが、自嘲気味な笑みすら浮かべたその時だった。 「バズヴァナン! みんなを逃がして!」 丘の上から滑り降りるようにして、エアルフリードが駆け下りてくる。肩に掛けていた弓を外し、矢筒から矢を取り出しながら。 その声でアレクシスと同じ方角へ目をやったバズヴァナンは、一瞬目を見張り、それからアカデミー生たちに振り返って、大音声を張り上げた。 「総員、退避よン!」 それは、遠目には地を覆い尽くすような大群である。 人間の倍はあろうかという巨体を、爬虫類特有の鱗で覆い、さらに鎧や武器で武装した二足歩行の生物──この島に生息するクロキアンたちが、湿地の水を跳ね上げ、砂煙を上げながら突進してきたのだ。 「にょーっほっほっほっ! ゆけぇー! この神聖な大地から、やつらを追い払うのじゃぁーっ!」 『御意! 長老!』 横一線の隊列で進むその集団の中央にいる、御輿に乗った老齢のクロキアンが奇声を発して命ずると、屈強な戦士たちが声を揃えて応じる。 それはともすればコミカルな光景にも見えるが、猛進してくるその姿は十分な威圧感と脅威を与えてくれる。 その姿をみとめたエアルフリードが、弓に矢をつがえながら舌打ちした。 「パナセンっ……厄介なのがっ!」 「あれがクロキアンたちに『大地の守護者』と呼ばれる、長老パナセン? ここしばらくは大人しくしていると聞いていたが……」 エアルフリードの舌打ちに、ライは少し意外そうな呟きを漏らした。 「そうよ。『インナドリル水質保全協会名誉会長』『聖地を守る会会長』『ワニ族の未来を考える会副会長』っていう、どーでもいい肩書きも持ってるわ」 「それは本当にどうでもいいな……」 「とにかく、あいつはやりにくいのよ!」 苛立たしげに言い放ち、ついでに一番矢もクロキアンたちに向かって放つエアルフリード。その矢は風を切り裂いて、パナセンの乗る御輿を担ぐクロキアンの額を正確に射抜いていた。 「ぬおっ!?」 唐突に御輿が傾き、老齢のクロキアンは慌てて座り込むようにしてその縁にしがみつく。幸い、6人担ぎの御輿であるため、地面に投げ出されるようなことはなかったが。 「うぬぬっ……小癪なエルフめ! 思い知らせてくれるわい! ゆくぞ、皆の者ぉ! 合い言葉はっ!」 『インナドリルの平和は、我らが守る!』 「その意気じゃあーっ!」 士気を上げるクロキアンたちの怒声に、ライは呆れたような表情を見せ、エアルフリードは軽く頭を抱えた。 「……なるほど。やりにくそうだ」 「頭いたぁ……」 しかし、いつまでもそうしてはいられない。互いの距離はエアルフリードでなくても、矢が届くほどに接近してきているのだ。 エアルフリードが後方のバズヴァナンに振り返る。 「筋肉! 退避状況は!?」 「なんか、どさくさに凄い呼ばれ方されてるっぽいけどン……だいたいオッケーよン」 答えたバズヴァナンのその向こうに、上位の者たちが先導して逃げる、アカデミー生たちの姿が確認できた。 だが、 「うゆゆゆゆゆゆっ……」 「エアルさん! カノンが固まってます!」 「すっげーな、これ。根っこでも生えてるのか? 全然動かねぇ」 恐怖のためか、顔面蒼白で小刻みに震えながら立ち尽くす小さなカノンと、それをどうにか動かそうと両脇から揺さぶるポエットとアレクシスは、まだバズヴァナンのそばに残っていた。 再び額を押さえるように頭を抱えるエアルフリード。 さらに。 「いい機会だわ。彼らの力量を見るとともに、私たちの実力も試してみましょう」 「え〜? あたしは逃げたぁーい」 「あたしもー。……あ、でも彼の活躍はちょっと見たいかも」 「みんなが残るなら、私も……」 テスタたち、4人のカマエルの少女たちも、すぐそばで武器を取り出していた。 「……はぁ〜……めんどくさっ」 疲れたように呟くエアルフリード。その隣で、ライも苦笑を漏らす。 「仕方ないな。この面子でどうにかやってみよう」 「なんとかなるわよン。血盟ナンバーワンのアタシがいるんだからン☆」 盾を腕に通したバズヴァナンもウインクと投げキッスをしながら、そう言ってくる。 エアルフリードはもう一つため息を吐いてから、自分に気合いを入れるようにキッと顔を上げた。 