それは、無垢で孤独な魂と、光と自信に満ちた心の、小さな出会いの物語──。

「たしかに……写本であっても、中身は本物ですね」
 惜しげもなく肌を露出し、いっそ淫らとも言える姿をしたダークエルフの巫女が、両手で受け取った書物を見ながら妖艶な笑みを浮かべる。
「約束通り、この『スターダスト』を渡しましょう。持っていきなさい」
 そして、腕に掛けたストールの中から小さな布袋をつまみ出し、差し出してきた。
 それを手の平に乗せながら、光の種族であるエルフの若者、アレクシスは、ちょいっと首を捻る。
「おいおい。約束はもう一つあるだろ?」
「何のことです……?」
 それまで彼を見下すように接していたダークエルフの巫女は、思わぬ言葉にきょとんと目を丸くした。
 アレクシスは笑みを浮かべて片目をつむり、ついっと彼女の頬に自らの左手を添える。
「一晩くらいは、付き合ってくれるんじゃなかったのか?」
「──!?」
 息が掛かるほどに近付けられた彼の端正で優美な微笑みに、彼女は息を呑むようにして驚きながら、その褐色の肌を朱に染めた。そして、
「とっとと帰れ! しれ者がッ!」
 勢いよく跳ね上げた右膝で、彼の股間を蹴り上げるのだった。

 ここは、ダークエルフ族が住まう土地。エルフ族が住む地域と接していながら、全く趣の異なるその景観から、エルフ族の森に対して『闇の森』などとも呼ばれている土地だ。
 広大なこの森の中で、西南に位置する『成人式の祭壇』と呼ばれるその場所を、エルフ族の若者であり、彼らの森を旅立ってすでに五年という月日を経ているにもかかわらず、いまだに訓練生扱いの冒険者であるアレクシスが、よろよろと歩きながら後にしていた。
「何もあんなに怒らなくても……そりゃ、そんな約束してなかったけど……」
 蹴り上げられた股の間を気にしながら、何とも情けない格好で歩く彼に、冒険者ギルドのインストラクターが付けてくれたキュービックが、呆れたように瞬きながら治癒の光を浴びせてくれる。
 召還獣ほどではないものの、多少の自我と、自立行動を行える程度の知能を持つ精霊であるから、あるいは感情も持ち合わせているのかもしれない。
 そんな光のキュービックに、アレクシスは引きつったような笑顔を向ける。
「まさかこんなことに力を使うなんて、おまえも思わなかっただろうな」
「まったくだ」と言わんばかりに、キュービックは激しく明滅を繰り返した。
 無名の精霊にまでバカにされたようで、ちょっと落ち込むアレクシスである。
「……けど。この旅が終われば、こんなこともなくなるっ」
 落ち込んでいた顔を一瞬で嬉しげな笑顔に切り替えて、木々の間を走る街道の先を見つめた。その気分が変わる早さは、彼の従姉であるエアルフリードとよく似ている。
 そして彼は今、そのエルフリードの言葉を思い出していた。
 それは、ほんの数日前のこと──

