「どうしたもんかなぁ……」
 傾斜のある草地の上に座り込み、立てた膝で頬杖を付いたアレクシスが、溜息混じりに呟く。もう一方の手に掴んだ、胸に飾るようなバッジを見つめながら。
 シィをギランの仲間たちに預けて数日。
 どうにか課せられた任務を果たし、審査に合格したその『証』を手に入れたものの、いまだこの猟師の村から出る気には──というより、ギランに戻る気にはなれなかった。
「華麗に『転職』を果たしてフロウティアに告白する。そして付き合う」という目論見だったのだが、いざその時を迎えると、なかなか踏み切れなくなったのだ。
「まだ本人に会ってもないのに、緊張しちまうとは……俺って案外、かわいいとこあるんだな」
 都市部とは違い、大自然の中にそのまま家屋や建物を置いたようなこの村は、エルフ族である彼にとって居心地が良い場所でもある。しかしだからといって、このまま渓谷を吹き抜ける風に身を任せるように過ごしていても、仕方がないのも確かだ。気に入った木陰の草地を見つけ、空と雲と太陽を眺めながら過ごすのも、すでに二日が過ぎていた。
 それでも戻る気になれないのは、何度シミュレーションをしてみても、フロウティアの前でうまく喋る自信がないからである。
「そういう格好悪いのは、俺のキャラじゃないし……どうしたもんかね」
 再び溜息を混ぜながらそう呟いたとき、ひどく近くで草を踏む音が聞こえた。
 何気なく視線を向けた瞬間、アレクシスは憂鬱そうだった目を丸く見開き、手のひらに乗せていた頬を大きくずらし落とす。
「あれく」
「ほら。やっぱりまだここにいた」
 そこに、見慣れた従姉に肩車をしてもらっている、小さなシィの姿があったからである。
「良かったわね。ちゃんと生きてるわよ」
 そして何やら物騒なことを言いながら後ろに続く、シーレンの巫女の姿も。
「あんた、ここで何してんのよ」
 肩にシィを乗せたままのエアルフリードが、目の前に立って見下ろしてきたときも、アレクシスはまだ惚けたような顔で固まったままであった。

「いきなりすぎ……ていうか、よく解ったな」
 組んだ膝の上にシィを座らせたアレクシスは、何かを疑うような視線を隣のエアルフリードに向ける。
 村を南北に分ける断崖から吹き上がってくる風に髪を靡かせ、気持ちよさそうにそれを受け止めていたエアルフリードが、片目だけを開いて従弟に向けた。
「帰ってくるのが遅いからでしょーが。私の予想じゃ、あと二日は早く終わってるはずよ」
「予言者かよ……。まあ、その通りだけど」
「それに、シィもうるさかったしね」
 そう言って、大人しくアレクシスの膝に座っている少女の額を、ぴんっとつつく。
 少女は顔を上げて、振り仰ぐようにアレクシスを見つめた。
「あれくがまものとたたかうなら、しぃはいっしょがいい」
「おまえ、よっぽどごねたんだなぁ……従弟貴が折れるくらいだから」
 絹のように柔らかい白髪を撫でながら、アレクシスは苦笑する。彼が知るかぎり、従姉に対してわがままを通せるのは、盟主のアリシアリスと弟子のカノンだけである。そのリストに、新しいちびっこが加わったわけだ。
「あねきも、すき。でもあれくがいい」
「そりゃどうも。百年後に同じ台詞が聞けたら、考えてやるよ」
「本当に懐かれてるわねえ」
 口元に手を当てる仕草で、シアンが楽しげに笑う。それは自然と妖艶さを持ち、溢れる自信を保ついつもの彼女であったが、なぜこの場にいるのかという点は、疑問に思えた。
「なんでフロウティアさんじゃなくて、シアンさんなんですか?」
 アレクシスはシィの両頬を引っ張るようにして構いながら、シアンに向けて首を傾げる。盟主に少女の面倒を見るように言われたのは、従姉とフロウティアのはずなのだ。そのもう一人がいないのは、何とも不思議である。
 シアンは含むように微笑んで目を細めた。
「フロウティアは嫌われちゃったみたいよ。だから、経験者の私が代わりに付いてるの」
「嫌われた? シィに?」
「もてる男は辛いわね」
 微笑むシアンからシィに視線を移すと、彼女は変わらずじっと蒼い瞳を向けていた。相変わらず無感情なその瞳からは、何を考えているのか読み取ることができず、アレクシスはただ、シアンの言葉に苦笑を浮かべる。
「なんだ。やきもちか、おまえ〜」