「よぉしっ。それじゃ、ライはよわっちぃ連中のフォロー! ヒゲ筋肉は突貫! 私は適当に援護ってことで、いきましょ!」 『おおーっ!』 意気を上げる3人。その様子をアレクシスは少し引きつった顔で見つめていた。 「さり気なく、おっさん消そうとしてないか……」 「きのせいっ!」 突進してくるクロキアンの集団に、兜の面当てを下ろしながらバズヴァナンが正面から向かっていく。 「さぁ、いらっしゃ〜いン☆ アタシがくんずほぐれつ、お相手してア・ゲ・ル♪」 その気色の悪い声に反応したのか、それとも彼の全身からあふれ出す妙な気配を察知したのか、正面のクロキアンたちは狂ったように武器を振り上げて躍りかかる。 「さすが。敵の正気を失わせている」 「そりゃ殺したくもなるわよ。あんなの」 感心するライの横から、エアルフリードは自分も目に殺気を宿らせてそう突っ込む。 彼女が戦力として数えたのは、ライとバズヴァナンだけだ。それはクロキアンとの相対的な力量差を計ってのことだが、そこにライと同じ卒業生のポエットを加えなかったことには、理由がある。 「カノン! ほら、早く逃げないとっ……!」 ぐぐぐっと力を込めてカノンの腕を引っ張るポエットだが、「硬直しながら震える」という世にも珍しい状態のカノンは、ぴくりとも動いてくれない。焦点の合っていない瞳で、ただ正面を向いたまま「うゆゆゆっ」と唸っているだけだった。 隣で同じように腕を引くアレクシスも、さすがに少し焦ったような表情を見せる。 「やばいな、こりゃ。従姉貴たちでも、全部を止められるわけじゃねぇぞ……」 本来なら、2人がかりでなくても小柄なカノンくらい、ポエット1人で抱えて逃げることができるはずだ。それがどういうわけか、今は無理やり動かすことすらできない。 「どうしよう……」 ポエットも困惑して呟く。その時、 「あぶないっ!」 ターナの叫ぶ声が聞こえ、同時に2人の耳に風を切る音が届いた。 ──ギギィンっ! 咄嗟にポエットが鎚を振り回し、飛んできた巨大な飛刀を弾き飛ばす。クロキアンの中から、動かないこちらにも注意を向ける者が出始めたのだ。 「ちっ……やるしかねぇか! おい!」 腰の後ろに手を回して短剣の柄を握りながら、アレクシスがテスタたちに声を掛ける。 「守るくらいはできるだろ! ここは任せるぜ!」 「何を……」 「お友達なら、面倒くらい見てやれよ!」 一方的に言い放って、アレクシスは飛刀を放ったクロキアンに向かって駆け出す。 その背中を見ながらテスタは眉をひそめ、双子は互いの顔を見合わせた。 「どう……する?」 ターナが彼女たちの言葉を代弁するかのように、テスタにそう声を掛ける。 テスタは敵に向かっていくアレクシスを見たあと、苛立ったように視線を背け、ポエットに守られているカノンを見やった。 「……仕方ないわ。ここは言われたとおりにしておきましょう」 実際、自分たちでクロキアンと戦うのは無謀だと承知しているのだ。 テスタを先頭にカノンの周りに集まる彼女たちを、ポエットは少し意外そうに見上げる。何か声を掛けるべきかと考えたが、今はそれよりも周囲の警戒を優先した。 そばに寄ったターナが、自分の顔をカノンの視線に合わせるように話し掛ける。 「カノン。大丈夫?」 その時ようやく、カノンに変化が現れた。焦点の合わない瞳が、ターナを見るように動いたのだ。 「たぁちゃん……かのん……こわいよ……」 「うん。もう大丈夫だから。みんないるよ」 「う、うゆ……」 うなずこうとしたカノンだが、極度の緊張が筋肉を強ばらせている。これではへたり込むことくらいしかできないだろう。 その様子を横目で眺めていたテスタが、小さく舌打ちするようにした。 「……だからあなたは足手まといなのよ」 「!」 その低い呟きは、恐怖に震えるカノンをさらに驚かせ、怯える心を追い詰めるような衝撃を与える。 しかしそのカノンの悲嘆は、戦いの気配に飲み込まれ、気付く者は誰もいなかった。 →第9話へ |
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