「うゆゆゆ〜っ!?」
 目にも止まらぬ速さで動く両足と共に、両手と羽もせわしなく動かしながら、カノンが場内を駆け回る。
「くっ……」
 そのカノンを追い掛けるテスタの動きもまた、機敏である。無駄のないステップで常にカノンの進路を塞ぎ、その逃走経路を確実に狭めていく。
 だが、あと一歩のところで彼女が振るうレイピアはその狙いを外してしまう。狙った場所のわずかに上をかすめ、虚しく空を切るその切っ先をかいくぐって、カノンは再び自由な逃走路を選択していくのだ。
「またっ!?」
 振り返ったテスタの視線の先で、すでにカノンは反対側まで走り去っている。そのスピードは驚嘆に値するが、小さな点になった両目からちょっぴり涙を流している顔からは、余裕など微塵も感じられない。
「今度こそっ!」
「うゆ〜〜〜〜っ!」
 その『おにごっこ』は、すでに一時間近く続けられていた。

「……逃げることに関しちゃ、天才だな」
「てゆーか、無茶ですよ!」
 決闘場を仕切る柵に身をもたせかけ、呆れたように呟くアレクシスの隣で、ポエットが叫ぶような声を上げる。その顔は、アレクシスとは反対に、場内側から柵に背を預けるようにして立っているエアルフリードへと向けられていた。
 妙に明るい表情でカノンとテスタの動きを見つめていた彼女が、そのポエットの声に振り向く。
「大丈夫でしょ。今のところ、ノーダメージだし」
「カノンが勝てるわけないじゃないですか!」
「悪いが、俺もそう思う……逃げてるだけじゃ、いつか捕まるぞ」
 アレクシスを挟んだ隣にいるライも片手を挙げて、ポエットの意見に同意した。
 そんな二人に、エアルフリードは苦笑するようにして軽く肩をすくめ、
「ま、勝てないでしょーね」
 あっさりとそう言ってしまう。
 ポエットたち三人の目が丸くなる。
 再びカノンへ視線を戻したエアルフリードの表情は、どこまでもお気楽に微笑んでいた。
「いきなり勝てるわけないでしょ。怪我さえしなきゃ、それでいいわよ。訓練用の装備だから、それもなさそうだけどね」
 逃げるカノンが足をもつれさせて転びそうになり、その動きに釣られて横薙ぎに払ったテスタのレイピアがまたまた空を切る様子に、声を立てて笑う。一瞬、テスタの鋭い視線がエアルフリードに向けられた。
「それじゃあ、何のためにこんな酷いことをさせてるんですか!?」
 その声は、ポエットたちとは反対側から飛んできたものだった。エアルフリードの視線が、今度はそちらに向けられる。
「酷い?」
「あの二人を戦わせるなんて……!」
 そこには、怒りで肌を紅潮させたターナの険しい顔があった。彼女の横には双子の少女もいるのだが、そちらの方は観戦に夢中のようである。
 エアルフリードはターナの言葉に、小さくうなずくように視線を下げてから、もう一度、カノンとテスタに視線を戻した。
 追い掛けるテスタの動きがわずかばかり鈍ってきたように思えるが、その表情はエアルフリードが今まで見てきた不機嫌そうなものではなく、冷静な色をたたえながらも、どこか満足そうに見える。
 そう。それは、笑顔でこそないものの……
「なんか楽しそうだけど?」
 ちょいっとカノンたちを指差して、エアルフリードはターナに微笑みかけた。
 その笑顔に毒気を抜かれたように、ターナはきょとんと瞬きをして、その目をカノンとテスタへ向ける。
 カノンの方も、必死で逃げ回っているものの、その表情にいつものような怯えの色が見えない。何より、本当に怖がっている時の彼女は、過日のクロキアンたちと相対した時のように、恐怖で動けなくなるはずだ。
 それが、今は元気いっぱいとも言えるくらいに、動き回っている。
 ターナはそれを呆然と見つめてしまった。
「あんたも、口ほどにあの子たちのこと、解ってないみたいね」
 喉を鳴らすようにして笑いながらそう言ったエアルフリードの声が、ターナの胸に小さな痛みを覚えさせる。
 それは少しだけ馬鹿にするような響きを持っていたから、彼女は思わずエアルフリードを睨んでしまう。恨めしげに。
 年下で後輩でもあるカマエルの少女たちを手玉に取るエルフは、苦笑しながら肩をすくめ、どこか遠くを見るような瞳を決闘場の中へと向けた。
「いいんじゃない。ちょっとずつ解っていければ」

