桜舞う、四月──。
 通学路を彩るその花びらと同じ色の髪を持つ少女が、白い制服を跳ねさせ、右手の鞄を大きく振り、息を弾ませながら駆けていく。
 少女は時折、頭上の桜を見上げては感動するように大きな瞳を輝かせ、また胸元にあるオレンジ色のリボンに目をやっては、堪えきれないように頬を緩ませる。
 今日は彼女にとって、とても良い日なのだ。
 そしてその笑顔は、視線の先に見慣れた姿を見つけることで、弾けるように輝いた。
「アリスちゃーん!」
 空いてる方の手を挙げ、走りながら大きく左右に振る。
 通学路の途中。大きな亀の甲羅のような屋根がある交番の前。そのいつもの場所に、いつものように友達が待っていた。
「いつもより二分遅刻よ」
 山吹色の髪をポニーテールにした気の強そうな顔立ちの友人は、組んだ腕の上で指を二本立てて片目をつむる。
 彼女の前に立った少女は、照れたような笑みを浮かべた。
「えへへぇ……新しいリボンが嬉しくて、ちょっとみとれちゃってました」
「相変わらず、何でも喜ぶわねー。色が変わっただけじゃないの」
 呆れたような友人の言葉に、少女は笑顔のままで答える。
「だって、可愛いじゃないですかぁ」
「はいはい。あんたにとっては大きな違いなのよね。ポエット」
 大きく溜息を吐きながら、友人は少女の頭を撫でるように手を置く。
 ポエットはくすぐったそうに笑った。

 私立アデン学園初等部に通うポエットは、今日から四年生。
 学年ごとに変わるリボンの色で喜べる、少しだけ感性が豊かな、わりと普通の女の子である。
 桃色のツインテールがチャームポイントの容姿は、明るい笑顔でよく似合う少女らしい顔立ち。
 成績は学年の半分よりちょっと下くらいで、頭を使うよりは体を動かすことの方が得意である。
 最近の悩みは、一年前から身長が伸びていないことだ。

「ところで、今日は一人なのね。お姉さんたちは?」
 頭を撫でていた手を放し、問い掛けてきた友人のアリスに、ポエットは目を細めて笑いながらうなずく。
「うん。今日はメリスお姉ちゃんもライくんも、委員会のお仕事があるから先に行っちゃったんです」
 ポエットは五人兄弟の末っ子で、同じ学園に通う兄や姉と一緒に登校することも多い。アリスもそんなポエットの姉たちとは、仲が良かった。
「あー、始業式とか新入生歓迎の準備ねー。高等部や中等部は大変ね」
「アリスちゃんだって、クラス委員を頑張ってたじゃないですか」
「先月までの話じゃない。初等部はそういうの、先生たちにお任せなのよ」
 褒められたことで少しだけ頬を染めたアリスが、腕を組みながらそっぽを向く。
 そんなアリスの態度がおかしくて、ポエットはまたまた頬を緩めていた。

 ポエットの親友、アリシアリス。彼女もまた、アデン学園初等部に通う同級生だ。
 ちょっときつめの印象を与える強気な顔立ちと、それに合わせるかのようなポニーテールの髪がトレードマークの女の子である。
 ポエットが見るところでは、ちょっとだけ意地っ張りで負けず嫌い。厳しい言葉や態度を見せることが多いけれど、実はとても優しくて思いやりもある、芯の強い友達だ。
 ちなみにポエットとは違い、勉強、スポーツ共に優秀である。

「ううっ……なんか今、軽くけなされた気がしますぅ……」
「ん? あたしは何も言ってないわよ?」
 並んで歩きながら、暗い顔で息を吐くポエットに、アリスはきょとんとした顔を向ける。
 二人が歩く道はアデン学園への通学路としては一般的なもので、彼女たちの他にも初等部や中等部、高等部の生徒たちが、舞い散る桜の花びらに歓迎されながら歩いていく。
 今の季節にはこの満開の桜並木があるため、通学路になったのだとも言われていた。
「四年生だけど、クラスは変わらないんですよね?」
「そっ。初等部は二年ごとにクラス替えだからね。教室へ行ったら、春休み前と同じ顔が並んでるわよ」
「ということは、先生も同じなんですね」
「そ、そーゆーことよねっ」
 心なしか頬を染めながら、何だか顔に余計な力を入れつつ、アリスが少しうわずった声を上げる。
 その理由を知るポエットは、自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。

