「エルダー?」
 夕食時の喧噪に沸く酒場の中で、バインとカイナとアドエンから出された提案に、カノンと一緒に食事を取っていたエアルフリードは、その手を止めてきょとんと振り向いた。
 彼女たちと同じテーブルに座った三人を代表するように、カイナが笑顔でうなずく。
「ああ。今日のパーティーで組んだ子なんだけどさ。アタシらの血盟のこと知ってて、入れてくれないかってさ。なんか、フロウティアさんを尊敬してるとか言ってたよ」
「ほほー。フロウティアのファンね〜」
「そんなとこじゃないかね。まあ、あの人は同業者には有名みたいだしね」
 その崇拝する神に関わらず、聖職者の間ではフロウティアの名声は高いらしい。何を持ってしてそうなっているのかは、カイナたちには今ひとつ解らないのだが、自分たちの仲間が尊敬されていると言われると、やはり鼻も高くなる。
 それはエアルフリードにとっても同じことだった。付き合いの長さと深さの分、その気持ちはカイナたちよりも大きいだろう。
 ──だが。
「で、どうだい? うちにはエヴァの神官はいないし。ちょうどいいと思うんだけどね」
「ん〜。エルダーかぁ……」
 そのエルフ族の神官に与えられる称号を口にして、同族であるはずの彼女は、なぜか難しい顔で困ったように頭を掻いた。
 意外な反応に、カイナたち三人は首を傾げる。ついでに、あんまり理解していないカノンも。
「何か問題でも?」
 アドエンが酒場の喧噪に消されないように、大きくはないがはっきりとした声でそう訊ねる。
 頭を掻きながら何か思案していたエアルフリードは、その声でふと顔を上げて、三人の顔を順番に見ていった。
「そっか。あんたたちは知らないんだっけ」
 最後にバインの顔を見つめて視線を止め、彼女は苦笑を浮かべる。
「こん中で一番古株なのって、バインだもんねぇ」
「ん? まあ、そうだが……なんだそれ?」
 腕組みをしていたバインがその腕を解きながら、怪訝そうに眉をひそめる。エアルフリードは苦笑を浮かべたまま、肩をすくめた。
「エルダーを血盟に入れるには、盟主サマ直々の許可が必要なのよ。うちは」
「そりゃまあ……誰を入れるのだって、盟主の許可はいるだろ?」
「そーゆーレベルの問題じゃなくて」
 そこで言葉を切ったエアルフリードは、ふと、こちらを見上げながら不安そうに「うゆうゆ」と呟いているカノンに気が付き、安心させるように微笑を浮かべる。
「盟主にこだわりがあるの。《エルダー》には、ね」
 カノンの頭をふわふわと撫でながらそう言ったエアルフリードに、カイナたちはやっぱり意味が解らず、顔をしかめるのだった。



 ギランの街は広い。建物も人も多く、何より他の街よりあか抜けている。
 初めてそこを訪れた者は、その近代的な街並みと、行き交う人の波に、まず見惚れてしまうだろう。
 ──そう。
 今の彼女のように。
「……はぁ〜」
 小さな背丈をいっぱいに伸ばすようにして周囲を見回し、そのドワーフ族の少女は大きくため息を吐く。
 この街に入ってから、何度同じことを繰り返しただろう。少し歩いては立ち止まり、立ち並ぶ大きな屋敷や綺麗な館、そして商店を見つけては、その店先で感嘆の吐息を漏らしている。
 まだ駆け出しの冒険者で、村を出てきてひと月も経っていない彼女にとっては、目にするもの全てが新鮮で、刺激的だった。
 装備も貧弱。身に着けた防具は木の皮を編んだ粗末な物だし、背中に背負ったバックパックも年季の入った代物だ。故郷の村でもらった、エルモアデン時代の物と言われるハンマーが、唯一の宝物である。
 そんな姿の彼女だから、そばを行き交う人々も視線を向けていく。
 背の高い若者からは奇異の視線を向けられ、身なりの良い貴婦人からは苦笑される。
 だがそんな嘲笑めいた反応も目に入らないくらい、今の彼女は感動していた。
「ここが……ギランなんだっ!」
 呟いて、興奮を抑えきれないように顔を緩める。全身をぷるるっと震わせて、彼女は石畳を蹴るように駆け出した。
 ギランの街を。
 広い広い、大きな街を。

