カマエル族が世界に解き放たれた時、彼女たちはまだ訓練生の一人でしかなかった。 「随分、減った気がするわね」 敷地の中を見回し、テスタは誰にともなく呟く。そこは若いカマエルが戦士として旅立つ前に、基礎的な訓練を受ける場所に使われている施設の一角だ。 ほんの数日前までは、ここに多くの者がいた。来るべき『封印解除』に備えて。 今はその時の半分ほどもいないだろうか。 「てっちゃん!」 もう一度、敷地を見回したとき、背中から声を掛けられた。飛び跳ねるように元気が良く、ずっと昔から聞き慣れている声が。 驚き、慌てて振り返る。 自分よりも頭一つと半分ほど背の低い、見慣れた同族の少女。 「カノンっ!?」 「うゆっ!」 目を丸くするテスタの前で、少女はしたっと手を上げる。嬉しそうに笑いながら。 「ど、どうして……」 「かのんも呼ばれちゃった。ぼーけんしゃ?になるの!」 少女は小さくぴょこぴょこと跳ねながら、そのことを誇らしげに語る。 「かのんも強くなるね! てっちゃんみたいにっ!」 その姿を見つめるテスタは、微笑を浮かべながらもどこか困惑していた。 「ンもぉ〜。ごねるわねン」 バズヴァナンは両手を腰に当て、怒っていることをアピールするようにしながら、椅子に腰掛けているテスタを見下ろす。 怒られているはずのテスタは、澄ました顔でテーブルからティーカップを手に取り、その縁に口を付けたりしている。 「どうしたの?」 開け放していた扉をくぐり、その部屋にマーガレットが姿を現した。片手に分厚い本を持っているところを見ると、このリビングでお茶と一緒に読書を楽しむつもりだったようだ。きょとんとした顔を二人に向けてくる。 この、マーガレットたちがアジトとして使用している屋敷では、この部屋が血盟員たちの憩いの場として利用されている。いわゆるリビングに相当する部屋なのだが、その造りは喫茶店などのそれに近い。血盟の規模から考えると、ここに全員を収容することは不可能であろうが、その役割からか、それなりの広さを持たされていた。 マーガレットの出現に、さすがのテスタも慌てて椅子から立ち上がり、居住まいを正す。 その隣で略式の礼を取るバズヴァナンを片手を上げて制しながら、マーガレットはテスタと同じテーブルに着く。 バズヴァナンはそれを待ってから、再び腰に手を当てる仕草で口を開いた。 「このコがねン。エアルちゃんとこの新人に、ミョーに突っかかってたから、謝ってきなさいって説得してたのよン」 「ああ。この間の交流会ね。たしかカマエルの女の子が入ったのよね? テスタと知り合いなの?」 本をテーブルにぱたりと置き、その上で手を組むようにしながら、マーガレットは立ったままのテスタを見上げる。 テスタは答えにくそうに、少し顔を背けながらうなずいた。 「はい。村での幼馴染み……でした」 「含みのある言い方ね?……バズヴァナンさん。相手の子は、何か言ってきたのかしら」 「いいえン。けど、かなりショック!て感じだったわねェ……」 「エアルとか、あっちの盟主も何も?」 「言ってこないわよン」 「それは何よりだわ」 ひとつうなずいて、再びテスタを見上げる。その表情に、マーガレットは息を吐いた。 「……当人同士の問題みたいだし、私は血盟の関係が悪化しなければ何も言わないわ。バズヴァナンさんも、これ以上はいいわよ」 「りょーかいよン。マイロード」 ウインクを送りながら答えて、バズヴァナンは広いリビングから続く扉もない小さな部屋へと入っていく。そこはキッチンになっており、彼はマーガレットのためのお茶を用意するために入っていったのだろう。 居心地が悪そうに……あるいは、身の置き所がなさそうに、顔を背けたまま立ち尽くすテスタに、マーガレットは真摯な瞳を向けた。 「けれどね、テスタ。『友達』は、簡単に捨てたり忘れたりできるものではないわよ」 それは、先ほどのテスタの言葉に対する、彼女の経験を踏まえた忠告である。 テスタの表情に、苦いものが混ざっていた。 「けど、すごかったよねー。あのエルフの人」 「見た目はどーってことない、普通のエルフなのにね」 「ていうか、エルフにしてはイマイチだよね」 「でも弓の腕はすごかったねー」 本人が聞いたら迷わず全力で訂正をさせるであろう会話を交わしながら、双子のカマエルが廊下を歩いている。 