     ※

 桜並木を抜けた彼女たちの前に、アデン学園の校舎が見えてくる。
 初等部から大学院までを収める広大な敷地は、空から見ると十字架のような形をしており、六つの区画に分けられている。
 各区画は並木のような自然物や、ちょっとした公園のような空間を置くことで隔てられており、基本的には、学園の生徒なら誰でも行き来ができるようになっている。また外部からの入り口として、区画ごとに二つずつの校門が設けられていた。
 アデン学園の特徴は、初等部から大学、大学院までを数えると、全部で五つの教育施設が並んでいることであるが、何より目立つのは、それらの施設ごとに建物の外観が違うことだろう。
 例えばポエットたちが通う初等部は、白亜の城を思わせる中世西洋風のデザインを取り入れた、純白の校舎が目を惹く。校舎中央の屋根に設置された大きな鐘が、その趣をいっそう強くしてくれていた。
 ポエットは入学当初からこの校舎を「小さなお城みたい」といって喜んでいるが、アリスの方は「無駄なデザイン」と一蹴している。
 この価値観の違いから衝突したこともある二人だったが、仲良くなった切っ掛けもその衝突なのだから、出会いというのは不思議なものである。
 そしてポエットには、この学園に入ってもう一つの出会いがあった。
「……あ。ポエット、ポエット」
 不意にアリスが何かを見つけて、ポエットの袖を引く。
 学園の敷地を囲む煉瓦造りの壁を横に見ながら、ここにも舞い落ちてくる桜の花を楽しげに見上げていたポエットが、きょとんとして振り返る。
「なんですか?」
「ほら、あれ。あんたの『王子様』」
「うにょっ!?」
 アリスの言葉に素っ頓狂な声を上げ、その指差す先に勢いよく顔を振り向けたポエットは、そこに『憧れの人』を見つけて頬を染めた。
 ポエットたちが歩く学園沿いの道を、ポエットたちの方へ向かって歩いてくる、長身の男子生徒。その制服は高等部のものであり、おそらく彼は高等部区画の校門へ向かっているのだろうと推測できる。
 柔らかで暖かな陽射しを受けて輝く、銀色の髪。その下で目を伏せるようにした顔は、少し冷たい印象を受ける鋭さがあるものの、美しいまでに整っていた。
(おまけに186pの長身モデル体型! スポーツ万能! けど帰宅部で孤高のクールガイ! 好きなものはミネラルウォーターと魚介類! 嫌いなものはパセリとピーマン! 好きな女の子のタイプは……)
 食い入るように見つめながら心の中で解説を加えていたポエットの思考は、その彼が目の前まで来たことで中断される。
 右手に持った鞄を背中に担ぐようにして歩いていた彼も、歩道の真ん中で立ち止まっている二人の小学生に気が付き、伏せていた目を上げた。
 その視線が合った瞬間、ポエットの頬は満開の桜のように染まり、笑顔が弾ける。
「おはようございます! ユーウェインさん!」
「ああ……おはよう」
 背伸びするようにかかとを上げて元気に挨拶するポエットに、ユーウェインは空いた方の手を軽く挙げて応えた。
 その声を聞けただけで、ポエットの大きな瞳がキラキラと輝く。
 ユーウェインは怪訝そうに眉をひそめ、そんなポエットの周りを見回した。
「セリオン……いや。メリスはいないのか?」
「はいっ! メリスお姉ちゃんは、今日は委員会のお仕事です!」
「なら、セリオンも一緒か。あいつに用があったのだが……」
 ふっと息を漏らし、ユーウェインはポエットたちの脇を通り抜けるようにして、再び歩き始める。
 ポエットは慌てて振り返り、彼の背中に大きく手を振った。
「新学期も、よろしくおねがいしますーっ!」
「ああ」
 振り向くことなく、しかし手を挙げて応えてくれたユーウェインに、ポエットの顔は幸せいっぱいという風にほころんだ。
 ──そう。
 彼こそがポエットがこの学園に入学して出会った、もう一人の人物。現在進行形で片思い中の相手、高等部二年のユーウェインである。
 嬉しそうにいつまでも手を振っているポエットの隣で、腕組みをしたアリスは呆れたような息を吐く。
「相変わらず無愛想な人よね。友達の妹なんだから、もっと愛想良くすればいいのに」
「違うよアリスちゃん! ユーウェインさんは、あれだからいいんだよ!」
 途端に振り向いた友人が、やけに気合いの入った顔でそう言うものだから、アリスは面食らったように瞬きをした。
「……あんたの趣味も、相当変わってるわ」
「そんなことないですよぅ! ユーウェインさんは、人気ありますもん!」
 好きな人の名誉を守るために、ポエットは必死になってフォローするのだった。

