「おはよ〜……」 まだ半分寝ているような目と顔付きで、エアルフリードがテーブルにやってくる。 朝食のサラダをつついていた手を止めて、フロウティアは顔を上げた。 「おはようございます。先に顔を洗ってこられたら、どうですか?」 「ん〜……そうする〜……」 「えらく眠そうだなぁ。遅くまで起きてたのか? 旅の後はしっかり疲れを取っておくのが、冒険者の基本だぞ」 フォークに刺したプチトマトを振りながら、呆れたように言うウィルフレッド。 その彼に応えて、眠りながら歩いているようなエアルフリードは、両手を小さく動かして、弓を引くような仕草を見せる。ウィルフレッドは何か思い当たったように、大きくうなずいた。 「ああ。弦でも張り直していたのか? そういえば、ちょっと調子悪そうだったもんな」 「ん〜……」 眠った顔のまま「こくこく」と頷きながら、エアルフリードは洗面所がある廊下へと歩いていく。口の端からは涎なんかも垂らして。 「あれじゃあ美人が台無しだな」 「ていうか……」 ウィルフレッドが苦笑してそう呟いたとき、それまで沈黙していたアリシアリスが、テーブルに乗せた二つのこぶしをぷるぷると振るわせながら顔を上げた。 「なんであんたたちがここにいるのよーっ!」 いつの間にか自分と同じ宿に泊まっていた他の三人に、ハムエッグを前にしたアリシアリスの抗議の声はあまり届いていなかった。 (だいたい、あんなことがあった後なのに、この男は……っ!) 右手のフォークと左手のナイフに感情を乗せるかのように動かしながら、ちらりと向かい合わせに座るウィルフレッドを見る。 彼は「神官だからな。一応」とかいう理由で、フロウティアと同じサラダセットを朝食にしている。フロウティアの方は、朝はあまり食べられないとか言っていたが。 二人の前に並んでいる物は、食器も中身もほぼ同じ。それが何だか気に入らない気がする。 きこきことナイフを動かすその音に、ウィルフレッドの方がアリシアリスの視線に気が付いた。 「どうした? アリスもサラダ、欲しい?」 「ち、違うわよ! あたしはハムエッグが好きなのよ!」 「俺も実は好きなんだ、それ。ちょっと貰ってもいいか?」 「あんた、肉とか食べないって言ったじゃない! 葉っぱでも食べてなさいよ!」 「いやいや。こっち」 笑いながらそう言って、自分のフォークに刺したレタスに、ハムエッグの上に掛けられているソースをちょいっと付けた。 「あっ……!?」 「この店のこのソース、美味いんだよな」 レタスに合うのかどうか解らないが、ウィルフレッドは嬉しそうにそれを口に入れる。 自分が口を付けた物を平気でそうされたアリシアリスの方は、妙にドキドキしてしまう。 「なぁに赤くなってんの?」 ひょいっとエアルフリードの顔が視界に飛び込んできた。どうやら無事に顔を洗えて、眠気も飛んだようだ。 「べ、別に……」 「んん?」 決まり悪そうに顔を背けるアリシアリスを見ながら、空いている席に腰を下ろす。そして何かに思い当たった。 「はは〜ん……さては、キスされたこと、思い出してたんでしょ?」 「!?」 にやりと意地悪っぽく口元を緩ませるエアルフリードに、アリシアリスは顔から火が出るかと思うほどに体温が上がる。 思わず振り向いてしまった彼女の丸い頬を、エアルフリードの指がつついてきた。 「ほれほれ〜。図星だな〜?」 「ち、ち、違うわよ! そ、そんな……キス……とか……」 言いながら、ちらりと前を見たのが失敗だった。ウィルフレッドの優しく微笑む瞳と目が合ってしまったから。 「そんな風に意識されると、もっと悪戯したくなってくるな」 「っ!?……あ、あんた! さらっとすごいこと言わないでよ!」 たちまち目を釣り上げて、怒るようにそう言うアリシアリスに、ウィルフレッドは軽く肩をすくめてみせた。 「そんなすごいことでもないさ。キスなんて、挨拶代わりだよ。──な?」 同族のエアルフリードに視線を向け、同意を求める。話を振られた彼女は、少しだけ考えるように視線を宙に浮かせた。 「そうねー。エルフ族じゃ、わりと当たり前かも。うちの両親とかも、よくやってたし」 「そうなんですか?」 フロウティアも会話に加わってくる。小首を傾げる彼女と同様に、アリシアリスも早鐘のように鳴る胸を押さえながら、意外そうにエアルフリードを見やった。 エアルフリードは何のことはないといった風に、こくりとうなずく。 「うん。