「──お? 見ろよ、ロキ。かわいい子がいるぞー」
 その日、ギランの広場で露店を広げていたウィルフレッドは、そのみすぼらしい格好をしたドワーフの少女に目を留めて、楽しげに頬を緩めていた。
 彼の傍らにいる『相棒』は、その声に前脚の上に乗せていた顔をふいっと上げる。体毛と同じ灰色の瞳が、初めからその場所を知っていたかのように一点を見つめて止まり、黒く濡れた鼻はその存在を確認するかのように、小さく動いた。
「な? 結構イケてるだろ」
 にかりと笑って『相棒』にそう言い、ウィルフレッドがその頭を撫でる。敷物の上に座った彼と同じくらいの頭高を持つ大柄なウルフは、その言葉に同意するように『主人』に振り向いた。
「冒険者っぽいよなー。まだ駆け出しかな?」
 広場の入り口で、きょろきょろと不安げに辺りを見回しているドワーフの少女に視線を戻し、ウィルフレッドは立てた膝に頬杖を付きながらロキに話し掛ける。見守るかのように優しい笑顔で。
 彼の傍らに座り直したウルフも、再び少女を見つめた。その姿はまるで、従順だが厳格な執事のようである。
「ドワーフの年齢(とし)って解りにくいけどさ。冒険者の経験(とし)なら解りやすいよな。間違いなく初心者だ。初めてギランに来て、迷ってる」
 小さく笑うようにそう言ったウィルフレッドに、ロキはふっと鼻を向ける。その言わんとするところが解ったのか、ウィルフレッドは苦笑するように破顔した。
「いきなり声を掛けて、変な奴と思われるのは嫌だぞ。それに、こういうのも経験だろ?」
 そして再び視線を戻す。
 少女は何かを見つけたように顔を上げて、脇目もふらずといった言葉がぴたりと当て嵌まるように、広場を駆け抜けていく。ウィルフレッドの前を通るようにして。
「……でも、あの子はドワーフ族の中でも、かなり上等だと思う。うん。美人だ」
 眼前を横切っていった少女の背中を見送り、そう呟いたウィルフレッドの顔は、少しだけ照れたような色に染まっていた。