     ※

 外観は一風変わっているアデン学園初等部の校舎だが、教室の中は一般的なものとそれほど変わりがない。窓や扉の形が少し変わっているくらいで、生徒たちの机や教壇周り、教室後ろの掲示物やロッカーなどは、ごく普通のものだ。
 学年が上がり、教室の場所は変わったポエットたちだが、その造りとそこにいるクラスメイトたちの顔は、昨年までと変わりはなかった。
「やっぱり、ウィルフレッド先生だったね」
 始業式も終わり、新しい教室に戻ってきたポエットは、担任が来るまでの少しの間、アリスの席で話し掛けていた。
 始業式前に顔を合わせた昨年と同じ担任教諭のことを持ち出され、アリスは拗ねたような顔に朱を差す。
「だからそう言ったじゃない」
「良かったね、アリスちゃん」
 にこにこと笑顔を向けてくるポエットに、アリスは頬を赤くしたまま顔を背けた。
「あ、あたしは別に……」
 親友のアリスがウィルフレッド先生のことを大好きなのは、ポエットが一番よく知っている。
 だからあんなことを言いながらも、心の中ではすごく喜んでいることが解るから、彼女も嬉しそうに微笑むのだ。
 そしてその先生が、アリスの席のすぐそばにある扉を開き、教室に入ってきた。
「みんな揃ってるかー? 他のクラスへ勝手に移籍したりしてないよな。フリーエージェントは先生、許さないぞー」
 その声に振り向いたポエットとアリスに気が付き、端正な顔をしたウィルフレッド先生は、ぱちりとウインクしてみせる。
「また一年間、よろしくな」
「はぁーい!」
「ま、まあ繰り上がりなんだから、仕方ないわよねっ」
 元気よく手を挙げるポエットと、顔を真っ赤にしながらそんなことを言うアリス。二人の頭に先生は手を置いて、生徒たちを席に着かせた。
「さて。三年生の時とメンバーは変わっていないから、先生の自己紹介とかは必要ないだろうが」
 教壇に立ったウィルフレッド先生の言葉に、生徒たちが小さく笑い声を上げる。
 しかし続く言葉に、その声はちょっとした動揺へと変わった。
「今日は一人、紹介が必要なんだ。転校生だぞ」
 少しだけ得意げにそう言ったウィルフレッド先生に、ポエットだけでなく、アリスも他のクラスメイトたちも、驚きと期待が入り交じった視線を先生に向け、波のようなざわめきが起こる。
「入ってこーい」
 そのざわめきの中、先生の声に少し遅れて、教室のドアが開く。
 ざわめきが止まり、みんなの視線が一斉にドアと壁との間に注がれる。
 そしてその隙間から、ひょこりと顔を覗かせる少女。
 しかし彼女はみんなの視線が集まっているのを感じると、慌ててその顔を引っ込めた。
 再びざわめき始める生徒たち。
「ちょっと大人しい子なんだよなぁ」
 誤魔化すように笑うウィルフレッド先生の頬には、小さく冷や汗がつたっている。
(みんなで見ちゃったから、びっくりしちゃったのかな)
 ポエットは一瞬だけ見えたその転校生の仕草に、家の近所で飼われているハッチリンの姿を思い出していた。その小さなペットは、人の姿を見ると驚いて小屋の中に隠れてしまうのだ。
「よし、みんな。静かにしてみよう。転校生ちゃんが入ってきやすいように、息を潜めて待つんだ」
 教卓の上に体を伏せながら、ウィルフレッド先生が真面目な顔でそんなことを言う。生徒たちも釣られるように頭を低くし、真剣な表情を浮かべて息を殺す。
 静寂というよりは沈黙の時間が、じりじりと流れる。十歳に満たない生徒たちには、これは拷問に近い。
 しかしそんな苦労が報われたように、転校生が再びドアの隙間から顔を覗かせた。
 綺麗な薄紫色の髪をちょこりと揺らし、宝石のような紅い瞳を不安げに動かしながら。
 そこにみんなの視線が一斉に集まる。
「──ぅゅっ!?」
 驚愕したように目を丸くし、小さな悲鳴を残して、転校生はまたも引っ込んでしまった。
「だあぁ〜……」
 大きく溜息を吐き、生徒たちもウィルフレッド先生も机に突っ伏す。
「ダメだよ、みんなぁ〜。見たら驚いちゃうよぉ〜」
 ポエットも脱力したように上体を投げ出しながら、疲れたようにそう言う。
「うん。そうだな。次は見ないようにしよう」
 ウィルフレッド先生も苦笑を浮かべてうなずいた。
 ──しかし、ただ一人。
 そんな場の空気も関係なく、我が道を行く者がこのクラスにはいた。
「……まったく!」
 ドアに一番近い席にいたアリスが椅子を蹴るようにして立ち上がり、つかつかとドアへと近付く。
「あ、アリスちゃん……?」
 ポエットもウィルフレッド先生も、みんなが驚いて顔を上げる中、アリスは躊躇することなく教室のドアを全開にした。
「──うゆっ!?」
 ドアの影に隠れていた転校生の女の子は、突然のことに両目を大きく丸くし、ついで全身を硬直させる。
 ふわふわと柔らかそうな薄紫色の髪。瞳はルビーを思わせる紅玉色で、ぱっちりと大きい。そしてそれとは対照的に、淡く白い肌。まるで冬に降り積もる雪か、澄んだ夜空に輝く月のよう。
 その姿を目にしたポエットは、思わず口をぽかんと開けて見惚れてしまっていた。
(お人形さんみたい……)
 そんな感慨をよそに、目を三角形にして釣り上げたアリスが、火を噴きそうな勢いで口を開いた。
「さっさと入ってきなさいっ!」
「うゆ〜っ!?」
 その声に弾かれたように、転校生の女の子はバタバタと教室へ駆け込む。そして教壇の縁でつまずき、顔から転んでその痛さに悶絶し、先生の隣に並んだときには、何だか虫の息になっていた。
 唖然とする先生と生徒たち。
 そして不機嫌なままで席に着くアリス。
(アリスちゃんは、四年生になってもすごいです)
 色んな意味で。
 ポエットが心の中でそう締めくくった時、ウィルフレッド先生が引きつった笑顔を作りながら横目を転校生に向けた。
「え、えーと……」
 そして気まずい雰囲気を吹き飛ばそうとするかのように、もの凄い勢いで黒板にチョークを走らせる。
 やたら達筆に書かれたその文字は、転校生の名前を表していた。
「彼女の名前は、カノン。海外からの転校生だ! みんな、仲良くしてやってくれな!」
 やけに爽快な笑顔で振り返り、無意味に威勢の良い声を上げる先生。
 その隣では、ぶつけた鼻と額を真っ赤にしたカノンが、両目をぐりぐりと回し、ちょっぴり涙を浮かべながら荒い呼吸を繰り返していた。
 ──とりあえず、保健室に運んだ方がいいんじゃないか?
 四年一組の生徒たちは冷や汗を浮かべながらそう思ったという。