私も親戚の子とか、久しぶりに会ったらやるよ」 「だろ? だから、ほら──」 我が意を得たりとばかりに微笑み、ウィルフレッドが椅子から立ち上がり、アリシアリスに向かって身を乗り出す。 「おはようのキスを、ひとつ」 「え? え?」 「ほら。挨拶代わり、挨拶代わり」 真っ赤な顔で戸惑うアリシアリスを急かすように、ウィルフレッドはにこにこと笑いながら顔を突き出してくる。 しかし、 「もちろん、ほっぺとかにだけどね」 付け加えたエアルフリードのひと言に、アリシアリスはフォークに刺していたハムエッグのハムを、ウィルフレッドの口にぶつけてやった。 「こっ……のっ……エロ神官ーっ!」 怒鳴る勢いに任せて、コップの水も浴びせかける。 水も滴るいい男になってしまったウィルフレッドは、自嘲気味に引きつった笑顔を浮かべながら、とすんと椅子に座り直した。 「最低だわ!」 詰まったようなその声に顔を上げる。 ふるふると怒りに震えるアリシアリスが、少しだけ涙を浮かべているのを見て、ウィルフレッドの顔から笑みが消えた。 「……ごめん。調子に乗りすぎた」 その彼の表情が、予想外に沈んだものだったから、アリシアリスの方も驚いてしまう。それはまるで、今の自分の気持ちを映しているかのように、とても悲しげだったから。 「頭、冷やしてくるよ」 そう言って立ち上がり、顔に付いたソースと水を払うようにしたその右手に、廃墟で巻いてあげた包帯を見つけて、アリシアリスはなぜか胸が少し痛いような気がした。 「まー。ちょっといい薬だったんじゃない?」 最初に煽ったのは自分だということを忘れたかのように、並んで歩くエアルフリードがそう言う。 「ですけど、一応、他の人も見ている場所でしたし……」 反対側に並んでいるフロウティアは、気の毒そうに眉根を下げている。 二人に挟まれているアリシアリスは、苦虫を噛みつぶしたような顔をして、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。 グルーディオ城の村のほぼ中央。東西南北から大きな街路が交差するこの場所は、俗に広場と呼ばれている。実際には巨大な交差点といった風情だが、ここで店を広げる露天商も少なくない。 またこの辺りには様々な店が軒を並べており、そこを訪れる買い物客も手伝って、村の中では最も賑やかな場所となっている。 そんな場所を、三人はそれぞれに視線を飛ばしながら歩いていく。 両手を頭の後ろに回したエアルフリードが、小さくため息を吐いた。 「ね〜。どこに行くの?」 知らずに歩いていたらしい。 問われたアリシアリスは、怒ったように目を三角形にしてエアルフリードを見上げた。 「別に付いてこなくていいのよ。あたしは頼んでないんだから」 「どーせウィルフレッドを探してるんでしょ? どこにいんの?」 ずばりと言い当てられて、アリシアリスの頬に朱が差す。 「ち、違うわよ! あ、あたしは……」 「ああ、そうだったんですかぁ。そう言ってくだされば、きちんと探しましたのに」 否定しようとした彼女の言葉を遮って、フロウティアが嬉しそうに微笑みと共にぱむっと両手を合わせる。 アリシアリスは、今度はフロウティアに振り向いて否定しようとするが、その前に彼女が言葉を継いだ。 「仲直りできるといいですね」 にこりと、まるで子供をあやす母親のような微笑みを向けられ、アリシアリスは抗議のタイミングを失う。 代わりに、ふいっと顔を背けてうつむき、ふて腐れたように呟いた。 「別に……あたしはただ、まだお礼を言ってないと思っただけよ」 その呟きにフロウティアはきょとんとして小首を傾げ、エアルフリードは長い耳をぴくりと動かした。 「なぁに、それ。あんた素直じゃないわねー」 そして、まるで首を絞めるようにがしりと腕を回す。 「結局は好きなんでしょ? あの人のこと」 「なっ──!?」 「ほら、赤くなった」 「違うわよ!」 叫ぶように言うと同時に、エアルフリードの腕をふりほどく。 「は、廃墟で助けてもらったしっ。ふ、不本意だけど、あ……あたしのせいで怪我までさせちゃったからっ……だから、そのっ……そーゆーのじゃないわよッ!」 言われたとおり真っ赤に染まった顔を、焦りと困惑と羞恥心でぐにゃぐにゃにしながら、アリシアリスは二人に向かって必死にそう言い訳をする。しかし、聞いている二人の方は笑ったままだ。 「ほ、ほんとに違うんだからねっ!」 