「あんた、今日から一週間以内に『転職』しなさい。できなければ、クビよ」
 いきなりギランの宿に呼び出され、エアルフリードからそう告げられたのである。
 目を丸くして身を乗り出す彼に、彼女の隣に座るフロウティアが苦笑するような笑みを向けた。
「盟主からも言われているのよ。『アレクシスはいつまで遊ぶつもりだ』って。あなたもライやポエットちゃんのように、ちゃんと巣立ってほしいの」
「そ、そうですか……い、いや! 遊んでたわけじゃないんですよ!?」
 自分の後見役を引き受けてくれているフロウティアに対しては、いつもの生意気な口調もなりを潜めるのがアレクシスだ。
 それは彼が、フロウティアに特別な感情を抱いているからでもある。
「人生勉強というか、社会見学というかですね……」
「手当たり次第にナンパするのが、あんたの勉強になってるとは思えないけど? 成功してるならまだしも」
 両腕を組んだエアルフリードがジト目でそう突っ込んできた。思わず、年上であり、従姉でもあり、冒険者としての先輩でもある彼女を、きっと睨み付ける。
「従姉貴に言われたくねぇな、それわっ。成功率なら、俺の方が上だ! それに、失敗から学ぶことの方が多いって言うぜ!」
「……口だけは達者になって。じゃあ、散々学んできたんでしょぉから。一週間で『転職』するくらい、ワケないわよねぇ?」
「ぅぐっ……」
 痛いところを突かれ、アレクシスは途端に冷や汗を浮かべて口ごもる。やはり口ではエアルフリードに勝てる者はいない。
 エアルフリードとフロウティアは同時にため息を吐いた。
「私はさ。あんたの実力、ちゃんと評価してるわよ。一週間ってのも、無茶じゃないと思ってる。要はあんたのやる気次第。今が居心地がいいからって、甘えてるだけでしょおが」
「エアルの言うとおりよ。あなたの力はみんなが認めている。だからこそ、さらに上のステップへ進んでほしいの。小さな世界で満足しないで、アレクシス」
 二人の言葉に、アレクシスは歪んでいた顔をぽかんと惚けさせた。まるで全てを見通しているかのように、自分の心底を衝かれたからだ。
(なんで、わかっちまうんだ?)
 アレクシスがいつまでもアカデミーを卒業しようとしなかったのは、何も面倒くさがっていたからだけではない。
 彼は冒険者のエルフとしては、やや保守的な思想を持つ。現状に特に不満がなければ、それ以上のことを望まない。上へと進めばさらに楽しいことがあるかもしれないが、今でも十分に楽しいのだから、それでいいと思える気質なのだ。
 満足してしまっているのだから、無論、飽きたり退屈したりということもない。あるがままで楽しみを見つけることができるのだから、その意味では天才的な才能ともいえるだろう。
 そしてそれは、エルフの森にとどまり続ける同族たちの思想に似ている。
「あんたがさ。うちの血盟に入って冒険者になった理由って、憶えてる?」
 エアルフリードの言葉に、アレクシスは思わずそのサファイアのような瞳をフロウティアへ向けた。優しく微笑みかけてくる彼女の笑顔にかぶせるように、エアルフリードが大きくうなずく。
「そっ。フロウティアがいたからでしょ」
「ああ……」
 わずかに頬を紅潮させながらゆっくりとうなずくアレクシスの脳裏に、数年前の情景が蘇る。
 エアルフリードと共にエルフの森を訪れたフロウティアに、彼は一目で心を奪われた。
 それまでは外の世界になどは興味もなく、冒険者になることなど考えもしなかった彼が、その日のうちに荷物をまとめ、従姉であるエアルフリードに同行を申し出るほどに。
 まさに一瞬で恋に落ちていた。
「俺は、あなたのそばにいたくて、ここにきたんだ……」
 瞳を潤ませ、真摯な声で彼女へと手を差し伸べる。にこりと笑った彼女の頬に、その手が触れるかというその時、
 ──ごべしっ!
「親友の前で口説くなっ」
 エアルフリードの拳によって、床に貼り付けられた。
 殴られた脳天から薄く煙なんかを出しながら倒れ伏すアレクシスに、フロウティアは小さく苦笑を浮かべて、その視線をちらりと探るようにエアルフリードへ向ける。
 不機嫌そうに眉を釣り上げていたエルフの親友は、すぐにその意味に気が付いたように、彼女と合わせた瞳を冷たいものへと変えた。そして何事もなかったかのように、アレクシスへと視線を戻す。
「私が言いたいのわっ。──そんなフロウティアに恥を掻かせるなってことよ」
「は、恥……?」
 頭を押さえながら顔を上げ、アレクシスが聞き返す。
 腕組みをして見下ろしてくる従姉の隣で、憧れのフロウティアが口元に手を当てる仕草で笑っていた。
「私は別に構わないのだけど……エアルと盟主が、ね?」
「あんたより後に入ったポエットちゃんもライも、とっくに卒業してんのよ!? 後見人のフロウティアに、申し訳ないとか思いなさいっ!」
「あ……」
 そういうことか──。と、心の中で大きくうなずく。
 つまり自分のアカデミー卒業が遅ければ遅いだけ、後見人であるフロウティアの評価が下がるわけだ。「あの後見人は何をしているのだ」と。
 血盟内ではともかく、血盟外の者の目には、そう映ってしまうだろう。
「そりゃ、一大事だなっ!」
 途端に真剣そのものといった顔付きになったアレクシスが、両手を床につき、勢いよく立ち上がった。
 フロウティアは苦笑するように微笑み、エアルフリードはようやく事の重大さに気が付いたかと言わんばかりに、胸を反らせて見下ろす。
 やたらと気合いの入った顔をしたアレクシスは、そんな二人に向けてびしりと敬礼をして見せた。
「不肖、このアレクシス。フロウティアさんの名誉を回復させるため、只今直ちに出立いたしますッ!」
 先ほどまでの態度が嘘のような豹変ぶりであるが、これこそが彼をして冒険者たらしめているともいえる。
 ──そう。アレクシスは「女性が絡むと積極的になる」という一点において、森の同族たちとは一線を画しているのだから。