     ※

 転校生。
 その言葉の響きと存在は、生徒たちにとって好奇心をかき立てられるものであった。
「ちゃんと掃除しろよー」
 そう言い残してウィルフレッド先生が教室から出て行った後、クラスメイトたちはさっそくカノンの周辺に集まっている。
「海外ってどこから来たの?」
「アデンに引っ越してきたのは、どうして?」
「外国語で喋ってみてー」
「それより、こっちの言葉が使えるのかな?」
 集まったクラスメイトたちから次々に投げ掛けられる質問、疑問に、カノンは不安いっぱいといった表情を浮かべ、何も答えることなく、おろおろと彼らを見回していた。
「みんなー。掃除の時間ですよーっ!」
 教室掃除の担当になったポエットは、そんなクラスメイトたちに雑巾と箒を掲げながら注意をする。
 彼女とてカノンに興味がないわけではないが、先にやるべきことが決められている以上、それはきちんと果たしておきたいのだ。
 それに何だかカノンも困っているようだから、みんなと一緒にはしゃぐ気持ちにはなれない。
 しかしながら、転校生という存在に夢中のクラスメイトたちには、あまり届いていないようだ。
 肩を落として、大きく溜息を吐くポエット。
「もぉ〜。先生に怒られるよぉ」
「まったく、仕方ないわね……」
 彼女の隣で様子を見ていたアリスが、眉根を釣り上げて呟く。ポエットと同様に彼女もまた、こういった面では非常に真面目である。そして何より、団体行動での規律というものを重視していた。
「あんたたち! 掃除が終わらなかったら帰れないわよ! せっかくお昼までに帰れるチャンスを潰したいの!」
 床を踏み抜くように大きく足を踏み出し、カノンを囲むクラスメイトたちにそんな大声を浴びせる。
 今期もクラス委員長就任確定のアリスの言葉は、クラスメイトたちの耳から胸までを貫くように響いた。
『ご、ごめんなさい!』
 輪を作っていた彼らが一斉にアリスに振り返り、頭を下げたり敬礼して見せたりする。
 何よりも「早く帰れるのに帰れない」という要素が、彼らを動かす最大の動機となった。
 囲まれていたカノンが唖然とする前で、腰に手を当てたアリスは一つうなずくと、素早くクラスメイトたちを指差しながら指示を出す。
「中庭担当とトイレ担当はすぐに移動! 廊下担当は道具を持っていく! 教室担当は所定の作業開始!」
『はーい!』
 今までの喧噪が嘘のように、クラスメイトたちがそれぞれの掃除場所へ散っていく。
 それを満足そうにうなずいて見送るアリスに、横からポエットが雑巾を差し出した。
「さっすがアリスちゃん。貫禄が違いますね」
「別に。大したことじゃないわよ」
 照れ隠しのように乱暴な仕草で雑巾を受け取るアリスに微笑んで、ポエットは目を丸くしたまま座っているカノンに振り向く。
「カノンちゃんは、こっち」
 そして笑いかけながら、箒を差し出した。
「う……うゆ……?」
 それがどういう意味なのか解らず、不思議そうに首を傾げる彼女に、ポエットは隣まで歩いていって、もう一度、箒を差し出す。
「これからみんなで教室の掃除をするんですよ。カノンちゃんは、ホウキ係です」
 にっこりと笑いかけるポエットから箒を受け取り、カノンは座ったままで彼女を見上げた。
 それは問い掛けるような瞳だったから、ポエットは笑顔で一つうなずく。
「私、ポエット。よろしくですっ」
 するとカノンも慌てて椅子から立ち上がり、大きく頭を下げる。
「か、かの、んっ!?」
 ごちんっ。
 勢いよく下げた頭は、自分が両手で握り締めた箒の柄に当たり、カノンは痛みを堪えるように硬直した。
「……ありえないわ」
 後ろから見ていたアリスが思わず引きつった顔で呟き、ポエットも口を三角にして唖然としてしまう。
 顔を上げたカノンの両目には涙がにじんでいた。
(た、大変なコだなぁ……)
 今にも泣き出しそうな顔をしているカノンの赤くなったおでこを撫でてあげながら、ポエットは彼女に対する第一印象を大きく変更する。
 お人形さんではなく、外の世界に出たばかりの小動物のようだ。
 何に対しても緊張して、怯えているように見える。周囲のちょっとした音にも足を止め、そろそろと歩いているような、そんな印象を受けた。
 だから少しだけ、この子のことを応援したいような気持ちになる。
 ぶつけたところを撫でられて、ちょっとだけ落ち着いた表情を浮かべたカノンに、ポエットはにこりと微笑みかける。
(うん。仲良くしよう)
 言葉にすればそんな気持ちだったろう。
 その二人の肩を、横からアリスがぽんっと叩いた。
「ほらほら。さっさと掃除するわよ」
「はーい」
「あんたはとろそうだから、机は運ばなくていいわ。空いたところから順番に箒を掛けていって」
 返事をしたポエットではなく、きょとんとしているカノンに振り向き、アリスは適性に合わせた指示を出す。
「う、うゆ……」
 うなずいたカノンにアリスは口元をほころばせ、もう一度その小さな肩を叩いた。
「あたしはアリシアリス。みんなアリスって呼んでるわ。よろしくね」
 そんな彼女の態度にカノンは再びきょとんと目を瞬かせ、ついで隣のポエットにもその顔を向ける。
 ポエットは嬉しそうに微笑んでいた。
「よろしくです、カノンちゃん」
 自然と歩み寄ってくれた二人の笑顔に、カノンは少しだけ恥ずかしそうに頬を染める。そしてその顔を伏せて、もごもごと口を動かした。
「よ、よろしく……」
 同い年の子からこんな風にされたのは、初めてのことだったから。