 元々が小柄だから、捉えにくい。それに、腐ってもカマエルだ。敏捷さに劣るわけではない。
(いや、むしろ……)
 小さい頃から、ちょこまかと動き回ることは得意だったと思い出される。
 目の前で再び進路を変える小さな片翼を見つめながら、テスタは幼い頃の記憶を掘り起こしていた。
『おにごっこ』と『かくれんぼ』では、彼女はいつも最後まで残っていたではないか。
 そして自分はいつも、彼女を逃がすために捕まっていた気がする。
『オニ』の役はたいてい、双子の片割れだった。あの二人はジャンケンが弱いから。
 ターナは一番最初に捕まることが多かったし、ここにはいないもう一人の友人が『オニ』の時には、みんなで捕まらないように協力しあったものだ。
 自分が『オニ』だった時は……
(捕まえられなかった)
 今と同じ。逃げる彼女を見つけても捕らえることができず、追いついて手を伸ばしても、その小さな翼を掴むことはできなかった。
 手に入れたいと思っているのに──
「待ちなさい!」
「うゆゆ! やだぁーっ!」
 そう言われると、伸ばしていた手を引っ込めてしまう。
 今と同じように。
 ……けれど。今日は。
「何としてもッ!」
 急カーブを描くように方向転換したカノンを見て、テスタは足を止めて左手を前に突き出すように構えた。背中の片翼が羽ばたくように輝き、突き出した掌に魔力が収束していく。
 その気配に気付いたカノンも、走りながら後ろを振り返る。そして目を見開き、顔を青ざめさせた。
 魔法では防ぎようがないのが、今のカノンである。
 だがその時、視界の端にエアルフリードの姿が見えた。彼女もこちらを見つめている。
「……うんっ」
 カノンはその視線から何かを読み取ったように一つうなずき、足を止めた。そして体ごとテスタに振り向きながら、左手のボウガンを真っ直ぐに構える。
「──っ!」
 初めて見せたカノンの攻撃姿勢に、テスタはわずかに顔を歪め、次の瞬間、収束させた魔力を解き放った。
 ──バゥッ!
「うゆーっ!」
 半瞬の間を置いて、カノンがボウガンの引き金を引く。
 刹那。
 ──ドゥンッ!
 向き合う二人の間のほぼ真ん中で、テスタの魔法にカノンの矢がぶつかり、魔力弾は爆裂した。
「なっ……!?」
 予想外の出来事に言葉を失うテスタ。観戦しているターナたちも唖然とする。
「そんな……!?」
「い、今のなにー!?」
「わかんなぁーい!?」
 一方、エアルフリードは微笑を浮かべて、満足そうにうなずく。
「よくやったわ、カノン」
 魔力を射出するテスタが使ったようなタイプの魔法は、何かの物体に当たることで効果を発揮する。その特性を利用して、カノンは矢を魔法に当てることで爆発させ、自分への被害を無くしたのだ。
 無論、その技は──
「従姉貴の技、てことか」
「《魔法の矢(マジック・ミサイル)》系の魔法は、弓からの矢なんかより速度が遅い。練習にはうってつけだな」
「カノン、すごいすごい!」
 アレクシスもライも、さほど驚いてはいないが、ポエットと同様に、興奮はしている。
 あのカノンが、やったことなのだから。