 ドアを開けると、上部に取り付けられた小さな鐘が小気味の良い音を鳴らす。
 その音と、店主の「がんばってね」という声を聞きながら、彼女は店から飛び出すように外へと駆けた。
 ──これで準備はできた。だから少しでも早く戻りたい。
 そんな気持ちが足を急がせているのだ。
 半時ほど前に通ったばかりの広場に再び足を踏み入れ、駆け抜けていく。
 きらびやかな街並みも、行き交う多種多様な人々も、今はあまり目に入らない。冒険者風の人たちには、少しだけ目を惹かれるが。
 ともかく、少しでも早くグルーディンへ!
 そう思っていたのに、ふと目にした小さな看板に足が止まった。冒険者が自由に出すことを許可されている、個人露店のよくあるお手製看板だ。
 そこに書かれている品名は、今の彼女が足を止めるのに十分な理由になる。
《格安! ウルフ装備セット(おまけ付き)》
 少女の大きな二つの瞳が、その文字に釘付けになっていた。走っていた動きをそのまま止めたものだから、まるでマネキンか、よくできた彫像のように、不自然なポーズではあったが。
 その姿勢のまま、瞳がちらりと動き、看板から商品へと興味の対象が移る。
 石畳の上に広げられた麻布の敷物。その上に並べられた、ウルフ用と思われる革製の防具と、口にかぶせるように装着させると思われる金属製の牙。どちらも使い込まれた跡はあるものの、手入れだけは完璧にされている。
 それを見つめる少女の瞳が、きらきらと輝きを増していく。
 とてもとても、欲しい──!
 そう言っているように。
 売られているのは、その1セットだけ。値段は……
 それを見ようとして、ふとその視線が装備品の隣に見えた灰色の「前足」を捉えた。少女は焦るように、体ごとその足の持ち主へと振り向く。
 そこにいたのは、露店主のペットと思われる、灰色の体毛に覆われたがっしりした体格のウルフ。少女がこれまで見てきたどのウルフよりも大きく、顔付きも凛々しい。まるで主人を守るための騎士か、あるいは執事のように思えた。
 少女の瞳がさらに輝く。
 幼さが多分に残る丸い頬が緩み、自然と笑顔が浮かんでいた。
(いいな、いいなっ)
「安くしとくよ」
 不意に掛けられたその声に、今まで目に入っていなかったこの露店の主に目を向ける。
 彼女は少しだけ驚いたように息を飲み、ウルフを見るためにかがめていた上体を逆向きに反らせた。
 そこにいたのが、精悍なウルフとは対照的な、とても華奢で綺麗なエルフの男だったからだ。
「きみ、可愛いからサービスするよ」
 そう言って、エルフの男は柔らかく微笑みかけてくる。少女は緊張するように、さらに身を引く。
 ちらりとウルフを見てみる。体毛と同じ灰色の無表情な瞳が、じっとこちらを見つめていた。
 慌てて腰のポーチから財布を取り出し、その中身を確認してみる。
 少女は、とても残念そうに……むしろ悲しそうとも言えるほどに落ち込み、大きくため息を吐いた。

 ウィルフレッドが見つめる前で、ドワーフの少女は財布を広げてため息を吐く。どうやら予算が足りないらしい。しかもあの様子からすると、かなり少ないと見える。
 ならば……と、彼はちょいちょいと手招きするように片手を振って彼女の注意を自分に向けさせ、明るく微笑みながらウインクした。
「今持ってるアデナの半分でいいよ」
「……えっ!?」
 初めて耳にした少女の声は、小さな鈴を転がすような愛らしい響きがあった。
「サービスするって言ったろ?」
 彼女は明らかに動揺している。生粋の商売人であるドワーフ族からすれば、何とも怪しく思えるかもしれない。何か裏があるのではないかと疑っているのだろう。
「代わりに、俺と付き合ってくれ」
 その通りだったのだが。
「!?」
「て言っても、一緒に狩りするとかそーゆーベタな落ちじゃないから。ちゃんと、恋人になってくれってこと」
「ななな……っ!?」
 小さな顔を真っ赤にして、身を守るように両腕で自分の体を庇いながら、後ずさる少女。
 ウィルフレッドは構わず、にこりと微笑みかけた。
「ダメかな?」
「ダメに決まってるでしょっ!」
 叫ぶようにそう言い捨てて、少女は逃げるように駆け出してしまった。あの小さな体のどこにそれだけの瞬発力があるのかと思うほど、まさに脱兎のごとく。
「ありゃ……逃げられちゃったぞ」
 残念そうに頭を掻きながらそんなことを呟く主人を、ロキは呆れたように見上げるのだった。



 夕食時の喧噪は、お酒が入る時間になるとさらに騒がしさを増していく。
 その中で静かにカノンの頭を撫でるエアルフリードを、カイナたちは不思議なものを見るようにして次の言葉を待っていた。
 普段とは少し違う、まさに「森の妖精」の名にふさわしい穏やかさを見せるエルフの娘は、その雰囲気そのままの声音で語り始める。
「そうね……いい機会だから、話しておくわ。私たちが出会った頃のこと」
 それは、エルフの寿命からすれば瞬きするほどの時間。だけど彼女にとっては、とても懐かしい、大切な思い出。
「私とフロウティアと盟主……それと『彼』のことをね」

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