     ※

「──というわけで。明日からはさっそく授業開始だ。各係なんかも今週中には決める時間を用意するから、何をやりたいか決めておけよ。じゃ、今日は解散」
 全校での掃除が終わった後、ホームルームにやってきたウィルフレッド先生の言葉で、この日は下校となった。
「一緒に帰ろっ。カノンちゃん」
 ひと息つきながら帰り支度をしていたカノンのそばに、ポエットとアリスがやってくる。
 またも緊張するように少しだけ体を堅くしたカノンだったが、微笑みかけてくる二人にためらいながらもうなずいた。
 彼女が鞄を手にして立ち上がったとき、教壇からクラスメイトたちを見送っていたウィルフレッド先生が声を掛けてくる。
「ああ、そうだ。アリス、ちょっと片付けの手伝いをしてくれないか?」
「片付け?」
 振り向いたアリスに先生は何だか偉そうにうなずいた。
「うむ。始業式の片付けだ。各クラスから代表を出すことになっていたのを、忘れていた」
「なんであたしが……」
「クラス委員長じゃないか。立派な代表だろ」
「ちょっと! それは去年まででしょ!?」
「まあまあ。今学期の委員長は、まだ決めてないし。ちょっとだけ延長ってことで、頼む」
 ウインクしながら微笑みかけてくる先生に、アリスは少しだけ頬を染めながらそっぽを向くようにする。
「し、仕方ないわねっ。担任に頼まれたら、断るわけにはいかないじゃないのっ」
「うんうん。先生も一緒に行くから、頑張って早く終わらせような」
「い、一緒に……」
 顔全体を真っ赤に染めていきながら呟いたアリスの表情が、少しだけ嬉しそうに微笑む。
 隣で二人のやりとりを見ていたポエットも嬉しそうに笑って、アリスの肩を叩いた。
「それじゃ、私たちは先に帰りますね。ごゆっくりです」
「べ、別にゆっくりしないわよ!」
「あははーっ。それじゃあ、また明日ねー」
 思わず怒ったように振り返ったアリスに手を振り、きょとんとしているカノンの手を引いて、ポエットは教室をあとにする。
「気を付けて帰れよー」
 笑顔で見送ってくれるウィルフレッド先生にも手を振って。
「アリスちゃんは、先生と仲良しなんですよ」
 靴箱に向かいながらポエットはカノンにそう説明を加える。
「なかよし?」
「うん。三年生の時にクラス委員長だったから、ずっと先生のお手伝いとかしてたんです」
「うゆ〜……?」
 首を傾げるカノンに微笑んで、ポエットは繋いでいる手を大きく振ってみせた。
「なかよしなかよし、です」
「……うゅ」
 カノンは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに頬を染めて、ちょっとだけ笑ってくれる。
 そんなカノンにポエットも嬉しそうにしながら、話を続けた。
「カノンちゃんも、前の学校に仲良しのお友達とかいませんでしたか?」
「が、学校は行ってなかったから……」
「あれ? そうなんですか」
「うゆ。お父さんとお姉ちゃんたちが、勉強を教えてくれたから……」
「おー。私もお姉ちゃんがいますよっ。お兄ちゃんもっ」
「そ、そうなの?」
「うんうん。バインお兄ちゃんとティア姉さんと、メリスお姉ちゃんとライくんです」
「いっぱいいる……」
「みんな仲良しです。楽しいですよぉ〜」
 うきうきと弾むような口調で話すポエットに、カノンはなぜか少しだけ顔を曇らせた。
 そのことに気が付いたポエットは、彼女の顔を覗き込むように小首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「う、うゆゆっ! か、かのんも仲良しだよ……お姉ちゃんたち、優しいから……」