屋敷の規模に比例したゆったりとした幅を持つ廊下を、小柄な二人で中央を独占するかのように並んで歩く姿は、とても空間の無駄遣いのように見えてしまう。 二人の前から歩いてきていたテスタは、その声に足を止め、眉をひそめて小首を傾げた。 「あ、テスタ」 「お説教、終わった?」 双子もテスタの存在に気が付き、その目の前で足を止めて、ぴったりと息が合った仕草で片手を上げる。 テスタはその二人を交互に見つめて、浅い吐息を漏らした。 「……あのエルフを見くびっていたことは、謝らないとね」 「テスタってば強気すぎー」 「だってあの人、一応『シルバーレンジャー』なんでしょ? 勝てるわけないってー」 けらけらと笑う二人に、テスタは再び息を吐く。今度は呆れたように。 「そういう意味ではないけれど……」 「あ、そういえば。あの人がカノンの指導してるんだよね?」 「それっぽいよねー。カノンって意外と才能あるのかも?」 相手の思惑など無視して、瞬く間に話題を変えた双子だったが、テスタはそのやりとりに表情を堅くした。 「……そんなわけないでしょう」 怒りを含んだかのような、低い声。 双子は思わず顔を見合わせて、次に恐る恐るといったふうにテスタを見つめる。 テスタは苦々しい表情を浮かべ、双子の視線から逃れるように顔を背けながら続けた。 「あなたたちだって見たでしょう。あの子が怯えて、何もできない姿を。以前と同じ。血盟に入っても何も変わっていないわ。あの人に同情されているだけよ。可哀想だから構ってあげるってね」 「そ、そう……?」 「構ってる感じじゃなかったけど……?」 「そうに決まってるでしょっ!」 叩き付けるように強い口調で言い放つテスタに、双子は笑顔を引きつらせて何度もうなずいて返す。 「同情だけじゃないと思うけど」 不意にテスタの背後から聞こえたその声は、愁いを含んでいるように耳に響いた。 テスタは苛立つように振り返り、その声の主──ターナを睨み付ける。 「他に何があるというの?」 「最近のテスタは、カノンに冷たすぎるわ。あの子にだって、あの子にしかない魅力があると思うの」 そう語るターナの表情は、テスタのことをも憂いているかのようで、そのこともテスタの勘に障った。 「あなたらしい言葉ね」 鼻で笑うようにそう言われ、さすがにターナも気色ばむ。 「どういう意味よ?」 「誰にでもいい顔をする、あなたらしいと言ったのよ。ターナ」 「……っ!」 「その場その場で取り繕うのは、さすがに上手だったわね」 それは、カノンと再会したあの日のことを言っているらしい。それが解ったから、ターナは頭に血が昇ってしまう。 それは同時に、図星を突かれたということを証明しているようなものだった。 「カノンを置いていこうって言ったのは、テスタじゃない! 私は反対したのに!」 「反対した? 自分を納得させるために、ほんの数分待っただけでしょう。結局はすぐに私たちに追いついてきて、あなた、なんて言ったか憶えてる?」 射すくめるようなテスタの視線とその言葉に、ターナの顔が青ざめる。テスタは構わず続けた。 「『あの子に冒険者は向かないから、これで良かったかもしれない』と言ったのよ? あなたみたいな人を、偽善者っていうのよね」 「っ──そ、それは……っ」 「それであの子のことを心配するなんて笑わせるわ。あなたは自分が他人からどう見られるかしか、考えていないじゃない。あの子のことなんて、これっぽっちも解ってない! 上っ面だけで慰めて、あの子の傷口を広げているだけよ!」 話しているうちに感情が高ぶったのか、テスタも語気を強めていく。ターナは青い顔のままうつむいて、唇を噛み締めた。 「ちょ、ちょっとテスタぁ。言い過ぎだよぉ」 「ターナも反論しないとぉ」 二人の険悪なやりとりに、思わず双子が間に入る。普段はこんな役回りをする彼女たちではないのだが、さすがにそうも言っていられなくなったのだ。 向かい合う二人を引き離すように、双子がそれぞれの体を押して遠ざける。 その時、うつむいたままのターナが震える唇から絞り出すように呟いた。 「……その通りよ」 「え?」 きょとんとする双子に構わず、ターナは顔を上げ、涙で歪む視線をテスタに向けた。 「自分でも解ってる! 解ってるのよ、そんなこと! だけど……だから! カノンを放っておけないんじゃない!」 