さらに強くそう言ったとき、彼女がいつも腰に提げているポーチが内側から光を発し、続いてそこから勝手に何かが飛び出した。 「──え?」 「あら?」 目を丸くするエアルフリードとフロウティアの前で、その飛び出した何かはアリシアリスの後ろに降り立ち、くるりと振り返る。 「コロっ!?」 アリシアリスが慌てて振り向いた時には、小さなウルフは駆け出していた。 「ちょっと! なんであの子を喚ぶわけ!?」 「勝手に出てきちゃったのよ! 昨夜も部屋の中で出てきて、一緒に寝たがって……」 「そんなことより、今は追い掛けませんとっ。見失ってしまいますよ!」 フロウティアに言われて見てみれば、コロの小さな姿は、すでに行き交う人混みの中。 「コロ、待ちなさい!」 手を伸ばすようにして、慌てて追い掛け始めたアリシアリスに続き、エアルフリードとフロウティアも駆け出す。 小さなコロは、大きな人々の足の間を、軽快なフットワークで器用にすり抜けていく。 何人かの通行人が小さなウルフの出現に驚き、立ち止まったり声を上げたりする。それが連鎖して、いつしかコロの進行方向の人混みが割れていった。 その様子を見て、エアルフリードが小さく笑う。 「もしかして、ウィルフレッドを見つけたのかもね。ほら、懐いてたし」 「えっ!?」 目を丸くして振り向いたアリシアリスに、エアルフリードは片目をつむってみせた。 「あの子、キューピットになるのかも」 そんなおとぎ話みたいなことがあるのかと、アリシアリスは前を駆けていくコロに視線を戻しながら考える。 しかし、もしそうだとしたら、素直になれずに否定していた自分に業を煮やして、助けようと勝手に出てきたのだろうか。 けれど自分自身でも、まだよく解っていないのだ。ウィルフレッドに対するこの気持ちが、何なのかを。 (だって……) 全力で走るコロを追い掛けるため、息が上がっていく。 それでも、今は止まれなかった。止まりたくはなかった。 (あたしはまだ、恋をしたことがないものっ) その答えを教えてくれる気がしたから。 「──あっ! ほら、あれ!」 エアルフリードが声を上げて、前方を指差す。コロが進むその先に、もう見慣れてしまったプラチナ色の髪と、不敵とも思えるほど余裕に満ちた笑顔を見つけた。 「あれは、神殿ですね」 彼が立っている場所、コロが向かう先にあるその建物を見上げ、フロウティアが言う。 なるほど。神官の彼がいるには相応しい場所だ。最初に思いつかなかったことに、少しだけ後悔する。 ウィルフレッドはその神殿の入り口にある大きな柱に、背を預けるようにして立っていた。こちらからは、その横顔だけが見える。 コロが神殿前の階段で立ち止まった。そしてようやく主人を待つように、くるりと振り返る。 「やっぱり、キューピット役だったわね」 エアルフリードが楽しげに笑い、フロウティアもアリシアリスに微笑みかけた。 「そ、そんなの……」 ただの偶然かもしれない──胸の中の驚きと嬉しさを隠しながら、コロに追いついたアリシアリスがそう言い掛ける。 しかしそれは、階段の上から聞こえてきた声に遮られてしまった。 「それじゃあ、ウィルフさんは本殿にお仕えしてる人なんですかー?」 「まあ、そういうことになるかな。今回は任務でね。こっちに来てるんだ」 聞こえてきたのは、はしゃぐような女の子の声。 アリシアリスは顔を上げてみる。 「任務? わざわざグルーディオまで、大変ですねー?」 「そうでもないさ。きみみたいな、可愛い子に会えたし」 ──っ! その時の彼が、あるいは笑顔でなかったら、彼女もこんな気持ちにはならなかったかもしれない。 「アリス……?」 不思議そうに掛けられたエアルフリードの声に、びくりと体を震わせる。 そして彼女は、無言でコロを抱え上げると、そのままくるりと神殿に背を向けた。 「帰るわよ」 「え? ちょ、ちょっと……」 彼女と階段の上のウィルフレッドを見比べながら、エアルフリードは慌てたように追い掛ける。 フロウティアは、沈んだ顔色でその階段の上を見つめながら、同じく後に続いた。 少しずつ足を速めながら彼から遠ざかるアリシアリスの腕の中で、コロがその小さな前脚をてちっと主人の頬に当てる。 (あのバカっ……!) 彼女は少しだけ、自分の気持ちが分かったような気がした。 →第8話へ |
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