 慌てて首を振ったあと、そう言って少しだけ微笑んだ。
 しかしポエットにはそれがとても寂しい笑顔に見えてしまい、何だか不安な気持ちになってくる。
 だからその後は話題を変えて、たわいもないことを話しながら校門を抜けていった。
(あんまりご家族のことを聞かない方がいいのかな?)
 そんな遠慮までしてしまう。
 ポエット自身。両親が不在であり、そのことで周囲が気を遣ってくれていることを知っているから、自分もなるべくそのことには触れないようにしている。
 だからカノンに対しても、そうした方がいいのかと考えられるのだ。
「あ、あの……」
 桜並木の通学路を歩きながらそんなことを考えていたポエットに、カノンが少しだけ恥ずかしそうに声を掛ける。
「ん? どしたですか?」
「か、かのんは……その……なんて呼べばいい?」
 それは「ポエットのことを」という意味だろう。
 誰とでもすぐに打ち解けられるポエットには考えも付かなかったことだが、カノンはクラスメイトの呼び方にも迷うくらい、人との付き合いに慣れていないらしい。
 ちょっとだけ驚いたように目を丸くしたポエットだったが、恥ずかしげに顔を伏せるカノンを見ていると、自然に頬が緩んでいた。
「何でもいいですよっ。お友達なんですから。好きなように呼んでくださいっ」
「友達……」
 その言葉に意外そうな表情を向けてきたカノンに、ポエットは微笑んだままうなずいてみせる。
 カノンは少し考えるように視線を落とし、それからおずおずを上目遣いに見つめてきた。
「ぽ……ぽえちゃん……?」
「うんうんっ」
 それはカノンらしい呼び方だと思ったから、ポエットは満面の笑顔でうなずく。
 するとカノンも嬉しそうに微笑んで、何度も小さくうなずいた。
「うゆうゆ」
 繋いでいる二人の手が、どちらからともなく大きく振られる。
 やっと少しだけカノンとの距離が縮まったような気がして、ポエットは嬉しくなった。
「明日のお昼は、一緒に食べましょお」
「うゆっ」
 互いに笑顔でそんなことを話した、その時。
 ──!?
 突然、カノンの表情が変わった。
 何かに驚いたように目を見開き、とても慌てた様子で辺りを見回す。
 その変化にポエットも驚いてしまい、唖然とカノンを見つめた。
「ど、どしたですか?」
「うゆっ、うゆっ」
 訊ねるも答えてもらえず、カノンはせわしなく首を動かして何かを探している。
 そしてそれを見つけたのか、ある方向に振り向いたかと思うと、打って変わって鋭くその方角を見据えた。
「!?」
 それはさっきまでのカノンとはまるで違う雰囲気を纏っていて、ポエットは思わず息を飲む。
 小動物だったカノンが、いきなり肉食獣に変わったように思えた。
「ぽえちゃん。ごめん……!」
 小さく呟くようにそう言うと、カノンは繋いでいた手を放して駆け出す。
「あっ──!?」
 その瞬間、何だかとても嫌な予感がした。
 二度とその手を繋げなくなるような、そのままカノンがいなくなってしまうような気がしたのだ。
「カノンちゃん!」
 呼びかけたその背中はすでに小さく見え始めていて、ポエットはさらに戸惑う。
 教室で転んだり頭をぶつけたりして泣いていた、あのカノンの姿とは思えない。
 本当に別人になってしまったように。
「けど……」
 このまま放っておくことは絶対にダメだと思う自分の気持ちを、ポエットは信じることにした。
「せっかくお友達になったんだからっ!」
 だからポエットも、カノンの後を追って走り出す。