「ふろーてぃあ、きらい。あれくがすきだから、きらい」
 わしゃわしゃと髪をかき混ぜられながら淡々とそう言うシィに、思わず吹き出してしまうアレクシス。
「なかなかマセたことを言うじゃないか。──シアンさん。ダークエルフって、やっぱ早熟なん?」
「やっぱ、てどーゆー意味かしらねぇ……。ま、あなたたちよりは、開放的だけど?」
 シィとは違い、まさにシルクのような光沢を放つ銀色の髪を風に煽られながら、シアンはどこか挑発的な笑みを浮かべて切り返す。アレクシスでも思わず胸が高鳴るようなその仕草は、並の男性ならたちまち虜にしてしまうのだろう。
 微かに頬を染めて顔を引きつらせるアレクシスを、頬杖を付いたエアルフリードが横目で見つめていた。
「……あんたさ」
 なぜか険を含むような低い声に、アレクシスとシィが揃って振り返る。
「本気でフロウティアに告白するつもり?」
「うぐっ!?」
 あまりに直線的なその問い掛けに、アレクシスはたじろぐように身を反らせた。シィの小さな眉もぴくりと跳ねる。
 たしかにそのことを躊躇っていたから、ギランに戻ることなく、この村に留まっていたのだが、従姉が言わんとしていることは、彼の危惧とは全く違うものであった。
 冷めた瞳をアレクシスに向けるエアルフリードは、一瞬、躊躇うように唇を開き、そして短く言葉を発した。
「やめときなさい。無駄だから」
 それは、過去から始まる出会いの物語──。

 彼にとってそれは、色々な意味で意外な言葉である。
 まず、自分が振られるということが意外だ。顔にも性格にも、そして実力にも自信がある。彼女に見合う男であるという自負は、十分だ。
 そして、まだ行動もしていないのに諦めるようなことを、あの従姉から言われたことが意外である。彼女は努力も挑戦もしない者を、決して認めはしない。結果がどうであれ、そこに至る過程だけはきちんと評価する。それなのに今は、その過程すら止めるのだ。
 慌てるようにアレクシスは身を乗り出して、エアルフリードを問いつめようとした。
「無駄って、そりゃどういう……」
「フロウティアって、好きな人がいるんでしょう?」
 それを遮ったのは、相変わらずの微笑を浮かべているシアンだ。
 まさに寝耳に水な発言に、目を大きく見開き、顔を硬直させたアレクシスが振り向く。膝の上のシィも長い耳をぴくりと動かして、無表情な幼い顔を向けた。
「そういう感じ、あるものね」
「まじっすかっ!? いや、俺、全っ然っ、気付かなかったですよ!?」
「そうねえ。気付いてるコは、少ないんじゃないかしら? 自分でもそれを忘れようと……いいえ、違うわね。無かったことにして、隠しているようだから」
 少しだけ考えるように視線を宙に浮かせ、細い顎に人差し指をあてたシアンは、そう言ってからエアルフリードに意味ありげな視線と笑みを向ける。
「ね、そうでしょう?」
「……まぁね」
 不機嫌そうに素っ気なく答えたエアルフリードに、アレクシスは愕然とした顔をする。
 フロウティアの親友である彼女がうなずいたのだから、間違いのないことなのだろう。その事実にも、今まで気が付かなかったことにも、アレクシスは驚いているのだ。
 しかし、
「……い、いやっ。でもそれならそれで、俺が振り向かせてみせりゃいいんだろ?」
 いつものエアルフリードなら、そういう考え方を支持するはずである。だからそう言って反応を窺ってみたのだが、返ってきたのは冷たい視線であった。
「だから、それが無駄だって言ってんの。あんた、あいつの頑固さ知らないでしょ」
「ちょ……従姉貴らしくねえぞ! 応援してくれとは言わないけど、いつもならハッパくらいかけてくるだろう!?」
「あんたがどうにかするくらいで振り向くなら、あいつもとっくの昔に諦めてるわよ。今までどれだけの男が言い寄ってきたと思ってんの? それでも靡いてないってことは、そーゆーことでしょおがっ」
「従姉貴も知ってる奴なのか!? フロウティアさんが好きな奴って!」
 詰め寄るように身を乗り出してくる従弟に、エアルフリードは眉根を寄せた不機嫌な顔を背けながら、ぽつりと答えた。
「……あんたも知ってる奴よ」
「俺も……?」
 一瞬にして色々な知り合いの顔が浮かぶ。