「俺はやりますよ、フロウティアさん……」
 ここにはいない憧れの女性を想い、拳を固めて虚空に宣言する。
「必ず《プレインズウォーカー》の称号を手に、あなたの下へ──!」
 そしてその後には、お約束の展開が待っているに違いないと、心にその光景を浮かべる。

「お帰りなさい、アレク。よく頑張ったわね」
「この称号は、全て貴女のために……」
「え? それは……」
 がばちょっ!
「俺の全ては、貴女のためにある。これからは、俺が貴女を守っていきます」
「アレク……」
「だから、俺の恋人になってくれますか? フロウティアさん……いや、フロウティア」
「……はい」
 そして二人の唇が熱く重なり……

「燃えてきたぁーっ!」
 ものすごく自分に都合の良い展開を描き、アレクシスは拳を突き上げる。
「一瞬でも早く戻るぜ! そしてフロウティアさんと、あんなことやこんなことを……ことおぉおおおおおおっ!」
 こんなことでやる気を出せるのだから、周囲の彼への評価が「軽い奴」となってしまっているのも、あながち間違いではないだろう。
「よし。さっそくこの『帰還スクロール』で……」
 一人で盛り上がり、聴く者もいない寂れた街道で声を上げる彼だったが、不意に──
 ちょいちょい。
 ──と、服の裾を引っ張られる感覚に気が付いた。
「なんだ?」
 それは革鎧を纏っている上着ではなく、厚手のズボンを引っ張られた感覚だったから、彼は視線を下に向ける。
「……」
 そしてそこに、その子はいた。
「……」
 アレクシスの半分ほどの身長しかない、幼い子供。その子供を見つめ、アレクシスはきょとんとする。
「……」
 まるで新雪のように、陽の光に真っ白に輝く長い髪。
「……えーと……」
 真紅のルビーと鮮やかなアメジストを重ねたような、深い赤紫色の瞳。
「……」
 髪の隙間から覗く小さな耳は、空に向かうほどに長く、尖っており。
「もしかして……迷子か?」
 幼い丸みを帯びていてもなお、均整の取れた顔立ちは、間違いなく同族のもの。
「……」
「まいったな……」
 しかしその身を包む肌は、彼女の髪とは対照的に、闇の色に染め上げられていた。
「ダークエルフの子供かよ……」
 大きくため息を吐くアレクシス。それを見上げる少女。
 再び彼女の指が、ズボンをくいっと引っ張る。
 その瞳はどこか虚ろで、幼子が持つ好奇心や無邪気さとは無縁な、静かにたゆたう、底の深い水面のように思えた。
「……かわいげのないガキだなぁ」
 何となく後輩のカノンと比べてしまい、思わずそんな言葉が口を衝いて出る。
 しかし少女は、いかなる感情を見せることもなかった。ただじっと見つめてくるだけ。
 アレクシスは再びため息を吐き、何気なく少女の白銀の髪に包まれた小さな頭に、ぽんっと手を置く。
「仕方ねえか。とりあえず、ダークエルフたちの村まで連れて行って……」
 村がある方角に振り向いて呟く彼を、少女は瞳と口を丸く開いて見つめる。
 彼女が初めて変化させた表情に、アレクシスも意外そうな顔を向けた。
「──お? なんだ? 俺様の優しさに驚いたか? 惚れるんだったら、あと百年は待ってくれよ」
 そしていつもの彼らしい台詞と共に、快活な笑みを浮かべる。
 少女はその驚いた表情のまま、片手で掴んでいた彼のズボンを両手でぎゅっと握った。
 そして……
「──え?」
 アレクシスの片足に、がしりとしがみつくのだった。

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