     ※

 いつもの通学路を外れ、入り込んだのは通り慣れていない路地裏。そこを抜けると学園近くの商店街への近道になることを、ポエットはこの時に初めて知った。
 しかし商店街に出ても、まだ止まらない。
 ポエットが路地裏から姿を現したときには、さらに遠くの小さな路地へ姿を消すカノンが見えた。
 その走る速さは、まるで風のようだと思うポエット。慌てて同じ路地へ向かうが、相当に引き離されているだろう。
 そして案の定、お店とお店の間の道へ足を踏み入れた時には、すでにカノンの姿はなかった。
 目の前には、少し先で十字に分かれた小さな道。
「どこだろう……」
 その交差点までやってきて、ポエットは行く先となる三方の道を順に見渡していく。
 ──ゴトッ。
 その時、不意に何かの音が聞こえた。
 重い物を動かしたようなその音に、ポエットは反射的に正面の道を見つめる。
「こっち!」
 それがカノンが発した音だとは限らないが、ポエットにそこまで考える余裕はない。とにかく手がかりを求めて、小さな路地を駆けていく。
 前方に少し開けた光景が見えてきて、自然と走る速度が上がる。
(抜けた──!)
 それがちょっと大きな道で、そこへ辿り着いたと思ったその瞬間、
「ピューィッ!」
「んにゅ?」
 いきなり耳を打つように聞こえた鳥の鳴き声のような奇妙な音と、頭上を覆うようにかぶせられた大きな影に足を止める。
 そして何も考えることなく顔を上げたポエットは、
「…………え?」
 そのままの姿で硬直してしまった。
 そこに見えたのは、巨大な蜘蛛の姿。
 ステンドグラスのような光沢を放つ赤い色をした、人間の倍はあろうかという巨体を持つ蜘蛛であった。
 そしてポエットの認識が間違っていなければ、頭上を塞ぐようにかざされているのは、その蜘蛛の脚である。こんな巨大な蜘蛛を見たことはないから、今ひとつ自信はないのだが。
「あぅ……あぅ……」
 蜘蛛を見上げる目を点にして、口をぱくぱくと動かす。驚きのあまり声が出ないという状態を、初めて経験したポエットである。
「ピュヒューィッ!」
 再びさっきの音が聞こえた。
 いやそれは、この巨大蜘蛛が上げる鳴き声だったのだ。
 見上げるポエットの前で、四つのガラスのような目が並ぶ気味の悪い蜘蛛の顔が動き、牙のような物が並ぶ口がカシリと上下する。
「ぃ……っ!」
 最初の驚きを上回る恐怖がポエットを襲った。声にならない悲鳴が喉を揺らす。
 そして巨大蜘蛛が、かざしていた前脚を大きく持ち上げ、振り下ろそうとしたその時、
「あぶなぁーいっ!」
 子供のような声が聞こえたかと思うと、白っぽい小さな物体が蜘蛛の前脚にぶつかった。
「えっ!?」
 ガキンッ!
 固い物がぶつかる音がして、蜘蛛の前脚は軌道をずらし、ポエットのすぐ横の地面にアスファルトを砕いて突き刺さる。
「早く逃げて!」
 そしてポエットと蜘蛛との間に、先ほどの白っぽい物体が浮かんでいた。
 まるで翼のような大きな耳を持つ、手のひらほどの小さな動物。
 その動物がちんまりとした両手と両足を広げ、ポエットを庇うように彼女の眼前に浮いている。
「え? え?」
 ポエットは目を白黒させてその動物を見つめた。
 次々と起こるあまりに現実離れした事態に、頭が付いていかない。
 大きな耳の小さな動物が、その愛らしい顔を振り向かせて、もう一度口を開いた。
「ぼくが押さえている間に逃げて!」
「う……うん……っ!」
 何もかも解らない状況だが、とりあえず逃げればいいんだということだけは理解できて、ポエットは躊躇いがちにうなずく。
 それを見た小さな動物は、巨大蜘蛛に向かって飛翔した。
「うおぉーっ!」
 蜘蛛の足先ほどしかない体が果敢に突撃していく!
 ──べしっ。
「うきゃあ〜っ!」
 そしてあっさりと前脚で払い飛ばされた。
「ええぇーっ!?」
 あまりにあっさりすぎるやられざまに、走り出そうとしていたポエットも思わず足を止めて凝視してしまう。
「ちょ、ちょっと! 弱すぎですよ!?」
 吹っ飛ばされて路地の壁にぶつかった小さな動物を、慌てて駆け寄ったポエットが両手で抱き上げた。
「ううっ……面目ない……」
 青い顔をした動物が全身をひくひくと痙攣させながら謝罪してくる。翼のような耳もしなびた花のようになっていた。
「実は戦闘能力は皆無でして……」
 無茶すんなよ。
 思わず心の中でそう突っ込みを入れつつ、ポエットは両手に乗せた彼(?)を胸に抱くようにしながら立ち上がった。
「と、とにかく逃げましょう!」
「よろしくおねがいします……」
 さっきまでの威勢はどこへやらな動物がそう言ったとき、ポエットは咄嗟にその場を飛び退いた。
 背後から振り下ろされた巨大蜘蛛の前脚が、ポエットが立っていた場所を貫くように破壊する。
「あ、あっぶなぁ……」