 テスタは呆然と見開いた目で、カノンを見つめている。彼女が想像もしていなかったことを、やってのけられたから。
「どうして……」
 思わず口を衝いて漏れた呟きに、カノンは少しだけ首を傾げて、何か納得したように小さく何度もうなずいた。それから真っ直ぐに、親友の顔を見つめる。
「てっちゃん。かのんは諦めないよ。どんなにてっちゃんに嫌われても、かのんはかのんのやりたいことのために、冒険者になるから」
 それはその瞳と同じく、真っ直ぐな言葉。そして、初めて見せた「カノンの気持ち」。
 だからテスタの心を大きく揺さぶる。彼女は立ち尽くしたまま、唇を噛むようにしてうつむき、何かを堪えるように両手をぐっと握り締める。
「……嫌うわけ……ないでしょう……」
「うゆ……」
「嫌いになるわけないじゃない!」
 うつむいたまま、やり場のない感情の爆発を叩き付けるように、テスタが叫ぶ。
 その体が小さく震えていることに、カノンもターナたちも気が付いていた。
「てっちゃん……」
「テスタ……あなた……」
 彼女に向かって足を踏み出しかけたターナの肩を、エアルフリードが掴んで止める。
 カノンが、ぽてぽてとテスタに近寄っていっていたから。
 そのことに気が付きながらも、テスタは一度吐き出した感情を止めることはできなかった。
「私がずっと守ってあげるって言ったのにッ! ずっとずっと守るのにッ! あなたが冒険者になるなんて言うから……私は……私は……っ!」
 テスタの前で立ち止まったカノンが、その顔を見上げる。閉じた瞳から涙を流す、とても悲しげなテスタの顔を。
「あなたが私のことなんて、もういらないと思ったんでしょう……」
 目を開けて、カノンを見つめる。まるで親にすがる子供のような瞳で。
 そのテスタの表情に、カノンも悲しげに顔を歪める。そしてぽろぽろと涙を零し始めた。
「そんなこと思ってないよ。かのんは、てっちゃんたちと一緒に強くなりたかっただけだよ。てっちゃんたちの役に立ちたかっただけなんだよ」
「だって……」
「かのんは、てっちゃんのことが大好きだよ! 今までも、これからもずっと!」
 そう言って、カノンは涙を零しながら、笑った。大好きな友達に贈る、最高の笑顔を。
「カノン……」
 戸惑うような表情を浮かべるテスタの手を、カノンは小さな手を広げて精一杯に包む。
「かのんは弱いから、まだいっぱい迷惑を掛けるかもしれない。……けど、いっぱいいっぱい頑張るから! だから……」
 ぎゅっと握り締めたテスタの手が、優しく握りかえしてきた。
「だから、てっちゃん……これからも、かのんのお友達でいてくれる?」
「……当たり前よ」
 テスタは小さな翼を、ようやく捕まえることができていた。

「テスタ……カノンも……」
 抱き合う二人を見つめながら、ターナも嬉しそうに微笑みながら涙を流していた。指先でそれをそっと拭う。
 その隣で──
「……むぅ。いわゆる、ラブラブ?」
「クララちゃん。これは踏み込んではいけない世界ですよ」
 双子は顎に手を当てながら、的外れな疑惑の視線を向けていた。

「……始めから、これが狙いだったわけだ?」
 呆れたようなジト目をエアルフリードに向けながら、柵に頬杖を付いたアレクシスがそう言う。
 カノンたちを見つめたままのエアルフリードの口元が、にやりと不敵に笑った。
「まさか。私はフロウティアほど策士じゃないわよ。こうなればいいなぁ、とは思ってたけど」
「俺はまた、拳で語り合わせるのかと思ってたぜ」
「そんな、どこぞの民話みたいなこと、期待するわけないでしょ」
 今度はエアルフリードが呆れたように肩をすくめ、アレクシスと、その横できょとんとしているライとポエットに振り向く。
 彼女は三人に微笑みかけた。
「ただ、ね。言いたいことを言わないで溜め込んでおくより、思ってることを言い合った方がすっきりすると思っただけ。それが友達同士ってもんでしょ」
 アレクシスたちが互いの顔を見合わせる。
 たしかに彼らは、お互いに言いたいことを言い合っているから。
「その切っ掛けになればいいと思ったのよ。あの、テスタって子にはね」
 そうして向けられたエアルフリードの瞳は、とても優しく笑っている。
 アレクシスとライは顔を見合わせて、苦笑しながら肩をすくめた。よく解らないというふうにきょとんとしているポエットを置き去りに、二人はその苦笑をエアルフリードへと向ける。
「……で。この結果はどーなのよ?」
「カノンも頑張ったしな。保護者としての評価は、いかが?」
 エアルフリードは背をもたせかけていた柵から体を離し、足を踏み出す。
 その答えを伝えるために。
「ま、合格でしょ」
 決闘場の中央で、互いの精一杯の想いを言葉に乗せて抱き締め合う二つの小さな翼が、陽の光の中で輝いているように見えた。

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