 首を捻ったそのアレクシスの手を、唐突にシィの小さな手がぺちりと叩くようにした。
「あれく。まもの」
 その言葉と少女の行動にきょとんと目を丸くしたとき、両脇に座る先輩冒険者の二人が素早い動きで立ち上がる。
「なに、この気配……?」
「随分と物騒なものが出てきたようね」
 緊張と余裕。対照的な表情を浮かべる二人の言葉に、アレクシスもようやくこの渓谷に流れ始めた不穏な空気を感じ取った。
「いや……おい、待てよ! この感じって……!?」
 シィを両腕に抱いて立ち上がった彼に、振り向いた二人の先輩は同時にうなずいた。
「そうね。これは……」
『敵襲ーっ!』
 そして村の中からも声が上がり、緊急事態を告げる鐘が激しく打ち鳴らされる。
 たちまち騒がしくなる村の空気に混ざり、死の女神の名を冠する神官は妖艶な微笑を浮かべた。
「悪魔、かしらね」
 唖然とするアレクシスの腕の中で、抱きかかえられた少女の瞳が赤い光を放ち始めていた。

「……いない?」
 テーブルを挟んで向かい合うダークエルフの言葉に、アリシアリスは眉をひそめて首を傾げる。
「ええ。そのような娘を持つ両親の存在は、確認できませんでした」
 冒険者ギルドに出向しているそのダークエルフの青年は、分厚い書類の束に目を落としながら、いたって事務的な口調で答えた。
「無論、その娘の存在も確認できておりません」
「あなたたちの把握していない同族がいるんじゃないかしら?」
 ヒューマンやオークほどではないものの、ダークエルフ族も大陸の各地に分散している。その全てを把握できるほど、彼らのネットワークが広いとは思っていないアリシアリスである。
 しかし対応するダークエルフの青年は、気分を害したように鋭い視線を向けてきた。
「たしかに所在が解らない者たちもいます。ですが幼い娘が一人で旅をするとも考えられず、発見された場所を中心に推測すれば、我らの故郷とその周辺地域に、所在が確認できるのでないでしょうか」
「……それはそうね。悪かったわ」
 相手の見下してくるような視線にはいささか腹が立つものの、ここは大人しく同意しておくことにする。調査を頼んだのは自分たちなのだし、この青年を相手に言い争っても得るものがないからだ。
「でも、だとすると、あの子はいったい何なのかしらね……」
 椅子の背もたれに体を預けるようにして腕組みをしたアリシアリスは、ついでに自分の後ろに立つセリオンとメリスを振り仰ぐ。問い掛けられたと思った二人は、顔を見合わせてから、同時に首を横に振った。
 ため息を吐くようにして視線を前へと戻した彼女に、テーブルの上で両手の指を絡ませたダークエルフの青年が、澄ました顔を向けてくる。
「どちらにしろ、その娘は我らで保護をさせていただきましょう。同族でありますし、冒険者であるあなた方の負担になるのも、申し訳がない」
「本人が嫌がっているわ。生憎と、うちの子にすごく懐いちゃっているのよね」
「聞いております。──が、すでにそのための要員を向かわせております」
「なんですって?」
 聞き返したアリシアリスの表情に、険しさが宿る。ダークエルフのこの手の言葉に、危険な匂いを感じるのは、彼女だけではないだろう。
 控えていたセリオンが思わず一歩、前に出た。
「どういう意味だ? まさかおまえたち、アサシンを送り込んだのでないだろうな?」
「エルフ族らしい偏見ではありますが、いささか失礼でしょう。ご心配なく。真っ当な人選ですよ」
 睨み付けるように答えた青年は、まるで相手をするのも無駄だと言わんばかりに、すぐにセリオンから視線を外し、アリシアリスと向かい合う。そしてやや皮肉めいた笑みを浮かべて、こう言った。
「姫君を守るのは、騎士の役目と決まっているでしょう」
 その言葉に、アリシアリスたちが同時に仲間のユーウェインの顔を思い浮かべたことは、彼の知るところではなかった。
(……似合わないわね)
(難しいだろうなぁ……)
(ポエットちゃんならいいんだけど……)
 それぞれに勝手なことを考えながら複雑な表情を見せる三人だったが、事態は彼女たちが想像しているよりも、さらに複雑な様相を見せ始めていた──。

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