 冷や汗を浮かべるポエットは、そのまま走り出した。
 ここはどうやら、何かの工場の裏手にある道のようだ。車一台が通れるほどの道が、コンクリートの壁に沿って続いている。その壁の向こうにそれらしき建物がいくつも見えた。
「でもどうしよう……人がいるところに行っちゃうと危ないですよね?」
「そ、そうっすね……なるべく人目には触れない方がいいです」
 走りながら辺りを見回すポエットの言葉に、弱々しい声で動物が答える。
 ポエットは不安そうに手の中の彼を見下ろした。
「だいじょうぶ?」
「あ、大丈夫……レインボーアガシオン、これくらいじゃ死なない」
「死にそうに見えるけど……」
「ちょっと打たれ弱いだけなんです」
 ちょっとどころではなさそうだが、今はどうすることもできないし、本人がそう言っているのだからポエットもそう思うことにした。
 それに結構それどころではない。
「このままじゃ逃げ切れない……」
 ちらりと後ろを振り返ってみれば、巨大蜘蛛が猛スピードで迫ってきていた。あの巨体には少しばかり狭いと思われるこの路地だが、八本の脚のうち、片側の四本をコンクリートの壁につけることによって体を斜めにし、器用に走ってくる。
 虫ならではの動きだ。
「き、気持ち悪いですよぉ〜!」
「まあ、蜘蛛っすから……」
 呟いた動物は、ちらりと目を上げてポエットの顔を見る。
「何とかできなくもないけど……」
「え? 何かあるんですか!?」
 驚き、焦りながらも、走る速度が落ちないのはポエットの凄いところだ。
 手の平の上に横たわる動物が、その小さな手をポエットに伸ばした。
「あのモンスターを倒せば、ぼくたちは助かる」
「た、倒すって!?」
「もちろん、きみの協力が必要だけど……」
 戸惑うようにそう言う動物に目を丸くし、ポエットは再び後ろを振り返る。
 あの巨大な蜘蛛を倒すというのは、とても現実的ではない。到底無理なことだと思えた。
 しかしあまり頭が良くないと思っているポエットには、他の方法なんて思い付かない。
 だからもう一度動物に振り向いたとき、彼女は大きくうなずいた。
「協力します! 何とかできるなら、何でもやりますよっ!」
「……ありがとう」
 動物が笑うように呟いて、萎びていた両耳をふわりと持ち上がらせる。
 その大きな耳がまるで手のひらのように合わせられると、そこに小さな光が生まれた。
 そしてその光が、動物を乗せるポエットの左手首に浴びせられ、包み込む。
「これは……?」
 驚くポエットの目の前で、手首を包んだ光は形を取り、一つの輪となって物質化した。
 それはポエットの手首にびったりとはまる、リング状のブレスレット。プラチナのような輝きを放つ、不思議な形をしたアクセサリーであった。
 手の平の上の動物が耳を下ろして顔を上げる。
「それは《スポイルブレスレット》。そのブレスレットを使って、きみは『魔法戦士スポイル』になるんだ!」
 そう言いながらちんまりとした手を上げて、びしりとポエットの顔を指差した。
「ま、魔法……?」
「戦士」
 唖然と呟いたポエットの言葉に、動物がきちんと付け足しをする。
 さすがにポエットの足も止まっていた。
「ピューィッ!」
 重い音がかさなる足音と奇妙な鳴き声が迫り、ポエットも動物もハッとして振り返る。
 すぐそこに迫る巨大蜘蛛の姿に、小さな動物は大慌てでポエットを仰ぎ見る。
「すぐに使える状態になっているから、呪文を唱えて変身して!」
「じゅ、呪文? 変身!?」
「いま教える! 呪文は──」
 小さな動物が大きく口を動かして何かを叫んだとき、ポエットの背後に迫った巨大蜘蛛の前脚が振り下ろされた!
 ドォーンッ!
 アスファルトを砕く重い音と激しい砂煙が舞い上がり、小さなポエットたちの姿はその中に掻き消される。
「ピューィッ」
 巨大蜘蛛はその小さな獲物を仕留めたことを喜ぶように声を上げ、振り下ろした前脚をゆっくりと持ち上げようとした。
 しかしなぜか、それが動かない。
 巨体に比して小さめな頭がかくりと動く。まるで不思議がるように。
 その時──
『Earth Elemental. put on』
 機械で合成した声が響き、砂煙の中にきらりと黄色の光が瞬く。
「ピュヒューィッ!」
 巨大蜘蛛が悲鳴のような声を上げ、同時にその巨体が、振り下ろした前脚を起点に持ち上げられる。
「えぇーいっ!」
 気合いの入ったポエットの声と共に蜘蛛の巨体は宙を舞い、激しい音を立てて地面に叩き付けられた。
 新たに生まれた砂煙とその衝撃で、ポエットたちを包んでいた砂煙が晴れていく。
 そしてそこに、
「な、なんとか……なった?」
 鮮やかな黄色の服を纏ったポエットが、引きつったような笑顔を浮かべて立っているのだった。

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