今にも泣き出しそうな、悲哀に満ちた表情で言葉をぶつけ、ターナはくるりと背を向けて駆け出した。これ以上、テスタに何かを言われるのが辛かったから。そのことで自分と向き合うのが怖かったからかもしれない。 ぽかんとする双子の隣で、テスタもまた、唇を噛むような苦々しい表情で、駆け去るターナの片翼を見つめる。感情が高ぶっているからだろうか。その翼は微かに輝きを放ち、その光が細い糸のように流れた。 そして、テスタの翼も、また── 「……私だって……何とかしたいのよ……」 誰とも顔を合わせたくなくて、夕暮れに染まるギランの街を歩いていた。 憔悴したような、だがどこか険しい表情を浮かべたテスタの足取りは、とても重い。 色々なことが頭の中をよぎっていく。 幼い頃の思い出。島で訓練をしていた頃のこと。ターナの言葉。カノンのこと……。 カノンに冷たくしていた自覚はある。 いや。わざと冷たくしていたのだから、それは自覚というより確信だ。 (あの子があんなことを言わなければ……) 今でも自分は、カノンに優しくしていただろうと思う。彼女はテスタにとって、誰よりも、何よりも掛け替えのない存在だったのだから。 だが同時に、本当に今のままでいいのかという思いもあるから、ターナとも衝突してしまう。彼女だってカノンを大切にしているのは知っているのに。 日暮れが近いからか、ギランの大通りも人の姿はまばらになっていた。ふと顔を上げると、故郷では見ることがなかった夕陽が目に眩しく差し込む。ギランの街を囲む山に姿を隠そうとする、その茜色の太陽に、無性に寂寥感を煽られた。 その感傷のせいだろうか。 「──うゆっ!」 カノンの声が聞こえた。 慌てて辺りを見回す。 オレンジ色の光に染まる石造りの広場の片隅に、見間違えようのない小さな片翼の少女と、彼女と向かい合うエルフの姿があった。 「どうして……」 再び、ターナと口論した時のような、暗い感情が湧き上がってくる。 微笑みかけるエルフの女性に、カノンが嬉しそうに笑っているから。それが、とても嫌だったから。 テスタはその険しい表情のまま、足早に二人の方へと近付いていく。エルフの女性──エアルフリードが、その足音に気が付いて振り向いた。 「あら。ちょーどいいところに」 「何をしているんですか?」 つっかかかるような口調のテスタを、エアルフリードは微笑で受け流す。 「カノンがね。帰るって言ってたんだけど、思い止まったところなの。良かったわね。友達が減らなくて」 最後の言葉は皮肉なのだろうか? テスタは思わずそう勘ぐってしまうが、それよりも大事なことを確認しなければならなかった。 「……まだいるつもりなの」 冷たい視線をカノンに向ける。 はらはらと二人の様子を見つめていたカノンは、びくりと体を震わせて、テスタを見上げた。そして恐る恐る、ゆっくりとうなずく。 テスタは何かをこらえるように、ぐっと奥歯に力を込めた。 「あなたがいても、役に立たないことは解ったでしょう? 足を引っ張るくらいなら、いない方がマシなのよ!」 「う……うゆ……」 テスタの言葉にカノンは思わず居竦む。だが、その小さな頭を、エアルフリードがぽんっと叩いて、乱暴に撫で回した。 「それは解らないわよ〜? カノンだって、やるときはやるかもしれないじゃない?」 「あなたは黙っていてください!」 「ていうか、それはこっちの台詞かもね。この子は今、うちの血盟にいるんだから」 不敵に微笑むエアルフリードに、テスタは苛立ったような視線を向ける。頭を撫で回されているカノンは、嫌がるように両手をパタパタさせていた。 テスタは何かを言い返したかったが、それが出てこない。エアルフリードの見せる余裕の態度が、勘に障る。 少しの間、その挑むようなテスタの視線を受け止めたあと、エアルフリードがカノンの頭から手を離し、それを広げるように肩をすくめた。 「ま、あんたが納得しないなら、勝負してみてもいいわよ」 唐突なその言葉。テスタはもちろん、カノンも驚いて目を丸くする。 「どう? 実際にカノンと戦ってみて、白黒はっきりさせてみたら?」 ウインクをしてみせながら、エアルフリードは実に軽い調子でそう提案していた。 →第11話へ |
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